伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2015年3月19日: 父と子の確執と理解 GP生

 大塚家具を巡る父親と娘の確執が、いよいよ佳境に入った。3月の家具の需要期に顧客離れが続いているとも報じられている。外部の人間には興味ある面白い紛争だが、社員はたまらない。父と娘の何れが、会社の経営権を握るかの決戦場が株主総会だ。近々決着が付くだろう。

 大塚家具の父と娘、それそれのインタビュー記事を読んだ。会社の経営方針の違いはともかくとして、父親と娘の心情の違いが分かり、興味深く読ませて貰った。一代で小さな家具屋から、社員1700人を擁する大規模家具販売会社に発展させたのは、創業者たる父親だ。社員は自分の子供と称したり、会見時に幹部社員をずらり並べるパフォーマンスは、会社は自分の物である思いの現れであろう。一方娘の話からは社外取締役を入れたり、取締役会の形骸化を改めたりで、会社は社会の公器との認識が感じられた。

 会社の売上額が増加し、利益の増大が継続すれば、会社の経営方針は正しい事になる。父親の経営方針と娘とのそれの、どちらが正しいかは、門外漢には分からない。ただ、創業時からの成功体験を有する父と、会社に対する私情を挟まず、冷徹な経営に徹する娘との意識ギャップは極めて大きい。父は娘を理解できず、娘もまた父親の感覚に非現代性を感じているのかもしれない。父が娘に社長の座を譲るとき、娘の経営観を知らなかったのだろうか。優秀な娘に対する期待が強過ぎたのだろうか。今回の混乱の元凶は父親にある。自らの意思で後継者を定め、結果が意に沿わぬとして、その後継者を排除しようとするのは、「会社は自分の物」との意識に根源があるからだ。

 如何なる人間でも、必ずこの世を去らざるを得ない。個人差はあっても、70代は人生最後の節目だと想っている。71歳の父親にも、その意識があったからこそ、5年前に娘を後継者に定めた。父親が現在70代の後半であったら、対応は異なっていただろう。インタビュー記事を見ても、父親は元気溌剌としている。父親の闘争心は本来の物だろう。これなくして、会社の創業、発展はあり得なかった。加齢により、気力がもう少し衰えていたら、今回の騒動も起こりえなかったと思えるのだが。

 大塚家具に限らず、巷には父と子の確執は多い。自分の家業を長年に亘り支えてくれた不動産会社がある。社長は自分と同年配であるから70代半ばだ。10年近く前から、後継者の息子と一緒に仕事をしている。息子は元建築設計士で、現在40代半ばの働き盛りだ。息子が仕事に習熟すると会社の経営に意見を持つようになった。後継者に意欲があれば当然の成り行きだが、父親は息子の提案に尽く異を唱えていた。自分の目の前で議論する事もあった。集客方法が店頭掲示のビラから、ネットに変わる時期であった。父親はネットの持つ意義を理解が出来なかったようだ。

 ネット以外でも、世の中の趨勢に併せて変化しなければならない事も多い。この変化に、息子は敏感に対応しようとするのだが、父親の賛同が得られない。外部から見ていて、父親は過去の成功体験から抜け出せないで居るように思えた。父親は自分にない能力を有する息子に対して、競争心を持っていたのかもしれない。過去の経験に縛られない息子の発想は、自由で頭脳も硬直化していない。最近では、息子は、意見が通らない現実に妥協して、仕事に対する意欲を衰えさせている様にも思える。

 昨年秋、自分のマンションから沢山の退出者をみた。皆、30代の後半で分譲マンション購入が理由であるから、やむを得ない事だ。次の入居者が決まれば問題は無いのだが、この不動産会社の仕事ぶりを見ていて、入居者獲得は無理だと判断した。集客能力が低下していたからだ。長年に亘るお付き合いだとしても、心中する訳にはいかない。自分の住む町で大手のHa不動産と提携した。この経過は、以前日誌に書いた。この不動産会社は、長年提携してきた大家を失った。大塚家具と会社の規模は異なっても、内蔵している問題は一緒だ。大塚家具の救いは、娘が会社に対する強い責任感を有し、経営意欲を失っていない事だ。

