伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2015年6月14日: 「ドイツ帝国」が世界を破滅させる! T.G.

 駅前の書店でエマニュエル・トッドの新書、「ドイツ帝国が世界を崩壊させる」を買う。前から読んでみたい本だった。トッドはフランスの人口学者にして歴史学者、現代最高の知性の一人である。大統領も彼の発言には一目置く。彼は76年の著作「最後の転落」で10年後のソ連崩壊を予言し、同じく2002年の「帝国以降」で2008年のリーマンショックによるアメリカの衰退を予言した。いずれも的確きわまりない近未来予測であった。今回の予測も、トッドらしいリアルな考察に基づいていて、極めて刺激的でスリリングである。東アジアで中国の脅威ばかりに目を奪われていた我々には、目から鱗が落ちる内容である。

 トッドによれば、EUを通じたドイツによるヨーロッパの経済支配はほぼ完成していると言う。フランスはすでにドイツに服従しており、オランドはドイツの副首相に過ぎない。イギリスはEUから離脱しようとしている。EU外の元共産圏諸国はドイツに安い労働力を提供する経済植民地になっており、そこで安価に作られた製品をスペインやイタリアなど域内に輸出してEUの富を収奪している。EUの中央銀行はドイツのコントロール下にあり、ドイツ以外の国は自らの金融財政政策を講じることが出来ない。この傾向は後戻りできないので、ドイツの支配はますます強まる。「ドイツ帝国」によるヨーロッパ支配はすでに現実である。強大化した「ドイツ帝国」に対抗できるのはアメリカしかない。いずれはヴィルヘルム二世のドイツ、ヒットラードイツと同じように、メルケルドイツが世界を二分してアメリカと対峙することになるだろう、と言う大胆な予測である。

 そうなった原因は、ドイツ人特有の民族的資質と、NATOを介したアメリカの軍事力のただ乗りにあるという。植民地支配には強大な軍事力が必要である。ソ連が崩壊したのは、共産圏を支配下にとどめ置くための巨大軍事費と、その見返りである経済利益が釣り合わなかったからだ。日本の満州朝鮮も然りである。メルケルドイツは、NATOによるアメリカの軍事力と核抑止力を利用することで、ほとんど軍事費を使わず、ヨーロッパの経済支配を確立した。ドイツ軍は核武装していないが、国内にアメリカの核ミサイルが配備されている。事実上核武装しているのと同じである。いつまでたっても広島長崎の核ヒステリーを脱せない日本とは大違いだ。

 もう一つのドイツ民族の資質についてである。トッドによれば、ドイツが持つ組織力と経済的規律は途方もなく質が高く、フランスなど他国が真似できない。このドイツの資質は直系家族の家族形態から来るもので、権威、不平等、規律などの社会的価値観につながっている。その意味で日本とドイツは似ているという。家族構成や産業力の逞しさ、それが生み出す貿易黒字などである。フランス文化はその対極にある。価値観と自由平等を重んじる。ゆえにドイツのように一枚岩になれない。それに加えてドイツには「とてつもない政治的非合理性のポテンシャル」が潜んでいるという。このことは力を蓄えたドイツが、常にその力を国際政治の場で発散させたことを指すのだろう。強大ドイツに隣り合う、フランス人トッドの恐怖、畏敬が感じられる。

 戦後ドイツが初めてアメリカの支配から脱したのは、2003年のイラク戦争時である。時の首相シュレーダーはブッシュのイラク戦争に同調せず、袂を分かち、軍を派遣しなかった。日本同様ドイツを保護領と見なしていたアメリカにとって、飼い犬に手を噛まれた気分だったに違いない。

 その後メルケル首相は自らキエフに乗り込み、未だ人件費が安いウクライナ労働市場の、ドイツ経済への取り込みに乗り出した。いわば経済植民地化である。またガスパイプラインを含め、アメリカを通さずプーチンと直接交渉を始めた。パイプラインの終端はすべてドイツ領内にある。いわば戦わずして得たドイツの戦利品なのだ。その結果「オバマアメリカはドイツのコントロールを失い、ウクライナ問題でドイツに追従するようになった」。今やロシア以西のヨーロッパを支配する「ドイツ帝国」の完成である。同じ敗戦国日本が、逆立ちしても真似が出来ない大技である。従軍慰安婦ごときでおたおたし、小児病的な安保法制の神学論争に明け暮れる日本は遠く及ばない。メルケルの爪の垢を煎じて飲ませたい。

 なぜかトッドは中国をあまり評価していない。それどころか「経済成長の瓦解と大きな危機の寸前にいる」と考え、「軍事的には未ださほどの存在ではない」と見ている。技術の劣る中国は単独で日米の軍事力に対抗できないと言う。また中国が大国として経済覇権を握るには、日本の産業力と技術力が不可欠とも言う。中国にはそれがないからだ。メルケルドイツが中国に接近しているのは、中国から利益をかすめ取るのが目的で、中国と組んでアメリカと対抗する気はないと言う。今のAIIBにもつながる話だろう。中国膨張から圧迫を受ける我々アジア人の恐怖心とは隔たりがある。

 またトッドはロシアに対して意外にも好意的である。「最後の転落」でソ連の崩壊を予見したが、今のロシアは幼児の死亡率も低下し、人口も増え始め、社会的安定に向かっているという。プーチンは見かけによらず自制的で、覇権に向かう気はない。ロシアは大きな現状維持勢力である。その結果「アメリカとロシアのパートナーシップが、ドイツ帝国に起因する世界的無秩序への沈没を防止する唯一の手段」と結論づける。要するにドイツ帝国とアメリカの間で巻き起こる破滅的な軋轢(第三次世界大戦?)は、ロシアの存在が緩和するだろうと見ている。極めて大きな、地球規模の地政学的考察である。

 はたして世界はトッドの言うとおりになるだろうか。ここ30年来の、二度の世界的巨大変動を看破したトッドの近未来予測だから、あながち否定は出来ない。かなりの蓋然性は認めざるを得ない。ヒットラードイツと同じく、メルケルドイツは溜め込んだ力の暴発を理性と合理性で止められない。それがドイツ民族の政治的宿命だとすると、世界は再び混沌に陥ることになる。ドイツ人の資質、産業力、技術力、暴発のエネルギーは、中国など遠く及ばない。ドイツ恐るべし。

 そういう世界史的地殻変動から目をそらし、悠長な集団的自衛権のお花畑論争に明け暮れる日本人は、いったい何処へ行くつもりなのだろう。トッドは日本に対して、集団的自衛権どころか核武装をも奨めている。それなくして東アジアでの自立は不可能だと。国際政治はメルヘンではなく現実なのだ。

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