伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2014年11月14日: 賃貸マンションの入居者と退出者に見る人間模様 GP生

 賃貸マンション経営者にとっての理想は、入居者が長く住んでくれて、空室が ゼロの状態が続くことにある。現実は貸室が解約され、次の入居者が決まらない 事の方が多い。この町では賃貸マンションの建設が続き、常に供給過剰だ。築年 数の古いマンジョンは、集客の為に多大の投資を強いられ、厳しい競争に曝され ている。大家にとって、解約申入れが無い事が望ましいが、賃貸である以上避け らけない。解約事由にも色々ある。心温まる退室なら良いが、人間関係の破綻に よる解約が多いのが現状だ。

 解約後の大事な手続きに立会検査がある。退出者には原状回復の義務があり、 部屋を入居時と同じ状態に戻す事が基本だ。検査の目的は、退出者が負担すべき 瑕疵の有無を一緒に確認することにある。巷には、敷金を廻るトラブルは多い。 現在は東京都の紛争防止条例で、通常の生活による、室内の汚損・損耗は免責さ れ、敷金の殆んどは退出者に戻る事になる。

 自分のマンションは間取りがファミリータイプのため、入居者はカップルが多 い。結婚しているカップルの入居者は、殆んどが年配者だ。若いカップルで、結 婚式を挙げてから入居する者は極めて少ない。同棲入居が圧倒的だ。入居前に 「郵便受の名前はどうしますか」と聞くと、「連名で」との返事が返ってくる。 世間に対して同棲を宣言する事になるが、彼らは意に返さない。我々の若い時は、 同棲に後ろめたい意識があったものだ。一緒の生活は結婚式を挙げてからが常識 であった。時代は変った。

 同棲から結婚に至れば良いのだが、その殆んどは空中分解している。関係破綻 は即解約だ。同棲が破綻すると、女性がまず先に退去する。運送業者に家財道具 を運ばせてサヨナラだ。今まで、何組ものカップルを見てきたが、此の逆は一組 も無かった。情けない話だが、何時も男が残される。従って、立会検査に現れる のは男になる。彼に「長く居てもらいたいと思っていたのですが、残念ですね」 と話を振ると、ぼつぼつ別れの経緯を話してくれることがある。

 カップルが双方の親から祝福されて、同棲を始める者は少ない。特に、女性の 親が、一緒に住めと後押しする事はない。殆んどが渋々だ。最初は好き合った男 女でも、一緒に生活すれば、生活感の違いが現れる。育った環境が違うのだから 当然だ。性格の違い、男と女の違いが加わり諍いが起きる。結婚式を挙げ、入籍 した男女でも、気に入らなければ離婚が当然なのだから、気軽に同居を始めた若 い男女には歯止めがない。相手に嫌気を覚えた女性が実家に戻り、愚痴をこぼせ ば、親は別れて帰って来いとなる。

 あるカップルが破綻をした。女性の両親が男性の留守中に、娘の家財道具を運 び出した。頼まれて、大家として立ち会ったが、女性は来なかった。暫くして、 男の方の引っ越しが終わり、立会をして欲しいとの連絡があったので出向いた。 部屋には年配の女性が一人待っていて、男性の母親であると挨拶された。息子が 仕事が忙しく立ち会えないので、引っ越しと立会を頼まれたそうだ。北陸の或る 町から、わざわざ上京したと言う。後始末をしたのは、双方、親であった。この 男女は、これからも自立は難しいだろう。甘やかして育てた親の罪は深い。

 最近のカップルは、女性が契約当事者になることが多い。部屋の決定も女性、 仲介業者との交渉も女性だ。男は黙って側で立っている感じだ。最近、時を挟ん で、契約当事者は共に女性、舞台は同じ部屋での二組の解約を経験した。最初は 同棲で、入籍して夫婦になり、数年間生活をして解約した過程は同じであった。 しかし、立会には天と地と程の違いがあった。

 最初の立会では、男性が一人ションボリ待っていた。点検表に従って室内の検 査を始めて驚いた。リビングの壁と天井のクロス全面に真っ白なペンキが塗られ ていたのだ。床には粘着性の強い白色のタイルカーペットがき詰められていた。 「これは、どうしたのですか」と聞くと、「彼女が白が好きなので」との返事だ。 他の部屋やキッチン、浴室も汚れ放題であった。 検査が終わると、この男性に「敷金はどの位戻ってきますか」と聞かれた。「ま ず無理でしょう。原状復帰には、追加金が必要になるかもしれませんよ」と言う と、彼はガックリと肩を落とした。理由を聞くと、「彼女が現金と預金通帳の全 てを持って行ってしまい、文無しだ。返済敷金を当てにしていた」との答えであっ た。これには返す言葉が無かった。別れ際に、「今度は家庭的な女性と巡り合え ると良いですね」と声をかけた。

