伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2016年2月15日:日本人の憲法観 T.G.

 メールで読書会の案内が送られてきた。大学の先輩に勧められた読書会だが、一度も参加したことがない。前回のテーマ本『「日本国憲法」まっとうに議論するために』改訂新版(樋口陽一著みすず書房)についての参加者7名の感想が載っている。メンバーは読書好きのどちらかと言えばリベラルな文科系の人たちのようだが、日本人の平均的な憲法観が観察されて面白い。少し長いが、読書会の感想メモを、手を加えず下記に引用する。(幹事、ごめんなさい!)

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A氏「全部読んだ。日本国憲法って『意外とよく出来ているじゃん!』と思った。これまで無防備に知らなさすぎた。『まっとうに議論する為に』の意味が分からなかった。9条の話のことかと思ったらそれだけじゃ無かった。でも、ベースとして自分は9条は死守したいと思っている。基本的人権についてもよく出来ていて守りたいと思った。憲法は権力を持つ人を縛るものだと思っている。二度と戦争をしない為の憲法。負けた国の憲法は面白いと思った。日本国憲法の文章は、素晴らしいものだと思った。

B氏「頭に入ってこなかった。『兄弟』みたいな書き方をしてくれたら分かり易いのにと思った。NHKのTVでのビデオを見たら全然押しつけ憲法じゃないと思った。憲法制定の経緯が本当はどうなのか知りたい。自分たちのことは自分たちで決めると書いてあるが、自分たちで決めていない憲法はどういうことか?と思った。占領政策が終わった時に何故自分たちで作り直さなかったのだろうと思った。日本国憲法は、政治家や役人を縛るための憲法。今の憲法のまま使用するか?しないかは?もう一度国民に問うべきだ。

C氏「最初は「みすず書房」の方に目が行った。「目と精神」など若き日に読んで感銘を受けたところから出た本なので、そっちの方が気になったのだと思う。いろいろ事情があって、最後まで読めなかったが、今日、皆さんの感想を聞いて、いい憲法を戴いたのかな?と思った。この本は読んでみたら、分かり易くて入り込みやすい本だった。旧憲法は家を重んじる憲法だったというのを読んで、父のことを思い出された。この本はいい本だと思ったので最後まで読みたい。」

D氏「今日は来れないと思っていたので読んでいなかったが、来れることになったので急遽本屋で立ち読みをしてきた。やはりひっかかっているのは9条だったので、ここは特によく読んだ。9条を守ることを言いたい。今、世界遺産にしようとする動きさえあるのだから!平和を求めるのは人間不変の権利で、樋口さんも書いているが軍隊無き日本だ。」

E氏「憲法を勉強したことがなかったのでいい機会だった。大変刺激的な本だった。日本の憲法学が、切り花憲法学だと確認した。このレベルでは余りのお粗末さで愕然とした。憲法学は歴史学に比べて50年遅れている。樋口氏が憲法学の中でどのような地位に人かは知らないが、余りにレベルが低く愕然とした。何でこんなに貧困でお粗末なジャンルが生き残っているのだ。シイラカンスだと思った。近代ヨーロッパのイデオロギーを理路整然と言っているだけで、現在の混迷した状況は全く見ていない。これでは解決なんで出来ない。世界で有数の軍事力を持つ自衛隊は軍隊で、それで9条なんておかしい。歴史、文化、地域文化を蔑にしている。出版社はこんな恥ずかしいものを世に出して恥ずかしくないのか?編集者の顔をみてみたい。こんなものは分かる分けはない。酷い。校正のミスがそのまま出ている。こんな本がテキストじゃ「まっとうに議論」なんで出来るわけがない。最後に引用するのがデリダだ。自分の言葉で語り締めくくれないのか?恥ずかしい。」

F氏「日本国憲法は『旧仮名使いなんだな〜』と思った。この憲法が、個別的自衛権を認めているかどうかなんて話自体がダメだ。馬鹿な憲法学者の論理だ。自分は改憲論者で、とにかく9条は変えなくてはいけない。『護憲、9条を守りたい、改憲、安保法制反対、憲法違反だ・・・』こう言った意見を言ったり行動したりしている人に聞くと、殆どの人が、法案や憲法を読んでいない。憲法学者やメディアが言っている事をそのまま聞いて言っている。自分で読んで判断して意見を言う人が日本人にはどの位いるのか?いないんじゃないか?」

