伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2014年11月21日: 人の運命と宿命 GP生

 人間70歳の半ばを迎えると、余生を真剣に考えるようになる。昨年、自分に 前立腺癌が見つかり、現在も治療が続いている。現在の自分は、今まで生きてき た結果の然らしめるものだ。良きに付け悪しきに付け、過去を変えることは出来 ないが、振り返る事は可能だ。自分の人生を思い起こすことは、残り少ない余生 への貴重な糧になろう。幸い、考える時間は十分ある。

 自分は昭和15年、亡き両親の三人兄弟の長男として、この町に生まれた。自 分が物心付いた時、父は大東亜戦争の二回目の出征中で生死不明であった。祖父 は昭和22年に、祖母は23年に相次いで亡くなった。故あって祖父母は養子養 女、子供は長女である母と叔母の二人のみ。当然、父は養子だった。そして、三 代目にして誕生したのが自分であった。男の子の誕生を何よりも喜んだのが、祖 母であったと聞いている。祖母にとって、三代を要して誕生した男の子が、どれ 程の存在であったか想像に難くない。祖母が亡くなる数日前まで、自分は祖母と 一緒の布団で寝ていた。布団の中で何時も、祖母は自分の頭を撫ぜながら、「お 前は跡取りだ お前は跡取りだ」と繰り返した。幼児の時の記憶は身体に浸み込 み、決して忘れる事はない。場合によってはトラウマになる。

 親の庇護下にある年頃では、運命は親の運命に左右される。父は昭和24年に シベリヤから生還した。もし、母子家庭のままであったら、中学、高校進学は変 わっていただろうし、大学進学は無かったかもしれない。就職先も、妻子も異なっ ていただろう。子供が運命の選択を出来る訳は無い。目の前の現実に、無自覚の まま流されるだけだ。子供の運命は両親と一身同体だ。親にとっては運命でも、 子供にとっては宿命だ。

 人の宿命は誰も変えることは出来ないのが定めだ。兄弟姉妹でも宿命は異なる。 自分や姉、弟の今を思うと、それぞれ、異なった人生を送り、全く異なった環境 の中で生活している。同じ家庭で育った条件は同じでも、持って生まれた宿命と 運命の選択が何十年を経過した後、これが同じ兄弟姉妹であったのかと思える差 異を生じさせた。姉は結婚が、弟は就職と結婚が運命の分かれ道であった様に思 える。性別、誕生の順序、宿る魂の違いも宿命であろう。宿命は人生に決定的な 意味を持っている。

 人には運命の出発点がある。子供が親との運命共同体から決別して、自らの意 思で進む道を選択した時だ。自分の場合は大学受験受検であった。学力不足で東京で の受験に失敗し、二浪時に志望校を仙台の大学に決めた。知らない土地で新しい 生活をしたいとの欲求が次第に強くなって来たからだ。初めて、仙台の地に立っ た時の奮い立つ気持を忘れなくとも、運命を選択した自覚は無かった。仙台での 学生時代に、今に続く山の仲間との関係や就職先、生涯の伴侶も決まった。振り 返った時、仙台が今に続く自分の運命の出発点であったのだ。

 人は日々運命の選択を無意識に行っているのかもしれない。右を選択しても、 左にしても結果に大きな差異が生じないのが日常であろう。しかし、人にとって、 進学、就職、結婚は運命の分かれ道になる。就職先とは退職により縁は切れても、 結婚は子供、孫へと続く関係だ。自身にとっては、運命の選択であっても、自分 がそうであった様に、子供達や孫達にとっては宿命となる。人の運命と宿命は複 雑に絡み合っている。

 運命は偶然の産物に思えても、自らの意思と選択によって定まるものだ。迷っ た時、人と相談しても決めるのは自分だ。その時の決断が正しかったか否かは、 誰にも分からない。結果は、時の経過が示してくれる。例え、想定外の結果に至っ ても、誰かを恨む訳にはいかない。この世では、人は先が見えないからこそ、誤 りと反省を繰り返して成長するものなのだろう。