 その後、この部屋に入居したのは30代初めのカップルであった。契約当事者 の女性は、何事にも積極的で、しっかり者だ。相方の物静かな男性との組み合わ せには、バランスの良さを感じた。年に何回か、必要に応じて室内に入ることが ある。設備の不具合の改善や避難設備の法定点検があるからだ。何時入室しても、 室内は整然としていた。二人は4年近く、ここで生活をした。入居後2年程して 二人は結婚し、その後、彼女は妊娠した。居室が狭いため、出産後の生活が無理 なので、郊外のマンションを購入した。立会には、妊娠7ヶ月の彼女が一人で現 れた。立会が終わって、大型のキャリーバックを持っ彼女を一人で返す訳にはい かない。自分が荷物を持って駅まで送った。頑張り屋の彼女の事だ、これからも 夫を指揮して、子育てをこなす事だろう。

 同棲で入居したカップルは、女性が出ていくと、男性の殆んどが退室する。家 賃を一人で支払う経済力がないからだ。今年になって、若いカップルが退室した。 この男性は数年前に同棲した女性とうまくゆかず、女性は出て行ってしまった。 その後、男性が「そのまま居住したい」と挨拶に来た。暫くして、小柄で可愛ら しい女性が出入りしていたが、程なくして同居を始めた。契約更新時の申込書に は「婚約者」と書かれていた。その後、2年ほど生活をして、今回の解約となっ た。立会時の話しでは、マンションを購入したとの事だ。嬉しい気持ちになる解 約である。

 この春、忘れられない解約があった。解約者は10年近く居住した年配の女性 だ。入居時には高齢の母親と一緒であった。気さくで、腰が軽く、話好きのこの 母親とは、夕方のゴミ捨て時に一緒になる事が多かった。ゴミ置き場からの帰り に、立ち話をよくしたものだ。テレビの映りが悪くなったり、自分で対処出来に いことがあると「大家さんちょっと」と呼びかけられた。母親は夕張の出身で、 季節になると毎年、メロンを持ってきてくれた。3年前、母親が86歳で亡くな るまで、この関係が続いた。

 母親と娘は特別仲が良かった。母親の死後、一人住まいには部屋が広いし、家 賃がもったいない。けれど、彼女は、この部屋で母親と過ごした想いが忘れられ ず、母親の遺物を処分が出来なかった。気持ちを整理するのに3年を要した。よ うやく、意を決して遺物を処分し、自分が所有する別の古いマンションに転居し た。今でも、ゴミ捨てに出ると、この母親に出会うかもしれないと感じる。母親 が忽然と消えた感じで、亡くなった事に実感が持てないからだ。

 過去に、同居2週間で破局を迎え、2ヶ月で解約した男女が居た。共に高学歴 のインテリであった。二人とも、持ち込んだ梱包の殆んどを解く事無く、それぞ れ転居した。破綻の理由は分からないが、未だこの記録は破られていない。相手 を思いやる気持ちを双方が持っていれば、このような破綻は無いと思うのだが。

 今月になって、先の因縁部屋に若いカップルが引っ越してきた。二人とも人懐っ こく明るい男女だ。入居後、二人して自分の住まいに菓子折り持参で挨拶に来た。 年配者なら分かるが、20代の男女にキチント挨拶されて嬉しくなる。聞いてみ ると、自分の部屋の隣や下の階の部屋にも挨拶に行ったようだ。彼と彼女なら、 空中分解することはないだろう。

 此の部屋の下の階に20代のカップルの入居が決まった。リホームをしている 時に、自分が案内した男女だ。二人から清々しい真面目さを感じた。男性は物静 かで、女性は明るく可愛らしい。話をしていると自分の孫と話している様な錯覚 すらした。彼女から「トイレはウォッシュレットではないのですね」と言われ、 「入居するなら入れますよ」と答えた。先日、自分がこの部屋のリホームをして いる時に、彼女が訪ねて来て、菓子袋と飲み物を差し入れしてくれた。昨日も訪 れた男性が、自分で食べる積りで買った和菓子を置いていった。「住み易い部屋 にしてくれる感謝の気持ちです」と二人とも同じ台詞を加えて立ち去った。

 今回の二組の若い男女を見ていると、今時の若者も、捨てた物ではないと感じ る。持って生まれた性格も有るだろうが、彼等を育てた両親の人柄も偲ばれた。 彼等は、申込書に書いた婚約者から、夫婦に発展するだろう。この様な、若者達 であれば、大歓迎だ。彼等も何年かしたら、自分の家を持ち、賃貸部屋から退室 することになるだろう。退出者達が、素晴らしい家族に発展する期待があればこ そ、解約を申し込まれる大家の心も豊かになる。居住者の幸せは、大家の幸せで もあるのだから。何年か先、立会検査での楽しい会話を期待しよう。

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