伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2015年1月29日: イスラム人質騒動、雑感 T.G.

 イスラム人質騒動がかまびすしい。テレビを見ていると、平和な日本に降ってわいた騒動を楽しんでいるようにも見える。そう言う意味で、最も緊張感を欠いているのはマスコミである。不謹慎である。マスコミのお気軽な論評を見ると、「イスラム国」の非難、弾劾より、政府無能説、自己責任論、安部首相責任論ばかりである。いずれも軽薄で無責任で無内容である。

 事の発端は、軽薄な自称ジャーナリストが、何が目的か知らないが、世界で最も危険な地域へ、用意もなく、一人でのこのこ出かけていったことである。まあ日本国民には自由と権利はあるから、何をしても勝手とは言え、自ら進んでスズメバチの巣へ素手を突っ込んだのと同じである。案の定、全身ぼこぼこに刺されてのたうち回っている。これを見捨てておいたら日本国の沽券というか、安全保障に関わる。それで騒ぎが大きくなった。たかが無名の人質一人で、他の国ならこれほどの騒ぎにはならない。日本だけの特殊事情である。

 かってのイラク三馬鹿の時のように、いつもの自己責任論が出る。それは確かだが、自己責任と国家安全保障は別問題である。国民国家が誕生したのは19世紀である。今の国連加盟国のほとんどがそうである。国民国家の拠って立つ基本は、一義的に国と国民を外部の危険から守ることである。別の言い方をすれば国家安全保障である。それなくして国は成り立たない。たとえ軽薄な人質一人でも、守らなければそれが常態化して、国が弱体化し、やがて瓦解する。イラク、シリアのように。まさに蟻の一穴なのだ。人質一人でそう言う限界状況に日本を落とし込んだのは「イスラム国」の手練手管である。よほどの戦略家がいるのだろう。

 はじめのうちは日本と「イスラム国」の問題だったが、昨日あたりの局面で当事者がヨルダンに変わった。日本はそっちのけで、ヨルダン対「イスラム国」の駆け引きになった。そういう風に持って行ったのは「イスラム国」の知恵者である。敵ながらあっぱれだ。最初は頼まれサポーターに過ぎなかったヨルダンが「イスラム国」の正面に引っ張り出された。ヨルダンにしたら迷惑きわまりない話である。これで人質のパイロットが生きて帰らなかったら、後藤某はさぞ恨まれるだろう。同じく日本も恨みを買うだろう。思慮もなくそういう面倒を巻き起こした尻軽ジャーナリストの罪は重い。

 イラクやシリアはほとんど国家の体をなしていない。国家安全保障がまったく機能していないからだ。その意味では「イスラム国」とどっこいである。すぐ隣のヨルダンだけはかろうじて国民国家に踏みとどまっている。為政者が有能だからだろう。それが引き裂かれようとしている。人質のパイロットは国民の英雄である。ヨルダンを対「イスラム国」の橋頭堡にしたいアメリカの横車や、日本の札束に負けてパイロットを失ったら、政権は国民の支持を失い、国が分裂する。シリアやイラクと同じになる。狡猾な「イスラム国」はまさにそれを狙っている。そう言う瀬戸際に立たされたのだ。瓢箪から駒と言うか、まさか日本の人質がこんな災厄をもたらすとは、ヨルダンの人たちも考えなかっただろう。

 平和呆けの日本に、降って沸いたような危機が訪れた。国家安全保障の格好の試験問題である。日本国民がどう対処するか見物である。この先日本がやっていけるかどうかの試金石になる。今のところ日本政府は良くやっている。国家安全保障の基本である軍事オプションを封じられながら、善戦健闘している。ある意味ベストに近い。マスコミは非難するが、これ以外にやりようがない。あったら教えて欲しい。安部もそう思っているだろう。

 国家安全保障の手段は、外交と軍事と金(経済力)である。日本は軍事オプションを封じられている。外交と金しかない。その外交も手段は金だけである。口先だけの外交は意味がない。誰も相手にしてくれない。どこの国でも軍事力と金をちらつかせてやる。日本は金をちらつかせるしかない。TPP交渉でアメリカは軍事力をちらつかせて日本を恫喝している。同盟にヒビが入るぞと。言うことを聞かないと守ってやらないぞと。これが外交の軍事オプションである。どこの国でもやることである。戦前は日本も盛んにやった。その手を封じられているのは戦後日本だけである。これで魑魅魍魎が跋扈する地球上で生きていけるかどうか。大袈裟に言えば今回の騒動はその模擬テストである。テスト不合格だったら、「平和国家」の一枚看板を下ろすべきだ。

 今回の騒動は安全保障に関する政治家のリトマス試験紙にもなった。民主共産の跳ねっ返り議員が、「安部外交の失政、即刻辞任すべき」とネットで非難した。「イスラム国」への非難は一言もない。彼らの基本認識はそうなのだろう。「イスラム国」にシンパシーを感じているのかもしれない。さすがに党首の岡田と志位が止めたが、前原に至っては国会で安部に対して同趣旨の質問をした。福島瑞穂は国会前で安部辞任のダンスを踊った。この期に及んで小沢一郎は「イスラム国」の肩を持つような発言をした。野党議員の知能程度が分かる。これでは当分政権交代はない。

 今更ながらマスコミの低俗さには呆れた。この国難を昼のワイドショーにしている。怪しげな後藤母とやらを引っ張り出して、お涙頂戴の昼メロにしている。たとえば後藤某の動画映像に、「愛する妻よ、愛する娘よ」などとくさい日本語の字幕をつける。彼がしゃべっている元英語は“Be loved wife, miss my daughter”である。普通の日本の男は「愛する妻よ」などと言わない。そう言うこなれた英語表現も使わない。イギリス人テロリストが書いたセリフを、嫌々読まされいるのが歴然である。それなら妙な日本語訳はつけず、そのまま放映するのがマスコミの役目だろう。誘拐事件に関しては、事実だけを報道し、妙な憶測や恣意的解釈は含めるべきでない。ましてやメロドラマに仕立て上げるべきではない。解決前の国内の誘拐事件ならそうしているはずだ。この件に関してなぜそうしないのだろう。視聴率のためにドラマ扱いしたいのだろうか。落ちたものだ。

 さて、明日はどこまで行くのやら。

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