伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2015年3月6日: 川崎の中学生殺害にみる心の闇と事の実相 GP生

 最近、新聞やテレビのワイドショーで、盛んに報じられている川崎市の中学一 年生殺害事件は、悲惨極まりなく、心の痛みなしには見聞き出来ない。殺害現場 に供えられた花束の山を見れば、多くの人達が、やり場のない怒りと悲しみを覚 えている事が分かる。犯人グループの主犯格・少年A、従犯・BとCについては、捜査が進むにつれ、動機や手口が明らかにされているが、腑に落ちないことがある。

 被害者の少年が、何故このグループに入ったのかが分からない。子供が田舎か ら都会の学校に転校した時、親しい友人が作れるかどうかが、その後の学校生活 を左右する。テレビでは、この少年が人なっこい性格で、クラスやバスケ部での 友人も多かったと報じている。少年は友達が沢山居たのにもかかわらず、何故、A達のグループに加わったのだろうか。近隣の誰が見ても、真っ当なに見えないグループに魅力を感じたのだろうか。それとも、母子家庭に事情があったのだろうか。

 日本人二人を殺害したISISの残虐ぶりは、正否は別にして、宗教的信念に基づ いたものだ。加害者Aの少年に対する凄惨を極める残虐行為は、自らの衝動に 因るものの様に思える。Aをして、かくも残酷な性格に至らしめた原因が、何処 にあるのか誰も語らない。Aの父親のコメントを聞いても、何も分からない。ネッ トではAに関する様々な情報が飛び交っている様だ。全てが真実ではないにして も、Aの家庭は、子供にとって過酷な環境であったのは確かなようだ。

 人は、如何なる環境に生まれようと、この世に、誕生する赤子の心に、陰りや 闇は存在しない。暗い心を持っては生まれ得ないのが、あの世とこの世の摂理だ からだ。誕生から僅か18年を経て、Aが人を殺したいとの意識を抱くようになっ たのには、原因があったはずだ。表向きの報道では、一切伝えられていない。  18歳に成長するまでに、Aの身と心に何があったのだろうか。

 人の内面は、本人ですら分からない事が多い。だから精神分析医の存在がある のだが、本当のことは専門医でも分からないだろう。人の本当の心は、潜在意識 の中に隠されている。少年Aにとって、自分の暴力的衝動の原因が何によるもの であるのか、分かろうはずがない。但し、この悲劇的結末に至った遠因は、Aが 育ってきた家庭にあることは想像できる。

 一般論で言えば、男の子の心の成長は、家庭内での母親の存在によることが大 きい。幼い時期は別にして、男の子は成長するにつれて、父親に対して本能的反 発をするものだ。父親を本当に理解できるのは、子供か年老い、人生の黄昏のに 立った時だ。それも、父親が愛情を持って、子供を育てた場合だ。父親が子供の 教育や躾に関心を持たず、家庭に背を向け、自分中心の生き方をしていたり、母 親が子供に対する役割を放棄し、自らの欲望に身をゆだねていたら、子供の心は、 真っ当には育たないだろう。子供は次第に、心に闇を作り、闇の成長は止まらない。

 誰でも人には、善なる心がある。子供の善なる心を慈しみ育てるのが、両親の 役割でもある。それを放棄した結果、子供の闇は大きくなり、善なる心は片隅に 追いやられ、子供は自分の心をコントロール出来なくなる。その結果、少年の命 を奪い、自らの人生も滅ぼす事になった。子供の不祥事は、親の人生にも跳ね返 り、不作為の責任を厳しくし咎められる事になる。時既に遅く、親には悔いしか 残らない。この世では、天に吐いた唾は、間違い無く自分にかかって来る。

 Aにとっては、これからは長い反省の時間が待っている。自分の心の闇と向か い合い、闇に明かりを灯す作業だ。その結果、Aが自らの行為を心から悔い、反 省したとしても、人を殺めた事実が消える訳ではない。犯した行為に一生苦しみ ながら過ごすことになる。犯した事実を完全に忘れ去る事が出来る程、人の心は 強靱ではない。

 Aが少年を殺害せず、これからも、仲間と一緒に荒れた生活を送ったとしても、 自らの成長と共に、心の闇を消し去り、真っ当な大人に成長する可能性はあった はずだ。しかし、自らが心の闇に飲み込まれ、衝動的に少年を殺害した。Aは少 年の命を奪うと同時に、自身の人生の可能性も葬ったのだ。

 同じような家庭環境で育った者全てが、Aの様な行為に走るわけではない。彼 等とAの違いは何だろう。持って生まれた人としての違いと言うしかない。人は この世に生まれ、様々な経験をすることで魂を磨き、肉体の寿命が尽きてあの世 に還って行く。更に、年を経て再びこの世に誕生する。仏教で輪廻転生と言われ ている現象だ。輪廻転生の回数が多い魂は、磨かれた大きな心を持って誕生し、 少ない魂は未熟な心を持って誕生する。これが、同じ環境に生まれ育っても、成 長後、人としての在り方が異なり、行為に相違が生じる理由だと考える。

 未熟な魂を持って誕生したAには、成人するまで、両親が絶え間ない愛情を注 ぐ必要があった。Aの家庭はそのような環境ではなかったのだろう。未熟な両親 のもとで、未熟な魂を持ったAが誕生したことは、Aの宿命だ。Aの不幸はここか ら始まっている。現実は、Aが殺人を行った結果、A自身も、亡くなった少年や少 年の家族、そして共犯者と言われるB、Cとその家族達等多くの人達が、今後、辛 く苦しい人生を送る事になった。Aの心に、深い闇をもたらした者達の責任は極 めて重い。

 Aのみならず、共犯のBやCも心に闇を抱え、人生の出発を誤ったのかもしれない。 殺された少年も、周囲には明るく見えても、自分でコントロール出来無い心の闇 を抱えていたのかもしれない。

 今回の事件の報道については、マスコミは一貫して及び腰である。警察の捜査も敏速ではなかった。にもかかわらず、ネットでは早い時期から犯人やその人間関係の特定、犯行の状況などがつぶさに報じられていた。それによれば、主犯Aとその共犯者達は在日外国人の子弟だという。そう言うグループの幾つかが、常日頃あのあたりで暴力沙汰を繰り返していたのだという。マスコミは建前としその実相を報じない。一種のタブー扱いしている。マスコミが実相報道をタブー視し、警察の捜査が及び腰になっていたのであれば問題だ。朱に交われば赤くなると言うが、被害者少年の心の闇は、そういう異様な環境から必然的に生み出されたのかもしれない。

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