伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2015年11月23日 エレベターリニューアル工事の顛末 GP生

 自分は6階建てマンションの最上階に住んでいる。階層当たりの部屋数が少ないので、エレベーターは1基のみだ。近隣のマンションを見ても、エレベーター無しは3階建てまで。健常者であれば3階までは、エレベーター無しでも生活に不自由は感じない。6階に向かって、階段を登ってみると良く分かる。一息つくのが3階だ。低層階マンションでも、4階以上建物にはエレベーターは必須だ。

 今年の春のことだ。エレベーター会社の営業担当者が訪ねてきた。エレベーターは、月1回の法定点検が義務付けられているので、点検要員とは顔見知りだが、見知らぬ顔だ。「何事だろう」と思いながら話を聞いた。「お宅のエレベーターは築25年以上が過ぎています。消耗部品の供給は25年が限度です。エレベーターを更新しませんか」と言われた。

 予想外のことであった。「今、考えられる消耗部品を全て変えた時の費用は?」と尋ねると、数百万円だという。しかも、年数の保証は出来ないと言われた。部品個々の耐用年数は様々だ。新たに、更新した部品の一つが消耗して、要交換になった時、部品供給が不可なら他の部品が正常でも、エレベーターは使用不能になる。メーカーが保証できないのは当然だ。アバウトのリニューアル工事費用を聞くと、即答できない額だ。資料を貰い、「考えさせて貰いたい」と返答した。

 最大の問題は工事資金の手当てだ。この手の工事は三回払いが通常だ。契約時,中間時、検収・引渡時に各1/3の支払だ。現役時代に長年、設備の売手側で経験したことが、逆の立場になった。通常、資金手当の方法は二つだ。一つは全額自己資金、他の一つは融資を受けることだ。全額自己資金で対応できれば苦労はないが、無理だ。新たな融資はマンション経営にとって大きな負担となる。さて如何するか、深刻に考えざるを得なくなった。

 通常、エレベーター会社は自社系列の融資機関を持っている。日を改め、営業担当に融資条件を尋ねた。金利は予想以上に高かった上、返済期間も短かった。エレベーター専用ローンであれば有利であろうとの予測は裏切られた。次いで、自分が長年お世話になっている銀行の窓口を訪れた。20年以上前に、マンションのローンを相談した窓口だ。融資担当者は、今年2月にマンションローンの延長交渉をした女性だった。若いが、非常に優秀であるとの印象が残っている。趣旨を説明すると、融資は可能、返済期間はフレキシブルに対応出来るとの返事であった。問題の金利は、エレベーター会社の利率より低いが、悩ましい数値であった。金利の話をしているとき、彼女から「小規模企業小口資金」を利用してはどうかと提案された。中小企業が事業設備投資を行う際、区が金利の大部分を補助してくれる制度だという。当事者の負担金利はコンマ以下だ。但し、返済期間は最大9年、貸出額に限度がある。話を聞いて、これしかないと確信した。

 早速、区の担当部署にアポを取り訪問した。エレベーター更新工事資金が必要だと話すと、問題なく融資できるとのことであった。但し、非賃貸の6階は対象外となるので、融資限度額は最大規定額の83%であった。申込書に添付する書類として、前年度の確定申告書、住民税と個人事業税の納付証明書を要求された。窓口での手続きを終えると、融資の実務は全て銀行の仕事になった。区は銀行に補助金利を支払うだけだ。最終的に工事費の80%の融資を受けることにした。全ての手続きを終え、エレベーター会社と工事契約を結んだのは、6月の中旬を過ぎていた。

 工事期間中、エレベーターの使用が出来ないので、上り下りは階段となる。殆どのマンション住人は若い人が多いし、幼稚園児2人の家族は2階の居住だ。問題は5階に住む、少し足の不自由な中年男性と家人だ。この男性に、工事によりエレベーターが使えない旨説明すると、「リハビリを兼ねて階段を上り下りするから、心配は無用だ」との返事で、安堵した。問題は家人だ。下りはともかく、登りには全く自信が持てないとのことで頭を抱えた。