 運命の分岐に立った時、通常、選択肢は少なく、二者択一を迫られる事は多い。 その時、「運命を選択しているとの自覚は無い」のが通常だ。自分が大学を選択 した時も、心に湧いてきた気持ちを、時間をかけて凝縮させた結果だ。だから、 選択の大小にかかわらず、あまり深刻に考えたり、苦しんだりした記憶がないの かもしれない。その時の心の赴くままに判断をして来たならば、その後の結果に 悔は残らない。

 進むべき道を考えた時、金銭や物質的の損得で判断した事はない。自分が、こ の世に生まれ、生きる目的は何なのかは定かではない。しかし、社内の出世や社 会的名声、更に金銭的に豊かになる事では無い筈だ。これ等は、目的ではなく結 果だ。自分は若い時から、世俗的な成功が人生の目的ではないとの気持ちは強かっ た。中高6年間の「心を豊かにすることこそ、人の目的である」との教育が、体 に浸み込んでいたからだろうか。

 広辞苑によれば、宿命とは「前世から定まっている運命」とある。ならば、ど の時代に、どの国のどの町で、誰を両親として生まれるかは、前世から定まって いることになる。自分の宿命を思う時、目には見えぬ力が作用していると感じる 時がある。宿命とは、与えられたものでは無く、生前、あの世で自らの意思で選 択した結果かも知れないのだ。それならば、自分が誕生し育った環境を嘆く事は ない。それがどれ程厳しい環境であったとしてもだ。

 自分の過去を振り返った時、自分のみならず、家族の運命の選択を迫られたこ とも有った。父がくも膜下出血で倒れた時、どの病院に入院するか、又は、大腿 骨骨折から人工透析に至る病院の選択等は、父の寿命を決定づける分かれ道だっ た。今まで、自分や家族の将来に影響を及ぼす決断は、結果的に間違いではなかっ た。これは、偶然ではない。人が、先が見えない判断を求められた時、全て正し い選択をすることは不可能だ。自らの意思による選択でも、目には見えない導き があった様に思える。運命の選択は、必ずしも自力だけでは無いのかもしれない。

 運命の選択をするのは自分であっても、魂の仲間である守護霊や指導霊の助け が無かったとは言いきれない。その時々に、諸霊が潜在意識に働きかけ、正しい 選択に導いてくれたと考えれば、納得のいくことは多い。本当に困った時、予想 外の好展開を経験した記憶が何回かある。利害打算、損得が判断基準であれば、 諸霊の助けは無く、僥倖は生じなかったかもしれない。

 老齢期に入ると、運命の選択は限られてくる。病や身体上の問題、経済問題等 が生じた時だ。若い時の様に輝く未来へは考えられない。選択の余地が狭まって いるのが特徴だ。現在が如何なる状態であれ、積み重ねて来た数えきれない選択 の結果である事に間違いない。老齢期の運命は連れ合いの運命ともリンクしてい る。自分の意思だけでは、如何にまならない事も生じる。それでも、「自らなえ る迷いの縄に 身を繋ぎ心を繋ぐ」様な人生はご免だ。

 自分の今は、この家の長男に生まれ、祖母から「お前は跡取りだ」と頭をなぜ られた宿命の結果だと思う。両親の介護や葬儀を終え、何時の間にか、一家の長 として家族全員の将来に黙って目を配る立場になっていた。前立腺癌に見舞われ たが、幸い治療は奏功している様だ。それ以外の肉体は健全だし、生きる意欲も 衰えていない。これまでの運命は、自分にとって僥倖であった。人生の節々で導 いてくれた諸霊に感謝している。

 自分が何時まで、今と同じ状態を保てるかは分からない。加齢の進行により、 肉体と精神の健全さを何時まで維持できるかも分からない。残り少な人生であっ ても、今後、運命の分かれ道に立たされる事は避けられないだろう。自分に出来 る事は、今までと同じ心構えで、進むべき方向を決断する事だ。認知症が進行す ればその限りに有らずだが。

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