伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2016年1月29日: 前立腺ガン治療の全てを終えて GP生

 昨年10月末、腹部に注入したホルモン療法カプセルは、1月末に効能を失い、2年半に亘るガン治療の全てが終了した。昨日、検診のために慈恵医大の泌尿器科を訪れた。帰宅後、発病以来の資料を整理していたら、「前立腺ガン治療記録」なる文書が出てきた。平成25年5月の血尿以降、毎日記載していた治療日記だ。この中で、平成26年の高線量率組織内照射(HDR)による入院治療は、生涯忘れることは無いだろう。以下に、日記を転記する。

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 1月16日 木曜
 午前中入院。午後尿検査。昼飯より絶食。21時に抗生物質クラビットと下剤服用後、水分摂取は厳禁となった。

 1月17日 金曜
 6時起床、病室にて浣腸。7時30分、下肢深部静脈での血栓防止のため、弾性ストッキングを着用。歩行可能になるまでの措置だ。手術着に着替え準備は完了した。

 8時30分、外来手術室に搬送され、HDR針穿刺が始まる。硬膜外麻酔のため背中下部に、皮下麻酔をしてから細管が挿入され、以降、翌日まで麻酔薬が連続注入された。更に、腰椎麻酔により会陰部を中心にした下半身麻酔がなされた。暫くして、下半身の感覚が無くなり、最初に膝頭が、そして爪先が動かなくなった。HDR針は長さ10p、太さ1.5oの中空の白色プラスチック製で、先端が鋭く尖っていた。先端には純金の小片が付いているとの事。直腸にセットしたエコーによる画像をを見ながら、20本の中空針が会陰部から前立腺に一本一本刺されていった。麻酔のお陰で痛みは全く感じず、他人事に思える。前立腺に均等に刺すのは技術を要するだろう。施術者は泌尿器科の主治医Sm先生だ。自分の視野に入ったモニターには、ビッシリと並んだ中空針が確認できた。針の先端に付いた小さな純金片は、前立腺の所定の位置に残置され、マーカーとなる。会陰部から飛び出している針は、軟質の用具で固定され一体化された。尿道に排尿管が挿入され事前準備は完了。次いで、放射線室に移送され、CTを数回撮られ、11時30分に病室に戻された。病室で抗生物質と痛み止めの点滴開始。会陰部の麻酔は効いているので痛みは無いが、なんとも言えない違和感は消えない。

 15時、放射線室に移送され、針位置確認のためCT。前立腺の腫れによる針のずれを修正するためだ。埋め込まれた純金のマーカーを目標に針を修正する。この操作は都合3回行われた。細い中空の管が、中空針内に挿入された。この中を微細な小線源イリジウム192がコンピューター制御で循環される。循環器からのパイプは18本、患部の針は20本のため、小線源循環は2回に分けて行われた。最初の18本は25分、残り2本は5分の照射であった。時間と共に患部が暖まってくるのを感じた。治療中は不動の姿勢だ。時間の経過が極めて遅い。照射線量は9グレイ、治療時間は1時間20分であった。16時30分頃、病室に搬送された。

 17時30分頃、看護師が点滴と排尿の点検に来た時、排尿が止まっているのに気がついた。担当医が来て「尿管の先端部が血腫で詰まっている」と判断し、尿管を交換した。所が今度は尿管ストッパーの風船が破れたとかで再挿入となった。2回目は膀胱内洗浄用の管で手元は枝分かれ、洗浄用の蒸留水を圧入できる構造になっていた。膀胱内洗浄時の圧力水の注入も、とてつもなく苦しい。思わず声を漏らした。洗浄は数回行われ、そのたびに苦痛にさいなまれた 3回目に挿入された排尿管は、膀胱留置用ディスポーザブルカテーテルと称するダブル管であった。1本は洗浄用の生理食塩水注入用、他1本は排出・排尿用だ。太さは通常管の2倍近い。この管の挿入時の痛さは半端ではない。挿入中、うめき続けた。500mlの生理食塩水パック2袋がセットされ、点滴注入が始まった。膀胱内の血液は、血栓生成前に排出されることになる。