G氏「日本国憲法は、改憲するのではなく、護憲として書き換えるべきだ。中学卒業の現代国語力で理解できる文章にするべきだ。憲法学者の、西洋近代民主主義、絶体正義論的な思い込が感じられる。それはもう古い。憲法は自分の進路を自分で決めるように、もっと自分の事として考え判断しなくてはいけない。学者は評論家のメディアのオピニオンに乗っかるのはもうお終いにしなくていけない。日本国憲法は厳然と日本語で書かれ目の前にある。この憲法の英語原文がどうのとか、決まる経緯がどうのとかは歴史の話だ。いま在る憲法を素直に直に読んで、不透明は部分や多義的な部分を自分で自分の言葉で「こうあるべきだ。こう書き直した方が良い」と考えるべきだ。自分の書いた文章のように愛情をもって読み考えるべきだ。日本人は、自分で決めない。他人任せすぎる。」

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 7名のうち、5名が賛同派(熱烈な護憲派)で、2名が批判派(現実的な改憲派)である。護憲派の割合は、改憲賛成が5割を超えている最近の世論調査より高い。おそらく日常的に朝日、毎日を購読するリベラル派知識人の傾向なのだろう。著者の憲法学者樋口洋一氏はよく知らないが、彼自身と出版依頼したみすず書房とのやりとりで、「先日の安保法制騒ぎの時、国会前で反対デモをやっていた若者達と会って救われる思いがした。彼らに読ませたい」 と言っていることを見ると、著書の内容はどうやらガチガチの護憲本に違いない。

 護憲派と思われる人たちが、いわゆる立憲主義に触れているのが目につく。「憲法は権力を持つ人を縛るものだ」、「日本国憲法は政治家や役人を縛るための憲法」などである。立憲主義などと言う難解な法律用語はほとんどの人が知らなかった。先の安保法制論議で、護憲派学者が盛んに言いつのったので知られるようになった。意味するところについては、憲法9条以上にいろいろな学説や解釈がある。それを「権力者や政治家、役人を縛る」などと短絡させる。憲法学者の罪である。立憲主義を手短に言うと、「正しい法の制約下で為政者に政治を行わせる」と言うことだろう。重要なの法の正しさである。ソクラテスの「悪法も法なり」では単なる法治主義に過ぎない。はたして日本国憲法は誰が見ても正しい法律と言えるのか。そうであれば混乱が生まれるはずがない。

 興味をひいたのはG氏の「改憲ではなく護憲として書き換えるべき」という意見である。内容は変えないで文章を変えろという。読書好きから見ると、下手くそな英文直訳の日本国憲法は、どうしようもない悪文に見えるのだろう。そう言いながら「不透明な部分や多義的な部分を自分の言葉で書き直せ」とも言う。問題の第9条はまさに不透明で多義的な条文の典型である。そのためいろいろな解釈が生まれ、混乱した。これを透明化し一義的にしたら、自衛隊も含めて完全な軍事否定か、その正反対か、どちらかしか書きようがない。中間はない。中間は曖昧さ(多義)を生む。自家撞着というか論理矛盾である。良心的護憲派の迷いが滲み出ている。

 全般的に共通しているのは、主として9条を論じながら、国家安全保障に関する意見が皆無であることだ。憲法は国内法だから、諸外国との関係から生まれる安全保障問題については規定のしようがない。条約と同じで、相手がある話なのだ。9条はそれを無理やり国内法で規定して為政者を縛ろうとした。それで無理が生じた。この感想文に滲み出る迷いや悩ましさはそこに原因があるのだろう。安全保障に関してノーアイデアなのは、護憲派にも改憲派にも共通する話だ。

 暴論の誹りを覚悟で言うと、この70年来日本人につきまとった悩みや迷いを根本的に解消するために、いっそのこと9条をなくしたらどうか。そもそも他国の出方次第でどうなるか分からない問題を、事前に国内法で規定することが無理なのだ。そんなことをしたらヒットラーや東条英機が出てくるというなら、憲法ではなくほかの防止策を考えるべきだ。おそらく健全な民主主義と成熟した国民の民度しかないだろう。

 ヒットラーは当時世界一民主主義的と言われたワイマール憲法下で暴発した。大日本帝国憲法に書かれた安全保障関連条文は、第11条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」、第12条「天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム」、第13条「天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス」などである。この憲法は立憲君主制のイギリスに倣ったもので、国王と同じく天皇は内閣の補弼に従う趣旨である。つまり政治を実際に行うのは天皇でなく、あくまでも補弼する政治家の責任なのだ。昭和天皇は生涯この憲法の趣旨を遵守された。日本の軍部はこの条文を悪用し、統帥権干犯という悪知恵で安全保障を政治から遠ざけ、挙げ句の果てにハルノートに追い詰められて暴発した。憲法だけで国を動かせるわけではない。

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