伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2015年3月15日: 故人の供養と仏事 GP生

 先日、亡き両親の法要を檀家寺で行った。父は23回忌、母13回忌だ。両親の死去に10年の差が有り、亡くなった月に大きな差異が無いので、今までも、両親併せての法要を行ってきた。次回の法要迄に、自分を含め近親者が、如何なっているか予測の限りではない。熟慮した結果、両親の法要は今回を以て終了と決めた。以前は、33回忌をもって法事を終了するところが多かったが、長寿の親を持つと叶わぬ事に成る。

 法事は、故人の冥福を祈り、霊を慰める行為で、追善供養とも言われている。故人が、あの世で良い報いを受けるよう祈り、供養する仏事だ。法事は、住職の読経で始まった。何時も、お経の内容は全く理解できない。最後の方で、両親の戒名が読まれたから、何らかの供養の言葉が続いたのだろう。お経は分からないから有難いのだという人も居る。般若心経や観音経は良く耳にするが、それ以外のお経は全く分からない。

 法要の前に、お布施袋、献花、お供物、それに両親の位牌をお寺に手渡した。問題は、お布施の中身だ。相場は有って無いようなものだ。喪主の志次第だからだ。以前から自分は、お布施の額を葬儀と法事に分けて、それぞれ決めている。本堂に入ると、壁の一角に墨痕鮮やかな60枚ほどの和紙が貼られていた。書かれているのは、個人名とお布施の額だ。お寺としては、喜捨した檀家に対する感謝の念を表しているのだろうが、額を競わせているようにも見える。

 法要が終わと、次は墓地での献花とお線香の手向けが待っている。如何なる国でも墓地は神聖な場所だ。葬られている遺骨は、周囲だけがコンクリートのカノートの底に安置され、何れは土と同化することになる。人の肉体は死して土に返すのが習わしだ。我が家でも大正時代までは土葬であった。人を葬るには、全ての肉体を土に返す意味で、土葬は有るべき葬り方だと思うが、現在の日本では不可能だ。

 墓参を終えると「お清め」の会席だ。寺の控え室を借りて、仕出し懐石で行うか、料理屋に席を設けるかの何れかになる。そこでは、近親者は故人の思い出を語り、偲ぶ事が「お清め」の本意とされている。料理とアルコールは潤滑剤でもある。参列者は故人の子供、孫、曾孫達だ。彼らから、亡き両親の思い出を聞くと、自分の知らないことが多かった事に驚かされた。特に、父と孫達の触れ合いの深さは、自分には想像外であった。自分がそうであるように、父も、孫には特別の思いを抱いていたのだろう。「お清め」をもって、法事全てが終了した。自分としては肩の荷を下ろした思いだ。

 日本の仏教が葬式仏教に堕して久しい。仏教の本来の目的は、人がこの世で、道を誤らぬよう導くことにある。ありがたいお経と言われ、本堂で頭を垂れても、内容を理解できる人は誰もいない。お経を諳んじている住職も、何処まで理解しているのだろうか。生きている我々には理解できない経文でも、あの世にいる故人に理解できるのなら、意味があるのかもしれない。さて、如何だろう。本殿に備えた花は、あの世に通じる道の両側を彩らせる意味合いを持ち、鐘の波動は、あの世の故人に、法要が行われている事を知らせる合図でもある。誰も理解できない法要は12分で終了した。孫達は、お布施の額を知り、一分当たりの金額を計算して驚いていた。

 お墓は、両親を始め、ご先祖の遺骨が葬られている場所だ。墓地は肉体の一部が納められた場所であっても、魂は存在しないのが通常だ。しかし、墓地に執着する魂も存在する。人が死した後、魂は肉体を抜け出し、あの世に還るのが習いだが、あの世に還れず、墓地を彷徨う魂は間違いなく存在する。自分の肉体に対する執着なのかもしれない。誰かが、「ここは、あなたの居る場所でない事」を良く諭し、あの世に還る手助けをしなければならない。この役割は、墓地の管理者たる住職の役割だが、無理だろう。墓地を彷徨う魂の存在すら認識していないからだ。そうでなければ、広大な墓地に接した住まいで生活は出来ない。小学校の同級生に霊感が鋭い女性が居て、クラス会の散策でお寺の境内を通ろうとしたら、入り口で身震いをしたまま、境内に入ろうとはしなかった。不吉な霊を感じたのだと言う。

 墓地に両親や先祖の霊か存在しなくても、肉体の一部は葬られている。自分の肉体も何れ葬られる場所だ。墓標に穿かれた戒名と実名は、自分と先祖との繋がりを思い出させる。墓石の下には遺骨が混在している。ご先祖の人達が一体となって存在する場は、墓地をおいて他にない。自分は、墓地では、「今の生活が出来る幸せは、ご先祖様のお陰であること」を感謝して手を合わせている。人は、一人では生きられない。目には見えずとも、ご先祖の加護が有ると信じている。墓地は、ご先祖と自分との繋がりを、改めて思い出させてくれる場でもある。

