伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2014年10月31日: 人との出会いの不思議さ GP生

 先日亡くなられたId先生の四十九日の法要に参列する機会があった。勉強会 最後の生徒3人の内、Miさんは所用の為不参加で、Taさんと自分の2人が参 列した。待ち合わせ場所の藤沢駅改札出口には、Taさんが高齢の女性と一緒に 待っていた。Taさんは、彼女が故三石先生のお弟子さんの一人で、Id先生と 縁のある人だと紹介してくれた。法要の会場まではタクシーで10分ほどの距離 だ。時間に余裕があったので、駅前の喫茶店で30分近くを過ごした。これが、 年齢不詳の女性、Haさんとの出会いであった。

 Haさんは岩手県遠野市に一人で住んでいる。今回は白内障の手術で上京して いたとの事であった。話していて、彼女の年齢は80歳半ばと推察されたが、ど う見ても70歳半ばにしか見えない。血色が良い顔の肌は生き生きとしていた。 三石先生のお弟子として、高タンパク質・メガビタミンを長い間実践してきた結 果であろう。赤血球が産生される過程の酵素反応を楽しそうに語りだした。自分 が、夜飲んでいるアミノ酸液の効能を話したら、メーカー、製品名、価格、それ に入手方法を矢継ぎ早に質問し、メモしていた。

 法要が終つてから、藤沢駅の近くのレストランで三人で昼食を摂った。食事中 も健康と栄養の話が続き、帰りの電車の中でも、新宿までの1時間近くの間、会 話が途切れる事は無かった。自分は女性達の間に座らされた。60代後半のTa さんが右で、左はHaさんだ。両手に華であることに違いない。Haさんから、 何か相談したい時に電話したいので、携帯の番号を教えてほしいと言われた。H aさんとは新宿駅のホームで再会を期して別れた。正に、一期一会だ。

 Id先生の奥様とも初対面だった。お悔やみを述べた後、立ち話でId先生と の14年に亘る勉強会のことを話すと、奥様は、先生から聞かれていた様子で、 話が弾んだ。夫の生徒が法要に参列してくれたことを、心から喜んでおられる様 子が良く分かった。涙声で話される様子から、生前のご夫婦仲が偲ばれ、自分の 心に熱いものが溢れてくるのを覚えた。納骨を終え、帰る我々をエレベーター前 まで送られる姿に、別れ難い思いを感じた。

 もし17年前、三石先生最後の著書を本屋で偶然手にしなかったとしたら、メ グビー社の人達との出会いは無く、Id先生の勉強会も知らず、最後の二人の仲 間とも、ましてやId先生の奥様との出会いも無かった。出発は偶然であっても、 それから先は意思と行動の問題なのだろう。同じ偶然に遭遇しても、行動は人そ れぞれだ。思い起こすと、自分は何かに突き動かされた感もある。その結果、多 くの人との出会いに恵まれた。進むべき方向に間違いは無かった。

 Waさんの奥様との出会いもそうだ。2年前、Waさんが叙勲の為秋田から上 京した時、帝国ホテルの一室でTG君やSa君と一緒にお会いした。奥様とは挨 拶を交わした程度であったが、Waさんとは、生涯最後の生の会話となってしまっ た。Waさんが脳梗塞による失明以来、月2回、電話で話を続けた。Waさんが 不在の時は奥様に病状を聞く事が多くなり、時の経過とともに、Waさんに聞け ない話を奥様から聞くために、電話を掛けることも有った。次第に奥様の悩みを 聞くことも多くなった。若し、帝国ホテルで奥様とお会いすることが無ければ、 そこまでの会話は無かったと思う。たった一度の出会いが出発点だった。

 2年ぶりに奥様に会ったのは、Waさんの葬儀の日であった。その時、何十年 来の知己に出会った様な感覚を覚えた。学生時代から肝胆相照らす仲であったW aさんとの関係が奥様に乗り移ったのかもしれない。奥様は、出しゃばらず、奥 ゆかしく、妻としての役割を一歩下がって黙々と務める、東北人の美徳を体現し た女性だ。芯の強さは心中に秘めたままだ。考えてみれば不思議な関係だ。人間 関係の妙としか言いようがない。

 自分の前立腺癌の治療は東京慈恵医大で行っている。泌尿器科の医師にも、放 射線科の医師にも恵まれた。この病院を紹介してくれたのは、隣町の泌尿器科の 開業医だ。更に、この医師を紹介してくれたのが、自分のマンションに長く住む 薬剤師だった。薬剤師が26年前に、自分のマンションに越してこなければ、自 分は高度な治療を受けられなかったかもしれない。人との出会いの不思議を感じ る。

 今でも、色々な人との出会いは多い。マンションの居住者の人間関係は、管理 人として神経は使っても、ビジネス以上の関係には成らない。ジムでも出会いは 多いが、ひと時を楽しむ以上のものではない。 サラリーマン時代に色々な出会はあったが、本音で話せる人は数えるほどだ。そ れも、20代頃に人間関係が始まった人達に限られる。心が通じる人間関係は、 若い時にしかありえないと思っていた。けれど、ここ数年、70歳を過ぎてから 知り合った人達との関係を思うと、今までの考えを変えざるを得ない様だ。

 伝蔵荘の仲間は、50年以上昔出会った山の同期や後輩達だ。加齢を重ね、人 生の労苦を経験してくると、人は、積み重ねて来た人生観が色濃く濃縮されて来 るものだ。気心の知れた山の仲間であっても、「アイツは、昔はあんな人間では なかった」との思いに駆られることも有る。勿論、昔と変わらぬ仲間も多い。お 互いを良く知りつつも、仲間の関係に濃淡が就くのは避けられない。

 何十年来の友であっても、一期一会の人であっても、心が通じ合う深さに違い があるのは、何故だろう。その前に、出会いが何故起こるのだろうか。 人との出会いは、意識せざる偶然に意味が有ると考えるようになった。高橋信次 先生の「心が人の本質である」との考えに共鳴した事と無関係ではないと思う。 人との関係は求めなければ深まらない。求めても深まらない。相性の問題なのか もしれない。

 若い時は将来に対する希望があった。高齢者にとっての将来は、人生の終焉を 如何に迎えるかに尽きる。それに至るまでの高齢者の望みとは何だろうか。高齢 者に生きる意欲をかき立たせるものは、人との出会と会話であると思う。人との 関係が深まれば深まるほど、心が豊かになる。高齢期になっても、心が通じ合う 人間関係は、心の持ち方に因るものである事を実感している。 人との出会いは、待っていては叶わない。望んでも出来るものではない。人は、 自らの意思で生きている様に見えても、目に見えない大きな力により導かれてい るのかもしれない。この世に生まれた事も偶然ではない。人との出会いも意味が あるのだろう。現世では分からない事だ。

 人は、加齢を重ねるにつれて、自分が生きる為の証、すなわち、積み重ねた人 生観に重きを置くことになる。自分の生き方に拘泥すると、他の人の意見を聞け なくなる。自分は、これを老人性思考硬直と呼んでいる。思考の硬直は人を遠ざ ける。人が近寄らないとしたら、余生は淋しいものになろう。

 自分は、生きている限り心を豊かにする努力こそ、この世に生を受けた人の大 事と考えている。心を豊かにすることが、年齢に関係なく、人の輪を広げる基に なるからだ。人は人と出会うことで成長できるものだ。望まなければ人の輪は広 がらない。けれど、望むだけでは叶わない。人との出会いの不思議を実感する昨 今である。

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