伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2014年12月25日: 年末の喪中葉書に思う GP生

 今年もいよいよ残り少なくなってきた。子供の頃は、正月を待ちわびたものだ が、年越に複雑な想いを抱くようになったのは何時頃からだろうか。師走に入る と、「喪中につき新年のご挨拶を遠慮申し上げます」との喪中葉書が届くように なる。この葉書の数が、近年多くなった様に感じる。自分が賀状を投函する相手 は、友人、知人や学校や職場の先輩達だ。皆、お互いに歳を重ね、同時に親兄弟 も高齢になっている。喪中葉書を眺めていると、今年参列した、友人達の葬儀が 思い出された。

 友人達の父、母の逝去の知らせでは、享年、百歳と百一歳とあった。素晴らし い長寿ではあるが、高齢の親を見送るまでの家族のご苦労は、葉書からは読み取 れない。自分の父は79歳、母は86歳でこの世を去ったが、それまでの何年か の介護は外部の助力はあっても、家族の総力戦であった。親が90歳を超えれば、 息子、娘は高齢者だ。60歳代までは親の介護は容易でも、70歳を超えると親 子間の老老介護となる。

 昔、お世話になった、元鉱山副所長のADさんの訃報を受け取った。享年87歳、 鉱山従業員の親睦会で、何年か前にお会いしたのが最後であった。杖を就いて歩 く姿は、かっての溌剌として貫禄ある姿とはあまりにもかけ離れていた。「足腰 が痛み、歩くのも思うようにならない」との話を聞いた。年賀状は欠かしたこと は無く、何時も豪快な筆跡の賀状が届いていた。喪中葉書の差出人は奥様であっ た。また一人、人生の先輩がこの世を去った。

 かって、廃水処理の仕事を一緒に行ったKa君の訃報には驚いた。嘘だろうとの 思いに駆られ、暫く葉書を眺めていた。差出人は娘さん二人の連名であった。直 ぐ、彼の自宅に電話して、娘さんから事情を聴いた。11月始め、体調を崩した ので、病院で検査を受けたところ、胆嚢癌と告知された。それから7日後、容態 が急変し亡くなった。本人も家族も予想だにしなかった急死であった。享年66 歳、早すぎる死だ。Ka君の娘さんからは、父親に対する想いが強く感じられた。

 彼は東京出身だが、北海道に憧れ北大に進学した。専攻は地質学で、ペルー国 の鉛亜鉛鉱山の開発要員としての入社であった。ペルーでは現地の女性と恋に落 ち、帰国後結婚した。新所帯は自分達家族の住む社宅であった。社宅では家族ぐ るみの付き合いで、彼からは国際結婚の難しさを良く聞かされたものだ。会社の 鉱山事業の縮小と共に、彼は自分の職場に配属されてきた。

 彼はサラリーマンとしては規格外で、本社内では窮屈そうであった。鉱山の閉 山後、本業とは全く違う開発事業に従事してきた自分とは、フィーリングが良く 合った。年齢差も有り、自分の弟の様な感覚があったのかもしれない。彼は、何 年かして外資系の企業に転職した。賀状の交換は続いたが、転職以来、彼とは一 度も会っていない。あれほど元気であった彼の訃報であった。一度会って話をし たかった。

 先日、昔からお付き合いがあった旧家の当主が亡くなった。17年前に脳梗塞 で倒れ、暫く、車椅子の生活を余儀なくされ、残り十数年は寝たきりの生活となっ た。その間、認知症が進行し家族との会話もままならなくなった。家人は昔お世 話になった縁で、葬儀前にお宅に弔問に出かけたが、誰だか分からなくなる程、 容姿が変貌していたさうだ。発病以来、奥さんと娘さんが介護の主体となり、娘 さんは婚期を逃したと聞いている。享年78歳、17年の間、当人は何を思って いたのだろうか。外部からは窺い知れない。

