伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2015年10月17日: 大学教育と教育格差 T.G.

 会社の1年後輩からメールが届いた。「会社を辞め、15年前に故郷の鹿児島に引き込んだ。今週入社したときの部署の同窓会がある。T.Gさんが参加するなら当方も鹿児島から上京する。二度の大病を煩い、これが最後の機会と思う。ぜひ会いたい」と言う切々たる文面である。入社直後の配属部署は50年前のこと。部署はすでになく、彼以外ほとんど憶えていない。同窓会はどうでもいいが、彼にそうまで言われては欠席する訳にはいかない。久し振りに電車に乗って上京した。

 待ち合わせ場所に行くと、でっぷり太って赤ら顔のK君が待っている。とても二度の大病を患ったようには見えない。同窓会が始まるまでしばらく互いの旧交を温めた。入社直後に会社が東北大学から大型コンピュータを受注し、その担当SEとしてK君と二人で仙台に派遣された。入社2年目の新米SEである。ユーザである大学の先生方との折衝や、引き連れて行った派遣社員(50年前も派遣社員がいた!)の管理に悪戦苦闘した。それもあってK君とは一種の戦友意識がある。以来彼とは同じ仕事をしたことはないが、昔話に花が咲いた。

 聞くと会社を辞めてから会社をいくつか作り、鹿児島に4社、東京に1社。それでたびたび上京する。メールでああ書いたのは、そうでも言わないとGさんが出てこないからと言う。大病は事実で、大腸癌と前立腺癌を患ったという。苦労話が会社経営から、闘病、子育てに話が及んだ。三人の子供を大学に行かせたら、会社の給料ではとても足りず、そこら中から借金して、退職金はすべて借金返済に消えたという。当方は子供一人なので、それほどではなかったが、三人いたら確かに大変だっただろう。安月給の時期に教育費が三倍かかるのだから。

 昨今の少子化の原因の一つが高額な教育費だという。子供一人を大学まで行かせると国公立で750万円、私立で2000万円かかると言われる。その中間を取っても1500万円である。3人だと4500万円。とても安サラリーマンにまかなえる金額ではない。それを思うと子供など産めない。 K君のような一流大企業(20年前はそうだった)の正社員でさえそうなら、非正規社員には不可能だ。結婚も躊躇する。その結果が少子化である。しかしながら金持ちには4500万円なんて屁でもない。それゆえ格差が出来る。これが昨今の教育格差問題である。

 自分はすべて国公立だったが、50年前の大学の授業料は年間わずか9600円。仙台では寮に入り、寮費を含めて親からの仕送りが月に1万円。それでもG君はブルジョアだと、寮生仲間に言われた。ほとんどが仕送り5千円以下。中には仕送りのない寮生も少なくなかった。育英会の奨学金と家庭教師のアルバイトでなんとかやっていた。“ブルジョア”のT.G.君”ですら、授業料、生活費を含めて年間13万円で済んだのだ。4年間で50万円として、今の国公立コース750万円の15分の1である。仙台での生活費分を除く純教育費としては50分の1以下である。現在の国立大学の授業料は4年間で240万円だから、授業料比較だと60分の1。ほぼ合致している。物価が当時の10倍として、それを計算にれても6分の1である。だから貧乏人の子弟でも大学に行けた。大学で金持ちの友人など見たこともなかった。それが今は違う。

 なぜこんなに教育費が高くなったのか。何かが間違っているのではないか。昔は国立大学の授業料が安かったので、自分のような貧乏人の子供でも大学に行けた。今は東大の学生の大半は裕福な家庭の子弟だという。貧乏人は入れないという。東大入試に合格するためには小学生の頃から塾通いしなければならない。その費用が貧乏人には払えない金額だという。だから頭がいいだけでは東大には入れないそうである。今時の教育費は授業料だけではないのだ。だから教育格差が出来る。なぜそんなおかしなことになったのか。何かが間違っている。

 授業料が240万というのも大きい。私立とさして変わらない。昔は私立の10分の1だった。文科省はなぜこんな授業料にしたのか。授業料240万円では貧乏人は大学に行けない。明治以来、国立大学は貧乏人にも門を開いていたはずだ。昔に比べて物価が10倍違うが、授業料は60倍違う。いくら何でも高すぎる。せいぜい物価比較で10倍の40万円に止めるべきだ。昔はそれで立派に国立大学経営ができていた。今の金持ち日本に同じことができないのはおかしい。何かが間違っている。よしんば差額の200万円が必要だったとして、国立大学の学生数60万人分でわずか1兆円。少子化対策を考えれば安いものだ。金持ち日本にそのくらいの金が出せないわけではなかろう。

 百歩譲って金がかかるとして、官民合わせてそれだけ大学教育に金を注ぎ込んで、大学の水準が上がるならまだ許せるが、最新の世界大学ランキングによると、東大、京大は北京大学やソウル大学よりランクが下。シンガポール大学や香港大学に遠く及ばないという。ランキングには国際化の評価も含まれているが、それを差し引いてもこの体たらく。日本の大学レベルは明らかに低下している。文科省は何をやっているのか。国民は大学教育をどう考えているのか。ノーベル賞で浮かれ騒いでいるが、受賞者はいずれも授業料が安かった時代の国立大学の学生である。授業料が馬鹿高い、金持ち日本の低レベル大学からは、ノーベル賞が出そうもない。そういう心配が出始めている。

 最近の文科省は、大学の独立行政法人化や人文社会系学部の縮小廃止など、やたら効率重視に傾いている。それが大学のレベル低下に繋がっている。教育格差と少子化を来すほど高い授業料を取っておいて、あげくにレベル低下では話にならない。オリンピックの不始末を見ても、最近の文科省は何かおかしい。志が感じられない。目的をはき違えている。とても日本の教育を任せる気にはならない。抜本的な組織改編が必要だ。それが出来なければ廃止した方が日本のためだ。教育は国家百年の計なのだ。

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