伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2014年12月31日: 今日は大晦日 T.G.

 今日は大晦日。あと少しで年が変わる。個人的には今年はいい年だった。異論はあろうが、おそらく日本全体についてもおおむねそうだろう。数年前の日誌を読み返すと、閉塞感に包まれた暗い年の瀬だったことをつらつら書いている。それとは大違いの気分である。

 個人的には病気をせず体調が良かったことが挙げられる。例年、秋から暮れにかけて何度も鼻風邪を引いていたが、今年はまだ一度も引かない。免疫力、抵抗力が上がったのだろう。例外は5月の帯状疱疹である。完治するまでに一月ぐらいかかった。帯状疱疹は誰でもかかる病気だが、発症原因は老化と免疫力、抵抗力の低下だという。心配したGP生君がミネドリンという滋養強壮剤を持ってきてくれた。いろいろな必須アミノ酸が含まれているという。これを飲み出してから元気になった。風邪も引かなくなったし、便通も良くなった。ゴルフの帰り、以前だったら途中で運転を休んだものだが、まっすぐに帰宅できるようになった。アミノ酸が効いているのだろう。

 孫が大きくなって手がかからなくなった。昨年までは代わる代わる熱を出して、そのたびに私設保育園係にされたが、今年はめっきり減った。だから会う頻度も減った。幾分寂しい気分ではある。もう少し大きくなると、遊びや勉強が忙しくて、ジジババの家には寄りつかなくなるのだろう。瑞鳳寮の先輩のMiさんによれば、孫の賞味期限は小学3年生までだという。最近は生意気になって口答えをするようになった。その通りになりそうだ。

 巷を見渡せば、景気も回復しつつある。秋の消費増税で幾分落ち込んだが、突然の解散総選挙でその気分がいくらか回復した。景気は気である。NHKや朝日新聞などマスコミやお抱え評論家達は、安部政権のやることにいちいち反対で、よってたかって異を唱えるが、説得力はない。ケチをつけるだけで、こうすべきだと言う対案を、誰一人示せないからだ。こういうのを負け犬の遠吠えと言うのだろう。日本のマスコミはレベルが低い。
 石油価格の大幅低下も与っている。つい先だってまで1バレル100ドルを超えていたものが、50ドル台まで下がった。なんと半額である。世界情勢から見て、当分上がる気配はない。円安、株高に原油安。日本経済にとっていいことずくめである。これで景気が上向かなかったら、日本人が無能と言うことだ。

 各紙の世論調査によれば、アベノミクスに反対、もしくは疑問を感じている国民は39%(朝日)から73%(毎日)に達するという。ほとんどの国民が反対していることになる。それなのに選挙でなぜか安部政権が大勝した。理由が分からない。世論調査の真偽が疑われる。低投票率が原因だと、安部嫌いのマスコミは負け惜しみの屁理屈を言うが、政治意識の希薄な連中が投票しなかっただけのことだ。そういう連中はアベノミクスの正否など分かっていない。何も考えず気分で投票されたらたまらない。投票しないというのも議会制民主主義の重要な選択肢ではある。投票率100%ならヒットラーが生まれる。

 そうはいっても、現実問題として日本経済は危険な曲がり角にある。曲がる方向を間違えたら国が潰れる。なんと言っても国の借金が千兆円を超えているのはただ事ではない。おまけに先進国中最低の成長率と来ている。実態はマイナス成長で、経済が縮小している。瀬戸際である。誰が政治をやっても、針の穴にラクダを通すより難しい。それなのに、マスコミがよってたかって安部政権がやろうとしていることの足を引っ張る。テレビ新聞を見ていると、いずこもアベノミクス批判の大合唱。それなりの理屈はつけているから、朝日の従軍慰安婦のようなねつ造報道にはならないが、こうすべきだという具体的対案はない。馬鹿の一つ覚えである。マスコミ全体が何でも反対の社会党になってしまった。これはこれで心配ではある。日本人が未成熟で扇動に弱い情緒的国民であることは歴史が示している。前の戦争を引き起こした主原因の一つだ。

 今月号の文藝春秋に興味深い記事が載っている。「虚構の成長戦略−資本主義は死んだ」という水野和夫日本大学教授の論文である。それによると、日本とドイツの10年もの国債の金利は実に0.5%と0.35%。歴史上最低の数字である。国債の金利は国内非製造業の資本利潤率と同じである。それが増えないのは資本主義の要諦である資本の自己増殖が止まっていることを意味するから、日本とドイツにおいては「資本主義が死んだ」も同然である。販売数量をX軸、粗利益率をYとすれば、それで囲まれる空間の広さが実質GDPを意味する。X軸、Y軸を「より速く、より遠くま」で伸ばすことが経済成長だとすると、それが限界に達してしまった。もはや「より速く、より遠くへ」は進めない。そうだとすると、「よりゆっくりと、より近くへ」がポスト近代の目指すべき方向だろうと言う。実に含蓄に富んだ考え方である。

 仮にアベノミクスに問題があるとすれば、異次元の金融緩和と財政出動で、進むべきポスト近代の時計の針を、逆に回そうとしていることかもしれない。日本やドイツのような行き着いた資本主義先進国は、「より速く、より遠くへ」ではなく、「よりゆっくりと、より近くへ」方向転換すべきなのかもしれない。その場合、国民は今までとは違った価値観を持たねばならない。利潤や競争や物質的な豊かさはなく、質素、倹約を基本とする生活の安寧を目標とすべきである。もしそうだとしたら、国民も社会も価値観と哲学を変えねばならない。それなしにポスト近代は来ない。経済成長最優先のアベノミクスとは真逆の考え方である。資本主義が終焉し、少子高齢化による低成長が避けられない運命だとすると、経済成長を目指すアベノミクスは、流れに逆らうアナクロニズムなのかもしれない。それが正しいとして、はたして質素、倹約、安寧を旨とする生き方を、日本人は受け入れられるだろうか。それが新たな問題だが、この論文にはその考察は書かれていない。言いっぱなしである。学者先生はいつもこうだ。

 理屈っぽい話はこれくらいにして、それやこれやで今年も暮れる。なにとぞ平穏で、楽しく幸せに暮らせる新年が来ますように。

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