伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2016年2月23日: 貧乏人のオーディオ遍歴 T.G.

 世の中平穏無事。日誌に書くことがないのでオーディオ趣味のことを書く。オーディオはワインと同じ金がものを言う趣味で、遍歴と言っても貧乏人のオーディオ遍歴である。

 オーディオは今でも続けている数少ない趣味の一つである。その端緒は高校生の頃、ラジオで聴いたモーツアルトである。風邪をひいて布団にくるまって寝ていたら、枕元に置いた安物の5球スーパーラジオ(当時のラジオは真空管だったのだ)から世にも美しい音楽が流れた。熱でうなされていたせいかも知れない。モーツアルトの名曲、アイネクライネナハトムジークと後で知った。それまでクラシック音楽などまったく興味がなかった。

 最初のオーディオシステムは、皇太子(今上天皇)ご成婚記念でビクターが発売した、今で言うシステムコンポのハシリである。この頃には珍しくステレオのLPレコードが聴けて、ラジオチューナーは真空管だった。母親にねだってお金をもらい、電車に乗って秋葉原まで買いに行った。値段は憶えていない。さっそくベートーベンやチャイコフスキーなど、有名名曲のLPレコードを何枚か買って聴いたのだが、高校生でも買えるこの極めて安物のシステムでも、当時始まったばかりのステレオ録音は、素晴らしく美しい音に聞こえた。なぜか後年愛聴するようになったモーツアルトは1枚も買わなかった。高価なLPレコードは高校生ではなかなか買えず、最初に買った10枚ほどをすり切れるほど繰り返し聴いた。今でもベートーベンの運命や悲愴やメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲は全楽章のメロディーが頭に刷り込まれている。もしかするとオーディオ愛好家としてはこの頃がいちばん幸せだったのかも知れない。

 仙台の大学へ行ってからは、音楽やオーディオから遠ざかった。貧乏な学生寮にオーディオは持ち込めないし、当時の仙台ではオーケストラの生演奏など聴く機会がなかった。人口40万の田舎都市には音楽ホールもなく、楽団もやってこなかったのだ。就職して東京に出てきてからも、仕事が忙しく音楽からは遠ざかっていた。オーディオシステムを買ったのは仕事も落ち着いて結婚し、マンション住まいを始めた頃である。プレーヤー、アンプ、チューナー、2台のスピーカーが独立したソニー製のListen-9と言う安物システムコンポである。このシステムをしばらく使っていた。後に伝蔵荘へ持ち込んだが、今でもチューナーだけが残っていて、アンテナに接続すればFM放送が聴ける。価格は忘れたが、ネットで見つけたこの写真には11万4百円と書かれている。40年以上前の、給料が20万円にも届かなかった頃の11万円である。

(YAMAHA A2000))

 しばらくこれで我慢していたが、だんだん物足りなくなってくる。そろそろオーディオブームが始まる頃で、思い切ってヤマハのA2000と言う評判のプリメインアンプに買い換えた。値段は18万9千円。そうなるとスピーカーも取り替えたくなって、オンキヨーの3Wayスピーカーに買い換えた。プレーヤーをどうしたかは憶えていない。当時、ヤマハのNS1000Mというスピーカーが大評判だったが、アンプに20万近く注ぎ込んだので我慢した。まだ子供が小さい安月給の頃である。もっぱら聴いたのはモーツアルトとバッハで、高校生の頃のベートーベンやチャイコフスキーはほとんど聴かなくなった。今残っているLPレコードの大半はモーツアルトとバッハである。ほかはヘンデルを含めたバロックが少しだけある。この頃はまだジャズには関心がなかった。

(TANOY Stirling)