 下腹部の痛み緩和のため、麻酔薬の定量注入装置がセットされた。総量50mlの麻酔薬を3ml/時間の割合で精密にコントロールされ、硬膜外注入管に送り込まれた。全ての処置が終わった時は、19時をまわっていた。これらの処置時には、当直医の他、泌尿器科の医師2人、男性介護士2人、女性看護師3人が集まっていた。かなりの容態であったようだ。処置後、翌朝まで、うとうとして過ごした。下半身には20本の針が刺さっている。膝を立てたまま、寝返りは出来ない。夢と現の間を行き来して時の過ぎるのを待った。

 1月18日 土曜
 6時頃、下腹部麻酔薬の注射器が空になり、時間の経過と共に痛みが激しくなった。8時30分、当直医が硬膜外の管に麻酔薬を注入してくれた。救われた思いだ。9時に放射線治療室に搬送され、処置前に2種類の抗生物質の点滴が始まった。針位置修正のCTは3回。18本の針への小線源循環は23分、残り2本へは3分30秒であった。「HDRにより、ガン細胞内の水が分解され、発生した活性酸素によりDNAが破壊される。ガン細胞では全細胞がアトポーシスするが、損傷した正常細胞のDNAは修復されるのでダメージは少ない。この治療でガン細胞の70%がダメージを受けると推察される。」とは、放射線担当のNa医師の説明だ。高線量のイリジウム192は使い捨てになる。原子炉内で製造するので国産品は無く、全量ヨーロッパからの輸入だ。10時45分頃病室に搬送された。

 11時頃、穿刺針の抜針がされた。1本目を抜かれたとき、既に麻酔が切れているので、激痛が走った。後19本と覚悟を決めた時、最初とは比較にならない激痛に見舞われた。一度に17本が抜かれたのだ。次いで残り2本が抜かれた。硬膜外麻酔用の管が背中から抜かれ、抗生物質の点滴が始まった。ストッキングが脱がされ、施術後の措置が完了した。後は、疲れた身体を横たえるのみだ。定期的に点検に来る看護師に聞くと、血尿は続いていた。

 食事は夕食から可となったが、食欲は全くない。看護師が持ってきてくれた食事は最悪だ。エビフライ、あじフライ、ヒジキの煮付け、パサパサの野菜サラダに味噌汁とご飯だ。全部残した。持参したプロテインにビタミンBとC、レシチンを加えシェーカーで攪拌し、ビタミンA、E、コエンザイムQ10と一緒に飲んだ。家人が持ってきてくれた黄粉入りヨーグルトで夕食は終わった。夜は、全てが終わった安堵感からか、落ち着いて眠れた。会陰部の違和感も次第に収まってきた。

 1月19日 日曜
 朝食は7時30分。食パン2枚、牛乳、ブドウ4粒、刻み野菜にマヨネーズだった。野菜を除いて全て食した。プロテインと各種ビタミン類も合わせて摂取した。9時30分頃、当直医の女医さんによる膀胱洗浄後、排尿管が抜かれた。11時頃、自力排尿。血尿50ml排出。排尿カップの底に風船の残骸が沈んでいた。昼食はあんかけ中華そばとバナナ。バナナだけは食べ、プロテインとビタミン類の摂取で済ませた。

 13時頃、2回目の自力排尿。排尿量は80ml、血尿。排尿カップは外で待機していた看護師が持ち帰った。主治医の検査の結果、自力排尿が出来る事、血尿状態が軽微である事から退院許可が下りた。荷物をまとめ、病院前のタクシーに乗車。14時30分頃、自宅着。車中での開放感は素晴らしかった。

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 ともあれ、2年半に亘る前立腺ガンの治療は全て終了した。今後5年間は、3ヶ月おきに検査通院することになる。放射線治療後のPSA値は0.01以下が続いている。5年間のPSA値が2.0を超えなければ完治と判断される。主治医から「あなたが再発しない可能性は8割」と明言された。万が一、再発の場合は、ガン細胞に耐性が出来て効能が無くなるまで、ホルモン療法を続けることになる。ホルモン療法の副作用による、膨れ顔と血中の高い中性脂肪値の解消には、1年近くかかるようだ。排尿障害も少しずつではあるが、解消されつつある。しかし、今後の事は、現時点では人智の及ばない世界だが、再発を防ぐ努力は出来る。

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