 逝去の時期は、殆んどが11月以降だ。友人の父親は2月であった。高齢者に とって、寒さ故の体調不良の引き金になったのだろうか。喪中葉書だけでは詳細 は分からない。高齢者の死因は肺炎、心不全が多い。呼吸器と心臓は、人の生命 維持の要だから、これ等の機能低下は死と直結する。肺炎は免疫力の極端な低下 によるし、心不全はあらゆる病気による身体機能停止の最終結果だ。

 喪中葉書は、故人と家族の絆の現れでもある。これ等の家庭では、家族・親族 による丁重な葬儀が営まれたことだろう。以前、母がある施設にショートステイ でお世話になった事が有る。地域でも有名な大規模な施設だ。母を迎えに行った 時、施設のホールに小さな祭壇が設けられていて、5人ほどの人が集まり葬儀が 営まれていた。祭壇には遺影と白木の位牌、それに骨壺が置かれ、供花はされて はいたが、余りにも質素な葬儀であった。この施設で長期ステイしていた老人が 亡くなったと聞いた。

 それでも、葬儀が執り行なってもらえるだけ良いのかもしれない。ネットのニュー スを見ていたら。昨年度の孤独死は1320人とあった。特に、全国の公営住宅 では、独り暮らしの高齢者の世帯が4分の1を占めていて、この「単身高齢化」 を背景に孤独死が多発しているそうだ。親類縁者もおらず、無縁墓地に葬られる ことも多いのだろう。長くこの世で生きた終末にしては、余にも寂し過ぎる。

 人はそれぞれの宿命から逃れる事は出来ないし、先が見えない運命と宿命の織 りなす綾に翻弄され、高齢期を迎える事は多い。高齢期の幸不幸は自らが生きた 結果で、誰かを恨む訳にはいかない。百歳を超え、家族に見守られてこの世を去 れる者は、恵まれた人なのだろう。長寿と家族との絆を勝ち得た人は、人生の勝 利者でもある。人がこの世を去る時に、一生が凝縮されるとすれば、高齢者にとっ ては他人事ではない。

 喪中葉書は、残された家族が新しい年を迎える為のけじめになるのだろう。故 人と残された家族の関係はそれぞれだ。突然の死による心の動揺や、これからの 生活を如何するかとの思いも有るだろう。長い介護生活の疲労から、葬儀の後に、 体調を崩す人もするだろう。故人との絆が強ければ、断ち切れない思いも強いか もしれない。人は、何時までも過去を引きずっては生きられない。もし、辛さ、 哀しさ、怒りを溜め込んだままなら、人は前には進めない。生前に交誼があった 人達に、遺族が喪中葉書を投函することは、心の整理に繋がるのだろう。

 今年も親しい友人の何人かを失った。年末の喪中葉書が増える度に、年の瀬に 書く賀状の数が減っていく。毎年、歳は増えても賀状が増える事は無い。自分の 住む町内でも、いつの間にか年長者の数が減り、5本の指でも余る程になった。 町で出会った時に、自分を下の名前を「ちゃん付け」で呼んでくれる人は、一人 になってしまった。人は家族や友人、地域社会の人達との繋がりあってこそ、生 きている意味が有る。年長者達が少なくなる事に、寂しさを覚える年の瀬だ。

 墓地に見られる、苔がむし、草の生い茂った、守る人の居なくなった墓石の如 く、この世で係累の途絶えた独居老人の寂しさは如何ばかりであろう。長年に亘 る賀状の交換は、高齢者にとって虚礼ではなく、生きている証でもある。年末の 喪中葉書も故人に繋がる人達が存在している証である。今年も賀状を書く年末が 間近になった。今は、賀状を書ける幸せを素直に喜ぶのみだ。

 この日誌を書き終わった時、8月に亡くなった秋田のWaさんの奥様から転居 を知らせる葉書を貰った。関西に住む、娘さんの近隣に引っ越したとあった。W aさんの介護で疲れた心身を癒すのには、良い環境だと思う。寒さ厳しく、雪の 多い地で、高齢者の一人住まいは辛いものだから。Waさんとの生活が詰まった 家なら尚更だろう。 娘さん達を愛し、奥様に感謝しながらあの世に旅立ったWaさんは、この知らせ に、さぞかし喜んでいる事だろう。年の瀬で、一番嬉しい便りであった。

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