伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2015年12月24日: 雑感・那須街道の変貌と放射能 GP生

 東北自動車道の那須ICを出て直進すると一本の街道に突き当たる。これが那須の観光地を南北に縦貫する那須街道だ。北上すると湯本温泉郡を抜け、殺生石で有名な賽の河原を経てロープウエイの登り口に至る。那須観光のメインストリートと言える。

 今月中旬、車を走らせ那須を往復した。目的は、地元業者と家のメンテナンスを打ち合わせするためだ。前立腺ガンの放射線治療による後遺症のため、長距離運転が出来ず、那須にある家を2年間放置せざるを得なかった。林間の家を長期に放置したら、建物内外の荒れ様は想像以上だ。家は那須街道が山間に入る手前、広谷地の交差点を右折して10分ほど走った林の中に在る。自分が走行したのは街道南部側の5qほどで、那須温泉郷の状況は見聞していない。それでも街道左右の変貌に驚かされた。

 旨い湯葉と豆腐を製造している工場が黒磯に在り、この出店が那須街道の東側で営業していた。凝った日本家屋風の建物と広い駐車場が特徴の店で、営業中は紺色の幟がはためいていた。店は交差点の角地に隣接するので迷う事は無い。訪れてみると、豆腐店は土産物用の菓子屋に替わっていた。仕方なく工場の直売所に車を走らせた。家人から土産に湯葉を頼まれていたからだ。所が、工場と屋敷を含め広大な敷地が更地になっていた。20年近く通った直売所と工場が消滅していたのだ。車を降り、呆然として暫く更地を眺めていた。

 街道の両側で、昔から営業していた飲食店が幾つも軒を閉ざしていた。駐車場は進入禁止のチェーンが張られたままだ。昔からの個人商店の酒屋は無くなり、跡地に瀟洒な住宅が建っていた。酒類を扱うのディスカウントショップも壊され、周囲には工事用のフェンスが張り巡らされていた。那須に来る度に、昼食で訪れるレストラン「那須和牛の店」に立ち寄った。昼時にもかかわらず、他に客はおらず自分一人だ。店には30分近く居たが、誰も来なかった。以前は、ウィークデイでも昼時には、観光客が来ていたものだが。

 黒磯の町を走ってみたが、人の姿は殆ど見られない。以前、昼食に何回も立ち寄った駅前のそば屋は廃業していた。営業をしていない商店はあちこちに見られた。黒磯もシャッター商店街への道を進んでいるのだろうか。老舗の温泉まんじゅう屋に立ち寄ったが、客は自分のみ、大きな駐車場には自分の車だけだった。市街地の車は少なく、以前は、時間待ちする交差点も滞る事は無かった。那須街道でも走る車の数は少ない。ウイークデイであることを考慮しても、観光客が少ないのだろう。昔から、那須・黒磯地区は観光客と別荘の住人で保っている町なのに。

 久し振りに懇意にしている燃料店に立ち寄った。別荘にプロパンガスを供給している店だ。顔なじみの店主の奥さんからコーヒーをご馳走になり、雑談を交わした。3.11の後、那須町の観光客は激減したという。福島第一での何回目かの水素爆発で、風向きが内陸部に向かい、福島県から栃木県北部、更に群馬県を経て静岡県まで放射能で汚染されたことがあった。栃木県北部は、一般住宅地はもとより、那須高原の別荘地や観光地も汚染地区となった。汚染が喧伝された結果、観光地那須のイメージダウンが著しかったようだ。町の各所に線量計が設置され、常時線量が掲示されているとの事だ。この店でも線量計を購入して、客先の現場で測定していると話してくれた。

 昨年の6月、那須町役場から「除染実施同意書」なる文書が送られてきた。住宅敷地や雨樋等での放射線量測定と基準値を超えた場合の除染方法、及び除染により発生した土壌や落ち葉等の処理方法等に同意を求める書類であった。計測及び除染の実施は国際航業(株)に委託していると有った。玄関、庭、駐車場、落ち葉等では地表100pでの空間線量が0.23μSv/h以上の場合には、除染の対象になると記されていた。

 除染前の測定結果は、玄関:0.27、庭:最高値0.30、駐車場:0.25μSv/hで、生活空間の平均線量は0.27μSv/hであった。基準を超えているので当然除染の対象となった。今年の7月に除染結果の報告書が届いた。除染後の空間線量は平均0.19μSv/hで、年換算1.66mSvに低下した。発生した除去物は庭の隅に埋設された。この場所の線量は0.16μSv/hであった。役場の放射線対策課にお礼の電話をかけた。燃料店の奥さんにこの話をすると、「役場には、お礼の電話より、除染の仕方が悪いから、まだ線量が高いとの苦情の方が多い」と聞かされた。除染前の平均線量を年間線量に換算すると2.36mSv、除染基準との差は僅か0.36mSv/年だ。他の別荘地も恐らく似たような値であろう。線量が低いに越したことは無いが、問題は人体に対する影響の有無だ。

 3.11の後、放射線量と人体の関係を調べたことがある。年間100mSv以下だと発ガンとの関連性は確認されず、自然放射線量の10倍程度は安全性に問題がない事を思いだした。人体が自然界から受ける線量は2.4mSv程度と言われているから、年間24mSv以下の放射線量であれば心配無用なのだ。低線量放射線に関しての認識が進まない限り、住民の不安は解消されない。

 青森県の玉川温泉は、ガン治療に効果がある事が知られている。治療の根源は自然由来の放射線だ。線量は4~5μSv/h、年間35~44mSvだ。全身に転移したガンは抗ガン剤しか治療手段が無いが、完治する見込みの無い治療法だ。玉川温泉で横になれば、万遍なく放射線を浴びる事で、全身に放射線治療が受けられる。最新の放射線治療器でも出来ない芸当だ。ガン細胞は天然放射線によりアトポーシスに追いやられる。正常細胞も放射線の影響を受けるが、この程度の線量では心配ない。人体は正常細胞のDNAが損傷すると修復機能が働いたり、修復できないときは細胞を自然死させ、放射線の影響は完全に排除されるからだ。10mSv程度の微線量を生物が浴びると、生体は防護タンパクの産生を開始するから、その後、中程度の線量に被爆しても防御態勢がとれるそうだ。これはホルミシス効果と呼ばれている。家の庭は除染前、最大値は2.6mSv/年だ。玉川温泉に行かずとも庭に横たわり、前立腺ガンの治療に役立てたいが、如何せん線量が弱すぎる。

 線量は少なければ少ないほど良い」は間違でないが、数値が少々高くとも徒に恐怖する必要はない。天然の放射線は無害で有用だが、人工の放射線は微量でも有害だとの考えは無理筋だ。那須町では広範囲の地域で除染が行われた。国の補助を受けての事だろうが、住民の「安心」の為とは言え、無駄遣いに思える。例えば、20mSv/年の半分、10mSv/年以上を除染基準にしたとしたら、那須町の殆どの地域で除染の必要は無くなっただろう。「安全」と「安心」は全く違う概念だ。

 那須街道の変貌を招いたのは、一次的には福島第一の原発事故であっても、二次的には、人体に対する放射線の影響を正しく啓蒙することなく、人為的に基準値を低位に設定した民主党菅内閣の責任だ。国民感情におもね、迎合した愚かな判断だ。那須の風評被害は、時の経過と共に薄れて行くにしても、原発周辺の被爆地と言われる地域は低基準に縛られ、住民の帰還は何時になるか分からない。今更、基準を変えられないだろうが、低濃度放射線が人体に及ぼす影響の真実を知れば、多くの人達が不安から解放されると思うのだが。

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