 着工は9月末と決まった。8月、9月の暑い盛りの階段使用を避けるためだ。工程は、旧設備の撤去に1週間、新設備工事に2週間、試運転調整に1週間との説明であった。新エレベーターのケージや扉の色は発注側の選択に任されている。色見本から選ぶのだが、小さなサンプルから全体像を想像するしかない。色の選択は息子と家人に委ねた。自分は、家庭内で色彩感覚無しと決めつけられているからだ。工事中の階段昇降対策のため、3,4,5階に折りたたみ式の椅子と荷物置き台を準備した。マンションの住人の顔を思い浮かべると、誰も休憩所を利用しないことが想像できた。恐らく、家人専用休憩所になるだろう。着工前にリニューアル工事の掲示を各所に張り、事前準備は終わった。

 既存のエレベーターは油圧式と呼ばれる方式で、当時の小規模マンションでは主流であった。高圧オイルをエレベーターシャフト内の配管に送り、エレベーターを上下させる機構だ。オイルは常に一定温度を保つ必要があるので、必要階に至ったケージを1階に戻し、オイルをタンクに戻す機構になっている。利点は、ケージの昇降が極めて静かなこと、屋上に機械室を設ける必要がないことだ。欠点は油圧ポンプの稼働に大きな動力を要し、電気代が高くなることだ。新しいエレベーターの機構や構造の説明を受けて目を見張った。エレベーターシャフト内に全ての設備が収まってしまい、モーターと減速機はシャフト天井近くに、配電操作盤はシャフト壁面への取付だ。動力は従来の1/7以下であった。技術の進歩を見る思いであった。

 既設の撤去から工事が始まった。エントランスの養生や撤去品の運搬には、多くの人が動員されていた。指揮はエレベーター会社の主任技術者で、現場の叩き上げの感がする大柄の男性だ。大卒の技術屋に無い迫力を持っていた。話をしている内に、この人なら安心して任せらるとの信頼感を持てた。新エレベーターの組み立ては、中年の技術屋2人が担当だ。2人とも極めて寡黙で、黙々と仕事をこなして行く姿に好感を持った。工事中、好奇心から中を覗き、設備について質問すると懇切に答えてくれた。エレベーター会社の作業衣を来ていたが、2人とも下請会社の技術者であった。組み立てられていく設備と会話から、この二人が優秀なエレベーター技術者である事がよく分かった。彼らの様な現場の職人芸が技術立国日本を支えているのだろう。

 問題は階段の上り下りだ。自分は一日5,6回は上下する。何回も繰り返すと、流石に外出するのが億劫になる。気の毒なのは、宅配便屋や出前持ちだ。「ご苦労さん。申し訳ありません。」と声をかけているが、彼らの労苦に頭が下がる。間違えた荷物を取替に、2往復した配達人もいた。家人は1週間でダウンした。途中階で何階も休憩しても駄目だった。階段を登らなくてはとのプレッシャーも重なったのかも知れない。昔、重いキスリングを背負って、何時終わるかも知れない山道を登るときは、「上を見ないで何も考えず、足元のみを見て歩いた」事を思いだした。階段の上りも同様だ。両手に荷物を持っているときは、階数表示を見ないようにしていた。それでも、一息入れるのは4階であった。自分の歳を自覚する瞬間でもある。家人は3日に1度の外出となった。

 10月末、エレベーターの引渡を受けた。油圧式に比べ加速が速く、しかも静かだ。何よりも安定した日常が戻ってきたのは喜びだ。動力の減による、東電への基本料金変更手続きは、素人では出来ず有資格者に依頼した。手数料は想定外の出費となった。それでも、エレベーターのリニューアルは終わった。25年後には、エレベーターを交換するか、建物を建て替えるかで悩むのは自分ではない。次の世代の仕事だ。今は、エレベーターリニューアル工事の完成を喜びたい。

 TG君のお宅を訪問し、リビングでの四方山話で寛げる要因の1つは、窓から地面と庭木が見える環境にある。マンションの最上階からの展望は確かに良いが、目に入るのは人工物の風景だ。人の心は人工物では癒やされないものだ。終の棲家がエレベーターひとつで、脅かされる環境にあることを思うと寂しさを覚える。人は地面に接する生活が、本来のものであると感じた1ヶ月であった。

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