 一般の家庭でも、父と子の確執は多かれ少なかれ存在する。父と子の人格と人生経験が異なるのだから、生き方に違いがあって当然だ。父と子が独立し、それぞれ別世帯で生計を立てていれば、何ら問題は生じない。父親が加齢や病により自立した生活が出来ない時、父と子はそれぞれの置かれた立場を真剣に考えざるを得なくなる。父親がすべき事は、親としての矜恃を保ちつつ、我を捨て去る事だ。これは中々難しい事ではある。

 自分の場合を考えても、職人上がりの父は、頑固で融通の利かない超が付く真面目人間であった。自分が成人しても、父との話は世間話の域を出なかった。たまに家業の話をしても、父の話をただ聞くだけであった。けれど、父の意見に一度だけ反対した事があった。父が信頼していた建築会社の社長の提案を受け、父は所有する土地の再開発計画に乗ろうとした時だ。地上権を有する家主と共同でビルを建築しようとする計画であった。詳細を知って、建築会社が最大の利益享受者で、リスクは全て父に負わされていると知った。建築後に共同所有の建物の管理の事もあり、後継者たる自分が、将来問題を抱える事も想像できた。父を説得してこの計画を潰した。それ以来、自分はこの社長から恨まれ、疎まれた。こけ以外、父に反論した事はない。頑固な父が自分を認めてくれたのは、この経験があって以降の事のように思える。

 父と子供が理解し認め合うには、切っ掛けが必要に思える。父と子供の人生が何処かで交差して、理解し合える環境は時の流れの中で生じる。この時、父にとって、それまでの子供との触れ合いが試される事になる。子供が誕生てから成人するまで、父親がどのように子供に接してきたかが、将来の父と子の関係を決めるからだ。忙しさにかまけ、親子の触れ合いを怠ったり、疎かにしたとしたら、時が経っても、双方理解し合えないかもしれない。大塚家具の父と娘の歴史は分からない。報じられている骨肉の争いを見れば、父親の責任は大きいと言わざるを得ない。

 今の自分と子供達の間には確執らしいものはない。人生観と経験の違いによる考え方や意見の違いは当然ある。自分も後数年は、現在と同様な仕事は出来ると思うが、明日を約束できないのが老人だ。今年に入って、終活ではないが、世代交代の準備を少しずつ進めている。息子も、その辺は理解して協力している。昨年秋、27歳の不動産業の青年に刺激を受け、家業に対する新鮮な刺激を受けた。今年に入り、27歳の銀行の融資担当女性と交渉を始め、思う方向に事が運んだ。有能なこの女性に、刺激を受けた自分は、更に事業意欲を新たにした。ささやかな家業であっても、後を受け継ぐ子供達の苦労が、より少なくなるよう、もう少し頑張ってみるつもりだ。

 大塚家具の父親としての心情に共感を覚えても、高齢者にとっては反面教師でもある。自らの思いに執着するあまり、後を託した我が子の経営方針に異を唱え、社員や株主までをも巻き込み、我を通そうとする行為は、人としての晩節を汚す事になる。今の父親の心は、娘に対する怒りと憎悪が満ちあふれている事だろう。相手に投げた怒りや憎しみは、自らに跳ね返ってくるのがこの世の摂理だ。株主総会で如何なる決着が付こうと、父親の心は真に満たされる事は無いだろう。心の何処かに、相手が我が子であるが故の忸怩たる思いが有る筈だからだ。如何なる結論が出ようと、父と娘の心は無傷では居られない。父親が、今の心を持ち続ける限り、残された人生のみならず、死後の世界でも自らの過ちにさいなまれる事になるろう。70代は自らの人生を総括する年代でもある。この親子の悲劇は、高齢期を生きる者にとって他山の石とすべきであろう。

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