伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2015年2月20日: 持病の神経性大腸過敏 T.G.

 「神、そらに知ろしめす。すべて世は事も無し。…」
 日誌に書くことがないので、昔のことを書く。

 生来腸が弱い。神経性大腸過敏が持病である。この病は何の前触れも脈絡もなく、突然下腹が痛み猛烈な下痢をする。下したあとは何事もなかったように治る。それを頻繁に繰り返す。子供の頃からの傾向だが、この病名を知ったのは中年になってからだ。それ以前はそんな病名はなかった。最もひどかったのはサラリーマン時代、働き盛りの中間管理職の頃である。会社を定年退職してしばらくしたら罹らなくなった。特にここ3年は腹痛下痢を一度も経験していない。生まれてこの方何十年も苦しんだ病が、嘘のように快癒した。

 小学生の頃、授業中に我慢できなくなって、お漏らししてしまったことがある。それがトラウマになって、中学生の頃はトイレのありかを気にする子供だった。高校生になって、3年間毎日千葉の高校に汽車(蒸気機関車だった)で通ったが、通学途中で腹痛を起こした記憶がない。学校のトイレを使った記憶もない。少し大人になったのだろう。大学時代もあまり記憶がない。勉強もせず、山にばかり登っていたからか。卒業して会社に入った頃から頻繁に起きるようになった。最もひどかったのは、働き盛りの30代である。通勤途中の駅のトイレはすべて憶えた。40年間の会社勤めで一番苦労したのは、仕事でなく通勤である。通勤電車の苦痛代として給料をもらっていると思えたほどだ。あまりにひどかったので、病院で精密検査をしてもらったが、どこも悪くないと言われた。

 この病気の根本原因は自律神経の乱れにある。人体は交感神経と副交感神経のバランスで維持されている。腸の蠕動運動は交感神経が支配している。交感神経が優位だと、蠕動運動で消化された食物や便が送られ、排泄される。副交感神経の方が優位になるとそれが止まる。このリズミカルな繰り返しで、腸の消化、吸収、排便が秩序だって行われるが、そのバランスが崩れると、便秘や下痢を引き起こす。何かの切っ掛けで、交感神経が強く働きすぎると、激しい蠕動運動が起き、腹痛と下痢を引き起こす。腸が空っぽになると、治まってしまう。その反対だと便秘する。

 自律神経の乱れはストレスが原因と言われているが、そのストレスとの因果関係がさっぱり自覚できない。演壇に上がっての講演や、客先でのプレゼンテーションや、重要な会議など、ストレスの真っ最中は起こらない。ほとんどのケースが通勤電車の中や、デスクワークの最中、仕事が終わって一杯やったり、リラックスしているときの方が多い。ゴルフの最中にもしばしば起きた。7番ホールあたりで林に駆け込んだことが何度もある。むしろストレスの多い時間帯にはほとんど起きない。ストレスの後、一定の時間差で起きるわけでもない。とにかく、何の自覚も原因もないのに、前触れも脈絡もなく、突然発症するから始末が悪い。何か原因らしきものがあるなら、対処のしようもある。

 自律神経の乱れが原因だから、普通の下痢止めはまったく効かない。気休めにもならない。排便が終わるまでは、何をやっても止まらない。唯一効果があるのはロペミンである。この薬はモルヒネと同じ原理で、腸の蠕動運動を無理やり止めてしまう。即効性があり、飲むと途端に下痢が止まる。腸が静かになって、ウンともスンとも言わなくなる。効き目が強いので飲み過ぎると便秘になる。自分の経験では1錠1回で十分である。取り立てての副作用はない。これを1錠ポケットに入れておくと、それだけで安心出来る。ないと不安になる。持っているだけで効く、一種の精神安定剤である。それくらいよく効く。

 さんざん悩まされたので、今ではこの病気や対処法を、下手な医者よりよく知っている。神経性大腸過敏は病気と言うより一種の体質である。生まれつきの音痴とか運動神経が鈍いなどと言うのと同じである。10人に2人ぐらいはこの体質らしい。病気ではないから薬や医者の治療では治らない。体質改善しかない。その体質改善がすこぶる難しい。音痴や運動神経の鈍さは体質改善では治らない。むしろ精神的なものだから、薬や生活習慣に依るのではなく、座禅のような精神修養が効果的である。

 この長年の業病が、会社を辞めて通勤電車に乗らなくなったらピタッと治った。ストレスがなくなったからだろう。現在も続いている遊び仲間との人間関係ではストレスは起きない。仕事の人間関係がストレスの種だったことが如実に分かる。通勤電車に乗る必要がなくなったことはさらに大きい。通勤電車が最大のストレス源であったことを痛感した。通勤電車の苦痛に比べれば、会社の仕事なんてチョロいものである。

 それでもしばらくは、思い出したように突然の腹痛下痢が起きた。溜まりに溜まったストレスの名残だろう。この4、5年起きていないのは、そのストックが消えてしまったからだろう。歳をとった昨今は、ストレスの種になる心配事がまったくない。悟りを開いた禅宗のお坊さんのようである。長年の精神修養の極みか、それとも単なる老化による自律神経の鈍化か。

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