伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2016年2月12日: 清原騒動から見える退職後の人生 GP生

 世間を騒がせた清原和博の覚醒剤問題は、送検後もマスコミの騒ぎが収まらない。PL学園時代から、桑田真澄と共に、野球界の寵児としてもてはやされた男の末路は、哀れの一言に尽きる。何故、清原は覚醒剤に手を染めたのだろうか。妻子が去った寂しさの故なのだろうか。離婚前から覚醒剤に手を出していたとの話もある。離婚理由や覚醒剤の契機は、外部からは伺い知れない。何故、道を誤ったのかは、本人しか分からない。いや、本人も、分かっていないのかも知れない。

 繰り返し放送された引退セレモニーの映像を見て、違和感を感じた。この違和感は、テレビのバラエティ番組でも感じていた。40歳前半の男にしては、あご髭が真っ白なのだ。もみあげ迄が真っ白だ。大きな身体、浅黒い大顔の男に白髪は調和しない。彼の私生活は知らないが、現役時代、若い選手を連れて、連日飲み歩いているとは聞いていた。恐らく半端な飲み方ではないのだろう。30台後半になっても不摂生を続けていたら、酷使の激しい肉体は老化が進行する。老化が最初に現れるのは髪の色だ。

 西武に入団した清原は、堤義明オーナーの寵愛を受けた。「周囲は、苦言を呈するのを憚るような、異常な雰囲気であった」とは、当時のコーチの言である。甲子園でPL学園を2回の優勝に貢献した立役者であり、プロ最初の打席でホームランを打った清原が、球団期待の星であったのは確かだ。彼は、持って生まれた身体能力から実績を重ねた。その結果、周囲からはチヤホヤされれば、若い彼が慢心してもおかしくない。西武時代から銀座のクラブに出入りして、女性達と浮き名を流したと聞いている。覚醒剤に手を出していた女性の影響を受けたとも報じられている。監督・コーチは、オーナーへの遠慮と彼の実績から、なすべき教育を怠ったのだろうか。

 清原は30台半ばを過ぎて、よく怪我をした。リハビリのために、筋肉トレーニングに励んでいる映像を何回も目にしている。筋肉の柔軟性を求められる野球選手が、ボディビルダー並の身体にして、如何するのだろうかと思っていた。才能はあっても、身体が恵まれているとは言えない、桑田の精進振りを見聞きすれば、生き方の違いは歴然だ。失意の内に大リーグから古巣のジャイアンツに戻った桑田は、最初のマウンドでひざまずき、目を閉じて祈っている姿が印象的であった。試合後、記者の質問に、「日本で投げられる喜びを、グランドの神様に感謝していた」と答えていた。

 盛りを過ぎた清原は西武を追われ、長島巨人に拾われた。一時は華を咲かせても長くは続かず、移転先のオリックスで選手生命を終えた。現役時代、一時代を築いたスーパースターであれば、引退後に、コーチの道が用意されてもおかしくはないが、何処からも声がかからなかった。引退後、東大野球部に招かれ、投手陣に「インコースの内角攻め」を徹底教授し、貴重な1勝をもたらした桑田との違いは何だろう。

 清原は引退するまでの間、野球界の厳しい現実を見てきたと思う。いかに優れた肉体を持っても、何れ来る衰えは避けられない。鍛えても、プロの選手としては、通用しない限界は必ず訪れる。頭脳勝負のサラリーマンとの違いだ。野球人とて、頭脳の優劣は成績を左右するはずだ。この優劣が、引退後の野球人生に、大きく関わっているように思える。驚異的身体能力は、現役時代は武器になつても、引退後は無用になる。清原が引退後、球界で指導者として残ることを望んでいたとしても、現役時代の言動から、「球界番長」と喧伝されれば、声をかける者は居ない。

 プロ野球選手の殆どは、40歳前に引退を迎えている。41歳で引退した清原は選手寿命は長い方だ。しかも、引退セレモニー付きだ。20台後半や30台前半で自由契約になる選手も多い。毎年、ドラフトで多くの新人が採用されるのだから、使えないと判断された選手が解雇されるのは当然なのだろう。野球界では、一般の会社では考えられない激しい新陳代謝が行われている。解雇された彼らが、社会人野球やプロ再テストに臨むドキュメントを昨年テレビで見た。結婚を控えた者や出産を間近にした妻帯者もいた。夫として、父親としての責任と野球を捨てられない狭間での悩みが、リアルに映し出されて、強い印象を受けた。

 引退後、野球界に残れない清原は、妻子を抱え何を考えたのだろうか。自由契約された選手との悩みは、共通であったとしても、無名の彼らと違い、清原には実績と名声があった。例え、野球が出来なくとも、転身の選択肢はあったと思う。彼が、恵まれた環境を生かすことが出来なかったのは、何故だろう。引退時には、妻と二人の息子が居た。妻子を養う義務と同時に、彼を支えてくれる大切な存在でもある。引退後4年にして妻子を失った彼は、この間何を考え、何をしたのだろうか。

 自分は54歳の春、長年勤めた会社を退職した。諸々の理由が重なり、仕事に専念する意欲を完全に喪失したためだ。退職後は家業が本職になったが、昼間の時間帯に外出することに抵抗を感じた。30年間に染み込んだサラリーマン感覚は、一朝一夕に抜けるものでは無い。昼間、家に居ることが落ち着かないのだ。仕方なく、地下の一室を事務所に改造し、デスク、電話、パソコン、テレビを持ち込んだ。朝食後、午前中を事務所で過ごした。仕事が無いときは、もっぱら読書であった。この生活は、母親の介護が始まるまでの6年間続いた。退職後の目標があっても、心から転身する事の大変さを感じたものだ。定年退職であれば、心の切り替えは、容易であったと思う。

 野球界への残留を諦めた清原が、新たな一歩を踏み出すには、スーバースター意識を払拭しなければならなかった。テレビのバラエティ番組に出演しても、打ち込める職を持たない彼の心が、満たされたとは思えない。引退後、頭を丸め、サングラス姿で町を闊歩する姿は、虚栄にしか見えなかった。桑田は、「彼は何時までも4番でプレーする自分が忘れられず、変われなかったのではないか」と語っていた。至言である。過去の誇りを胸にしまい込み、妻子と自分の為に、将来に立ち向かう勇気を何故持てなかったのだろうか。

 誰しも、現役を終えた後、長い老後の生活が待っている。退職後の生活は、事前に考えた通りに進まないのが、この世の常だ。妻子の存在の有無、孫の有る無しで、老後は大きく替わる。高級ウイークリーマンションで唯一人、コンビニ弁当を食べる清原の寂しさは、如何ばかりだろう。妻も愛する息子達も居ない、自分を讃えてくれる大歓声も無い。反社会勢力との関わりも指摘されている。彼らにチヤホヤされる事で、寂しさと自尊心が満たされたのかも知れない。

 その結果が覚醒剤だ。自らの生き様が招いた結果とは言え、無残で、哀れさえ覚える。清原には、これから長い悔悟の日々が待っている。「人生には代打もリリーフも居ない」とは桑田の言葉だ。自らなえる迷いの縄に、繋いだ身と心を解き放てるのは、自身しか居ない。48歳の彼には、やり直せる可能性は十分にある。心からの反省と覚悟があればだが。

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