伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2016年710日: 参院選挙と憲法改正 T.G.

 参議院選挙投票日である。まったく盛り上がらない。都知事選の馬鹿騒ぎで影が霞んでしまった。こんなひっそりした国政選挙も珍しい。都知事選だけでなく、与野党のお粗末な政策論争で国民の関心が向かないのだろう。普段はうるさいほどやってくる選挙カーをほとんど見かけない。たまに見かけるのは「戦争反対、憲法改正反対」などとトンチンカンなことを言う社民党宣伝カーぐらいである。こりゃダメだ。

 なぜかマスコミがことさら大仰に憲法改正選挙だと騒ぐ。すでに与党は改憲が可能な3分の2の議席が確実だと盛んに報じている。いわゆるアンダードッグ効果を狙って、改野党に肩入れしているのだろう。争点の定まらない民進共産の野党共闘が、それに悪のりしてさらに争点をぼやかしてしまう。選挙民はますますシラケる。

 今回の選挙で与党が3分の2議席を得たとして、果たして憲法改正は出来るのだろうか。大いに疑わしい。改正の関門は議会でなく国民投票である。仮に国会で改正議決がされたとしても、国民投票で過半数を得るのは難しい。今の国内情勢を見るとほぼ不可能に近い。世論調査では改憲が必ずしも多くはない。護憲が上回っている。ぬるま湯の安寧にどっぷり浸かっている国民は、九条改正を好まない。九条は美しい。世界の誇りだ。それをなぜ捨てるのか。今のままでいい。九条があっても何も困らない。わざわざ事を荒立てる必要はないと多くが思っている。現実を見ればまったくその通りだ。70年平和憲法でやってこれたし、この先もやっていけるだろう。

 イギリスのEU離脱を見れば分かるが、国民投票はポピュリズムである。国民は理性的な判断が出来る動物ではない。国民投票は政策判断ではなく、その時々の情緒が決める。要するに気分である。今の日本国民はそういう気分になっていない。憲法学者が安保法制は違憲だと言えばなるほどと思うし、護憲野党が戦争法案だと貶めればそんなものかと思ってしまう。憲法に対して思考がストップしているのだ。国民投票は議会制民主主義を破壊する究極のポピュリズムである。出来たらやらない方がいい。キャメロン政権はそれで粉砕された。安部政権が改憲を持ち出したら同じことになるだろう。床の間の花はきれいであればいい。九条は床の間の花だ。

 憲法改正は明日のためにやるものだ。今日のためではない。今日現在は何もいいことがない。老後のために貯金と同じである。自分もそうだったが、若者は老後のことなど考えない。どうでもいい。貯金などせずとも今困ることはない。美味しいものも食べたい。旅行もしたい。貯金などする必要がない。それと同じである。憲法改正しなくても70年間やってこれた。今も問題はない。この先も多分やっていけるだろうと言う惰性である。国民の思考能力なんて、いつの時代もその程度のものだ。だから突然その日が来ると大慌てする。心の準備がないのでまともな判断が出来ない。発狂して支離滅裂になる。テンション民族の日本人は特にそうだろう。

 憲法改正が問われる状況とはどんなものだろう。おそらく他国から、今の憲法や法制では対処できない、深刻な軍事的圧力を受け始めたときだろう。最もありうるケースは中国が南シナ海と同じことを東シナ海で始めたときだろう。ある日突然中国の軍艦が尖閣に接近、兵士が上陸を始める。しかし憲法を含めた現行法制の制約もあって、首相と防衛大臣は自衛隊への初の防衛出動発令を躊躇する。付近の艦船や航空機が多少の抵抗を試みるが、法治主義の手前それ以上のことは出来ない。蹴散らされてしまう。日本が独自の防衛行動を行わないので、在日米軍は動かない。日米安保は機能しない。そうしているうちに事態はどんどん悪化し、やがて西表、石垣など南西諸島から沖縄全域に圧力が広がる。こういった状況が出来したら、日本国民はどう考え、どう行動するだろう。

 あり得る一つのケースは、多少の抗議はしても軍事力行使はせず、成り行きに任せ、外交交渉で中国との融和を図るやり方である。分かりやすく言えば、平和主義に徹して長いものに巻かれることだ。現在の中国依存経済や外務省などの親中国派の存在で、大いにあり得る方向である。憲法に手を加える必要がないので、平和主義一筋のリベラルマスコミや護憲派にも受けるだろう。社民、共産や民進の一部はかねがねそういう主張をしている。外交で戦争は防げると。安保法制は要らないと。中国とは仲良くしろと。その場合、日米安保は破綻し、日米離反は日本が中国の影響下に置かれることを意味する。昔風にい言えば冊封国である。日本の生き方として一幅の絵ではあるが、それに満足できる国民はどのくらいいるだろう。

 もう一つは、日本国民が突如安全保障に目覚め、国会前に大規模デモが押し寄せ、政府に圧力をかけ防衛出動を促す。マスコミもそれに迎合する。慌てた政府は闇雲に走り出すが、9条との整合性や必要な法制はほったらかしになる。出たとこ勝負で走りながら考える。日本が得意とする超法規的措置である。集団的自衛権を盾に沖縄米軍の出動も要請する。普天間からじゃんじゃん軍用機が飛び立ち、オスプレイに乗った日米兵士が尖閣に突入する。人民解放軍を蹴散らしたあと、熱にうなされたような憲法改正気運が高まり、国民投票で一気に改正が進む。護憲派は消え失せて姿も見えない。十分な論議を尽くす時間がなかった新憲法は、現憲法と同じ矛盾だらけの出来損ない。時節柄軍事色が強いものになる。九条なんて跡形もない。戦前のような軍事国家日本の誕生である。日本人のビヘイビアを見ると、大いにあり得るケースである。

 どちらのケースも蓋然性が高いが、どちらも願い下げだ。そういう惨めな日本を見たくない。日本人の性癖を見ると、より可能性が高いのは後者だろう。かって麻生元首相がヒットラーの全権委任法にになぞらえて、狂乱のうちに憲法改正を迫られると、ろくな憲法が出来ないと発言し、物議を醸した。エマニュエル・ドットも言っているが、ドイツ人と日本人は似ている。そうならないように今から真っ当な憲法改正議論を始めるべきだ。それを邪魔しているのは、九条大好きのリベラルマスコミと、左翼政党と、頑迷な護憲派学者と、国民の空気である。生きているうちに新憲法を見てみたいが、今の状況では叶わぬ夢に終わりそうだ。

 夕方、家人と投票所へ行ったが、我々のような中年の夫婦者ばかりで若者の姿が見えない。18歳はどこに行ったのか。

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