 お寺に対する思いは人それぞれだ。昭和30年代の半ばまでは、我が家の墓地は徒歩で30分程の所にあった。一族本来の墓地は、練馬区に有る現在の寺であったが、交通が不便な戦前にあって、近場の寺に墓石を置いていたようだ。当時の本家は、お寺への帰依が深く、本来の菩提寺に莫大な額のお布施を喜捨した。その見返りとして、新たに整地した一角を譲り受け、一族10家分の墓地を得た。本家から我々分家に、墓地を移すよう指示が来て、当時の金で2万円が移転費用として渡された。父は隱亡の助けを得て、土葬の墓を掘り返し、ご先祖の骨を拾い集めた。自分が仙台で学生生活を送っていた頃のことだ。

 本家の当主は、本堂の緞帳を寄贈したりして、死ぬまでお寺に様々な形でお布施をしてきた。お寺に多額のお布施をすることは、決して悪いことではない。仏教本来のお布施は、ご本尊である釈尊に対する感謝の表れであって、読経や法要を行う僧侶の労働対価ではない。従って、お布施には標準価格はないし、上限もない。もし、お寺に高額の施しをすることにより、お寺から特別な処遇を期待したり、死後、あの世で良い霊位を得たい等の気持ちがあれば、本来の仏の心と相容れないものになる。本家の当主がどのような思いで布施を行ったか知るよしもない。自分が本家の当主に、最後に会ったのは小学生の頃だ。近寄りがたいおじさんのイメージが残っている。

 死後の法名についても生臭い話が多い。所謂、戒名のことだ。戒名は釈尊が逝去した後、あの世での名前を定めた故事に依ると聞いたことがある。戒名には位が有り、男では「信士、居士、院居士、院殿居士」の順で位が上がる。一族の末席に近い我が家は、「居士」の家柄である。つい最近まで、暗黙の序列が一族に有り、「居士」の家柄で「院居士」以上の戒名は法度であった。昔、末席の当主が亡くなり、遺族がお寺に金を積み、「院居士」の戒名を貰ったことがあった。これが、当時の本家の怒りに触れ、村八分に近い扱いを受けた。末席の家に対する付き合い方の指令が、一族に発せられたものだ。

 あの世を見て、生き返ってきた人の話では、三途の川の岸辺に、戒名が山となって捨てられていたそうだ。戒名は生きている人の虚栄心を満たしても、死者には無縁なのだ。ちなみに、あの世では、生前の名前が通用しているとのことだ。自分も、戒名の無意味を思っても、長年続いてきた習慣には、今は忘れられた意義があることを信じて続けている。我が家では、今後とも男は「居士」、女は「大姉」で十分であると、子供達には伝えてある。大枚を喜捨して、高位の戒名を貰うほど無意味なことはない。

 あの世で地位が有るとすれば、この世で生きた魂のレベルによる階層だろう。仏教に依れば、如来界、菩薩界、神界、霊界、幽界と呼ばれる階層だ。釈迦、キリスト、モーゼは如来界の人で、我々庶民は、幽界又は霊界が相場のようだ。これらの界は、更に細分化された精緻な階層に分かれていると言う。だから、どんなに仲の良い夫婦でも、生前の魂のレベルが同じで無い限り、あの世では一緒になれない。ましてや、現世で金品をお寺に喜捨しても、あの世で望む地位を得ることが出来る訳がない。全て、この世限りの自己満足に終わる。

 自分の両親を始め、ご先祖の魂は、あの世ではそれぞれの場所で暮らしていると思う。鐘の波動は、あの世に届いたとしても、住職の読経の声はこの世限りだ。お寺での形骸化した法要であっても、読経、墓参、お清め等の行為を通して、参列者が故人やご先祖に対して、それぞれの想いを心に抱くことが、最大の供養になろう。お寺に対するお布施の多寡は問題ではない。お布施の額は、自分の家の置かれた、現世での立場で決めれば良いと割り切っている。

 今回の法事に参列した孫や曾孫の成長を見て、故人も喜んでいることだろう。その孫達も皆40代の働き盛りだ。仕事や子の教育、それに連れ合いの親の介護等、心的、経済的負担は大きい。この世で生きていく上で、人に課せられた使命だから当然だといっても、日々のストレスは大きいはずだ。祖父母の法事でのいとこ同士の語らいは、心の安らぎの場に成ったようだ。故人の息子、娘は自分を含め老いた。時代は、次の世代に引き継がれようとしている。法事は故人を偲び、供養するものだが、生きている者の心を慰労する行事でもあるように思えた。形骸化した仏事に魂を吹き込むのは、参列者の心の持ち方であることを感じた一日であった。

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