伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2016年6月12日: 伝蔵荘、最後の借地更新 T.G.

 伝蔵荘の会計幹事のMa君からメンバー全員に連絡メールが来た。伝蔵荘の契約更新の書類が佐久穂町から届いたという。前回平成8年8月9日付けの更新の存続期間は20年間で、今年の8月で切れる。今回の2回目の更新契約期間は、15年後の平成43年8月8日までだが、どうしたものか皆の意見聞きたいという。15年先はわれわれ後期高齢者は揃って90歳である。分かってはいたが、とうとうそういう時が来たのかと、あらためて感慨を覚える。

 伝蔵荘を建てたのは今から44年前の昭和47年である。大学を卒業して会社の仕事が忙しくなり、山からは遠ざかっていた。卒業したらいつかは山小屋を建てようなどと話し合っていたが、それも忘れかけていた頃、Ma君が佐久の八千穂村が別荘地を売り出しているという話を聞き込んできた。北八ヶ岳は我々の思い出の地でもある。さっそく見に行くことにした。結婚したばかりの家内とMa君のフィアンセと4人で車で出かけた。当時は高速道路も新幹線もなく、国道18号線を延々と走った。八千穂から麦草峠にいたる国道229号線はほとんどが未舗装だった。大石部落の先の急坂が砂利道で、小生愛用の初代日産サニーが登れず、タイヤが空転したのを憶えている。

 やっとこさで八千穂高原別荘地に到着し、あちこち見回ったが、平坦で立地条件の良い区画はほとんど手がついていて残っていない。高度成長のまっただ中、別荘ブームが始まった頃である。なんとか気に入ったのが今の伝蔵荘の場所である。山を下りて八千穂村の村役場に行く。人気のない庁舎に観光課の札が掛かっていて、そこで年配の係員から説明を聞く。約300坪の土地は25年契約の賃貸で、別荘地内の道路舗装と水道と電気は敷設済み。権利料が60万円、地代が坪あたり年35円と格安である。聞くと過疎対策が目的の事業で、儲けるつもりはないのだと言う。元々が林業が目的の村有林で、坪あたりの地代35円は林業の収益と同じにしてあるという。

 八千穂村役場と印刷された封筒に関係書類を入れて帰途についたが、遠くからわざわざ信州まで来て、このまま帰るのももったいないと、浅間温泉に一泊することにした。新婚のわれわれは一部屋とったが、まだ婚約中だったMa君の奥様が、結婚前に泊まるわけには行かないので帰ると言いだした。しかたなく小諸駅まで車で送り、Ma君はわれわれの隣の部屋で一人淋しく寝ることになった。今でも時々伝蔵荘で酒の肴の笑い話に出るが、あの時代の若者のナイーブな結婚観は、今とはずいぶん違っていたのだ。

 建てるに当たってTUWVの同期から参加者を募ったが、6人しか集まらない。それではとても予算が足りないので、Ma君がその頃始まっていたOB会の新年会で話をしたら、同期以外の5人が参加してくれて、計11人で計画がスタートした。一人あたり30万円を負担し、総予算330万円。今から見れば大した額ではないが、まだ月給が10万円にも届かない安月給の頃である。正直清水の舞台から飛び降りる心境だった。ほとんどが即金では用意できず、足りない分を神戸の資産家の息子、Ik君が、家の購入資金に親御さんから預かっていた金で一時立て替えてくれた。彼には月々の返済をしたが、彼がいなかったら建たなかっただろう。そのIk君も今は亡い。

(50年前の本物の伝蔵荘)

 建物の設計は建築事務所を経営していたMa君の親友のId君が引き受けてくれた。どういう風にしたいか聞かれたので、Ma君と二人で神楽坂の事務所へ行き、一晩飲みながら話し合った。基本的イメージは二口峠の伝蔵荘。2家族で使える大きさ。出来るだけ合板やアルミサッシを使わず、木造であること、などなどである。希望通りのデザインになったが、この設計図を地元の建築業者に持ち込んだら、最低で1千万はかかると言われた。建設会社の営業マンだったMa君が交渉して、なんとか予算内で引き受けさせたが、キノコをイメージした大きな屋根のデザインは今の大きさに縮小され、普通は建材には用いない安価な落葉松材に変更された。その安物の落葉松材も、今では古びて山小屋らしい風格が出ている。デザインを引き受けてくれたId君も先年亡くなった。

 メンバー11人のうち、Ik君を含めて3人がすでに他界している。途中でGP生君と経済学部の銀行マンHa君が参加してくれて、差し引き計10人が今のメンバーである。Ma君のメールの問いかけに、一応全員が更新OKの返事を返したが、返事のニュアンスが各者各様で面白い。「とりあえず東京オリンピック」でなく「さしあたり次回更新まで」と言う新しい目標が出来たと言う前向き派と、「とりあえず更新すべきだが、いつまで行けるか」という後ろ向きに別れる。確かに90歳まで自力で伝蔵荘に出かけられる見通しは明るくないが、仮に出来ないとしても、先の目標があることは老人にとって悪いことではない。

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