 アンプが良くなると、気に入らなくなるのがスピーカーである。オーディオ趣味はこうやって泥沼に嵌まる。切りがない。当時、ジャズを聴くならJBL、クラシックならタンノイと言われていた。イギリス製スピーカーである。よく行く秋葉原のオーディオショップの試聴室に、数台のタンノイが置いてあった。最高級はウエストミンスター、値段も高いがサイズも大きくて重い。貧乏人のリビングに置いたら床が抜ける。やむなく値段が手頃で自宅のリビングにも置ける小型のスターリングを買った。手頃と言っても左右2本で40万円、安月給取りには清水の舞台から飛び降りる気分だった。これで格段にいい音になった。オーディオで一番大事なのはスピーカーである。ほかが良くても音を出すスピーカーが悪ければどうにもならない。前評判に違わず、スターリングはクラシックにぴったり。音に品があって、落ち着いたモーツアルトやバッハを聴くには最適である。大いに気に入って今も愛用している。

(UESUGI U-BROS JUNIOR-1))

 ヤマハのA2000は名器で音もよく、気に入っていたが、何年か使っていたら壊れてしまった。修理に出す気にならず、買い換えることにした。この頃から数年間がオーディオ趣味が最も嵩じた時期である。高度成長期のまっただ中で仕事も順調。給料が毎年どんどん上がった。年に3割、3年で倍に増えたこともあった。今では夢のような時代である。オーディオ雑誌を熟読し、秋葉原に通い詰めて、選んだのがウエスギの真空管プリメインアンプU-BROS JUNIOR-1である。雑誌などで「クラシックはウエスギとスターリング」と言われていた。これは気に入って、30年近く経った今でも愛用している。本当はプリアンプとパワーアンプが別々のセパレートアンプにしたかったのだが、マッキントッシュなど外国製は高嶺の花で、国産のウエスギですら100万円をはるかに超えた。メーカーの上杉研究所はマニア向けの真空管アンプに特化していて、オーディオ御三家と言われたパイオニア、山水、トリオ(今のケンウッド)とは一線を画していた。阪神大震災で被災したが、最近復活したようだ。

Thorens TD-126 MKII+SME3010R

 最後に嵌まり込んだのはプレーヤーである。当時オーディオ雑誌で評判だったスイスのトーレンス社製ターンテーブルTD-126 MKIIと、これも評判だったイギリス製アームSME3010Rを組み合わせ、カートリッジはデンマーク製のオルトフォンMC20 Mk2を選んだ。オーディオ製品は総じてそうだが、国産品には音質面でこれを上回るものがなかった。電子技術はともかく、日本人は感性がものを言うオーディオは苦手なようだ。総計40万円以上したが、これを自宅にセットしてはじめてレコードをかけたときは、あまりの音の変わりように驚いた。今までよりはるかに音が澄んで、レコード特有のスクラッチノイズがない。CDよりはるかに音がいい。オーディオにはまるで関心がない家人ですら「あらいい音ね」と驚いたぐらいである。気に入って使い続けていたが、残念なことに引っ越しの際壊れてしまった。今は友人に貰ったマイクロのターンテーブルにアームとカートリッジを移し替えて聴いているが、昔通りの音である。

 アクセサリを含めて総計130万円ぐらいのシステムになったが、これでもヘビーオーディオマニアに比べれば一桁安い。オーディオはワインと同じで、金次第で音がよくなる哀しい趣味なのだ。80年代末頃から流行りだしたCD音楽が、LPレコードを駆逐した。それとともにオーディオそのものが衰退し始めた。今では秋葉原でもオーディオショップを見かけない。レコードショップはとうの昔に消滅し、CDショップすら見かけなくなった。悪貨が良貨を駆逐するように、手軽で音の良くないCDがオーディオ趣味を潰し、皮肉なことに自らのCD業界そのものも衰退させた。今では買うのに苦労する。それに代わって若者達が好んで聴くのは、iTuneなどのネット音楽である。内容も音質も劣悪で、高価なオーディオで聴くほどの代物ではない。安物のヘッドフォンで十分である。かってあれほど大勢いたオーディオ愛好家達は、どこでどうしているのだろう。

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