伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2015年1月20日: 老人福祉と介護報酬減額 T.G.

 最近ご近所に勧められて、近くにある市の老人福祉センターにたびたび足を運ぶ。。お目当ては風呂である。朝10時から午後4時までいつでも入浴できる。狭い内風呂と違い、広々した浴槽が快適で、ちょっとした日帰り温泉気分を味わえる。歩いて往復小一時間かかるので、運動不足解消にもなる。どちらかと言えば、こちらが目的か。風呂以外にも、カラオケや集会所の催しなどがあって、70歳以上の市民なら誰でも無料で利用できるのだが、当方の関心は温泉入浴だけである。ほかは利用したことがないし、するつもりもない。風呂から出たらさっさと帰ってくる。

 小生以外みな顔なじみの常連らしく、浴槽や洗い場でざっくばらんな、とりとめない会話をしている。大方の声が大きい。怒鳴りあうような会話である。お互い年をとって耳が遠くなっているためだろう。話の内容は親父ギャグならぬ、じじいギャグの連発で、これと言った内容はない。聞いていて面白くも可笑しくもない。年をとるとこうなるという見本のようだ。年齢は70歳代から80歳代まで幅広だが、徒歩か自転車で、自力で来られるだけの気力体力が残っている、幸せな健康老人ばかりである。

 湯船に浸かって見ていると、今頃の年寄りの気質やビヘイビアがよく分かる。総じて自分勝手である。周りの目を気にしない。と言うか周りに気を遣わない。今頃の若者が大事にする“空気を読む”感覚が皆無である。こうだから年寄りは嫌われるのだろうと、自分のことは棚に上げて思ってしまう。会話だけならご愛敬だが、入浴の仕方まで自分勝手である。おしなべて、若者達より行儀が悪い。

 浴槽の湯は41度に温度管理がされている。給湯用蛇口には「熱湯危険。管理人以外操作禁止」と張り紙がしてある。もっと熱い湯がいいと、勝手に給湯蛇口を開けてしまう。「給湯中は洗い場のシャワーが冷水になります。年配者には危険なので開けないこと」とくどくどと注意書きがあるが、お構いなしである。一度シャワーを使っていたらいきなり冷水を浴びてしまった。見ると浴槽には騒がしい常連さんが4,5人入っていて、給湯蛇口が開けっぱなしになっている。たまらず注意したら、謝る気配も見せず、新参者が何を言うかと不満げな顔である。

 洗い場は常に5,6人が使っている。ほとんどが蛇口から湯を出しっぱなしである。体を洗ったり、髭を剃ったりしている最中も、蛇口を閉めない。周りも注意しない。洗い桶から湯がザーザー溢れっぱなしである。「シャワー蛇口の出しっぱなし禁止」とでかでかと書いてあるのにお構いなしである。彼らは家の風呂でも同じ事をしているのだろうか。出しっぱなしの湯をもったいないとは思わないのだろうか。我々の年代は戦後の貧しい時代を経験している。その老人達が湯を出しっぱなしにする。おそらく家の風呂ではそんなことはしないのだろう。無料の老人センターだから無造作にそうするのだろう。老人センターは我々の権利だから、なにをしても勝手と思っているのだろう。無料は必ずしもいいことではない。

 NHKや朝日、毎日などリベラルマスコミが、来年度予算で介護報酬が減額になると騒いでいる。減額幅はたったの2〜3%である。急増する介護費用の抑制が目的だが、減額によって介護現場のサービスが低下するとか、介護スタッフを集めにくくなるなど、批判の大合唱である。別に社会福祉予算や、その中の介護予算が減らされているわけではない。いずれも数千億円の純増、過去最大の金額である。その中の一部分である介護報酬が減額されただけである。予算削減ではなく、使い方の変更と言うべきである。これを鬼の首を取ったように政府批判に向けるのは如何なものか。

 介護を含む社会福祉予算は国の予算総額の3分の1に達し、総額30兆円を超える。今年度一般会計予算の国債依存度は43%である。30兆円の内の半分は借金である。言い換えれば、金もないのに借金して、分不相応の福祉予算を組んでいるのだ。国家予算も福祉予算も青天井ではない。文句を言えば金が天から降ってくるわけではない。返済のあてもない借金までして、なけなしの金で福祉を支えているのだ。それをちょっと減らすと文句を言う。安部嫌いのNHK、朝日、毎日にとっては、格好の政府批判のつもりだろうが、大方の国民はなるほどと錯覚する。福祉をないがしろにする悪い政府だと刷り込まれる。

 「朝三暮四」という故事がある。宋に狙公あり。飼い猿に餌のトチの実を、朝三つ、夕四つ与えたら猿たちが怒り出した。そこで朝四つ、夕三つにしたら納得した。総計七つであることに変わりはないのに。

 つまるところ、マスコミも、それに操られる国民も、愚かさの点で狙公の飼い猿と変わりない。我が市の老人センターの老人達も同様である。天から降ってきた金で作られた風呂場の湯は、いくら垂れ流しても自分は困らない。だから戦後の貧困を知っているはずの老人達が、湯水をザーザー溢れさせて恬として恥じない。もったいないから止めろと言うと、俺の勝手だと怒る。多くの国民が社会福祉予算が青天井と錯覚している。文句を言えば増えると思っている。予算が増えれば借金も増えるとは想像が及ばない。おそらく介護も生活保護も、我が老人センターの風呂のように、かなりの部分が無駄に垂れ流しになっているのだろう。もしかすると、日本を駄目にしているのは、若い人たちではなく、われわれ老人ではないのか。

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