伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2015年1月13日: 我が第二の故郷 嬬恋村の冬 U.H.

 一昨年から昨春にかけて、「我が第二の故郷 嬬恋村」という小文を書いて、皆様に笑読頂いたが、2015年初に当たって「番外編」をお送りしてその締めくくりとさせて頂こう。

 このところ地球温暖化の影響と思われる自然現象が多発している。土地、土地の長老などが「この年になるまで経験したことがない」と繰り返すような苛烈な集中豪雨などが頻発しているが、恐らくこの後にはさらに大きな被害をもたらす自然災害が起こることであろう。ところで昨秋、甲信地方などにおける山の実りはひどい不作であったようだ。現に小生が滞在した嬬恋村の山荘付近でも驚くほどドングリや山栗の落果が少なかった。隣町の軽井沢町には“森林調査官”のような役職があるそうだが、その御仁が宣わく「今年は山の熊が痩せている」と。柿の実りは良かったようだが、木々の実りもそれぞれ何かの条件の違いが作用するのであろうか。

 さて自らのことに戻るが、昨年も例年のように11月初めに山荘の「冬終い」をした。26年前に山荘を建てた際に、さしたる知識もないまま業者任せで建築をしたのだが、全くの夏仕様で造ってしまった。石油ファンヒーターなどの多少の暖房装置はあるが、断熱材も入れていない木造住宅は、夜間に零下となる11月中旬以降は居たたまれなくなってくる。それでも建てた最初の頃には若くもあり好奇心もあって少しは冬にも訪れた。しかし暖房が及ぶリビングなどは良いのだが、トイレや風呂場は零下となり、湯船の外の床タイルにシャーベット状の氷が出来る様を見て、「これは体に悪いのでは」と怖じ気づき、以来11月初旬位で冬終いをするようになってしまった。そして軟弱な小生の春の登場は4月下旬位である。ということで昨年も11月6日をもって冬終いとなった。

 家内は干し柿が大好きで、この何年か自分で皮を剥いて干すようになった。3年前は渋柿を持ち帰って川崎の我がマンションのベランダに干したのだが、寒暖の差が緩いためか出来がイマイチだった。そこで一昨年は、嬬恋村で皮を剥いて山荘のベランダに干して帰り、一ヶ月ほどして収穫に参上したらすばらしい出来映えの干し柿になっていた。味を占めた家内は、昨年も信州・高山村まで出かけて一箱3千円余の立派な渋柿を仕入れて、約40個の皮を剥いてベランダに吊して帰ったものである。

 次いで12月7日、勇んで干し柿の収穫に参上したのだが、何とベランダにはひとつの柿もなく、何者かに持ち去られていたのである。渋柿を吊した荷造り用プラスチック紐がむなしくぶら下がっていて、その中に柿のヘタがわずか4個残っているのみであった。その惨状から見て、人様が盗んだのではなく、何か動物による仕業であろうと思われた。その証拠にベランダには四つ足動物の足跡がはっきり残っていたのだ。足跡で動物を判別する知識もないが、吊していた高さが1メートル50センチ余位あり、付近に全く残骸等が残されていないことから、十分に身の丈がある動物が安定的な姿勢で採っていったことが想像され、おそらく犯人は熊ではなく、鹿であろうと推測された。

 惨状を見た家内は、はじめ言葉も出なかったが、やがて落ち着いてきて、「森の神様に供物を捧げたようなものね」と呟いたが、一昨年の干し柿があまりにも美味しく上出来だっただけに「それにしても残念」と悔しがった。

(注)写真の鹿は、日本平動物園の貴種の鹿で、当事件の犯人ではない。彼の名誉のために付言する次第である。

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