伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2015年11月14日: 我が第二の故郷 嬬恋村の冬(その2) U.H.

(志賀高原の紅葉)

 とうとう11月に入り、首都方面でも朝晩は相当寒くなってきました。 小生は、4月下旬から11月始めにかけて群馬県嬬恋村の標高千百メートルにある山荘と川崎の本宅を往復して暮らすようにしておりますが、10月末日になって朝の最低気温が零下になったのをしおに、昨日「山荘の冬終い」をして帰ってきました。

 今年の山荘滞在日数は64日、そのほかに山荘を起点に信州や山梨、群馬などの宿泊施設に遊んだ日が12日ありましたので、合計して76日を山荘および周辺で過ごした勘定になります。


(友人宅に吊した渋柿)

 昨年は、11月始めに本宅へ帰る際に家内が渋柿を山荘のベランダに吊して帰ったのでしたが、12月始めに収穫に行ったところすべてが四つ足動物にさらわれていました。家内の干し柿好きは極めつけのもので、毎年繰り返してチャレンジしてきました。三年前でしたが、買って帰った渋柿を川崎ののマンションのベランダに干しましたが、気温が高いためか、出来上がりがイマイチでした。

 一昨年は思いついて、山荘のベランダに干したまま帰宅し、12月始めに山荘を訪れたところ、それはそれはすばらしい出来映えの干し柿になっておりました。それに味を占めた家内は、昨年も同様に山荘のベランダに干して帰りましたが、前述のようなはめに。昨年の場合、山荘を冬終いする際に業者にメンテナンス仕事を依頼して帰りました。業者が仕事をしていた二週間ほどの期間中柿は無事だったようです。そしてその後になって持ち去られ、ベランダには大型動物の四つ足が残されていたので、おそらく鹿にやられたのだと想定されました。

(道中の戸隠連山)

 この話には、いくつかの後日談があります。 この秋、家内と山荘から車で出かけた際に、ごく近い辺りで、立派な角をたくわえた牡鹿が雌鹿二頭を従えて悠然と飛んでいきました。それを見た家内は、我が家の柿を持ち去ったのはあの鹿に違いないと叫んだものです。同じ鹿かどうか、定かではないのですが、立派な鹿が近くで暮らしているのはたしかなので、何となく納得したのでしょう。

 さて今年です。家内は、いったん今年の干し柿造りを諦めた風でしたが、そこは愛妻家の小生が知恵を絞りました。軽井沢・大日向に山荘を構える友人夫妻が、寒くなっても週の半分は滞在されているのに目を付け共同作業で干し柿を造ること、その際に山荘の軒下を半分貸して貰う件を談判しました。幸い、その友人夫妻も干し柿造りに興味を持ってくれて快諾されたので、今年も実行できることになりました。

(ペンション「てくてく」の和食の前菜)

 10月26日、家内と山荘を出発して志賀高原を越え、笠ヶ岳から山田牧場を抜けて高山村に下り、当地のブランド渋柿である「やしま」を二箱購入致しました。一箱約40個入っておよそ10キロ強。縦長の大きな立派な柿です。このくらい大きな柿でないと、干し柿が小さくなってつまりません。この「渋柿買い」の道中は贅沢なもので、紅葉を愛でながら斑尾高原の行きつけのペンション「てくてく」に一泊し和食の美味しい料理を頂きました。さらに翌日は野尻湖から戸隠連山から白馬村に抜けてオーベルジュ&ホテル「トロイメライ」に一泊し、ワインとフレンチを。やっと三日目に軽井沢・大日向の友人宅に渋柿を届けた次第です。12月始めに友人宅を収穫に訪れるつもりですが、美味しい干し柿が出来るのが楽しみです。

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