伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2014年10月24日: 女性の社会進出の矛盾と功罪 T.G.

 友人達と伝蔵荘で泊まりがけゴルフをやった。往き道、下仁田を通りかかったら、街道沿いで下仁田ネギを売っている。このネギは鍋物にすると実に美味だが、寒くならないと味が良くない。だから品質を守るために、農家の自主規制で11月にならないと販売しない。いわば抜け駆け販売である。夜、伝蔵荘の暖炉の周りで鍋でも囲もうと、ひと束500円のネギを買う。

 売店の壁に、話題の小渕優子代議士のポスターがデカデカと貼ってある。「この人のお陰で下仁田ネギはすっかり有名になったね」と店先のおばさんに軽口を叩いたら、「何も悪いことをしていないのに、寄ってたかって虐める。優子さんが可哀相だ」とお怒りである。うっかり口答えでもしたら、売ってくれなくなりそうな雰囲気である。慌てて「そうだね。気の毒だね」と話を合わせて売ってもらった。この様子では、次期総選挙でも小渕優子氏のトップ当選は間違いなさそうだ。

 22日の産経新聞のコラムに曾野綾子氏が小渕優子代議士のことを書いている。「小渕氏の父君(元総理の小渕恵三氏)は有徳の方だった。何より優しい。しかし娘の小渕氏は、総理の器どころか、政治家にもあまり向いていない。今までことあるごとに発言しても、彼女独特の明快で強度のある表現は全くなかった。つまり素質的に最初から総理の器などではない。それを見抜けなかったか、知っていても、人気取りの人事をおこなった安倍総理と、話題をあおったマスコミは、共に人を見る眼がなかったことになる」と喝破している。

 実に同感である。彼女に特段の政治哲学があるとは思えない。当選5回の政治家として、彼女の政治発言を聞いたことがない。単なるお嬢さん二世議員である。原発再稼働や、太陽光電力買い取り問題や、産業競争力回復など、難問題を抱えた経産大臣が務まるはずがない。下仁田ネギや明治座や赤ワイン以前の問題で、今回の内閣改造で小渕経産大臣が決まったときは唖然とした。国政の場で、適任適材を度外視してまでの女性登用は大いに疑問である。手腕を振るっていたのに交代させられた前任の茂木前大臣はさぞお怒りだろう。

 広島の病院で副主任に昇格した女性が、妊娠を期に降格させられたのは男女機会均等法違反だと訴えていた、いわゆるマタハラ裁判で、最高裁第一小法廷が原則違反の判決を出した。裁判官5人全員一致の意見で、妊娠・出産に伴う異動を契機にした降格を原則として禁じる判断で、最高裁が雇用主側に「働く女性」への配慮を強く促したものだという。

 話しの流れとしてはごく妥当な判決で、異論を唱える筋合いはこれっぽっちもない。しかしよくよく考えると疑問が湧く。この判決は結果として女性に不利な状況を生み出おそれが多分にある。こういう判決が繰り返されると、企業は女性の採用や昇格に二の足を踏むようになるだろう。少なくとも女性の受け入れに積極的ではなくなるだろう。結果として女性の活躍の場を狭めることになるだろう。自分も会社で管理職をやったことがあるが、ある程度私生活を犠牲にしなくては務まらない立場である。子供のことは家内任せでないと仕事にならない。とてもではないが妊娠、子育てとは両立しない。管理職というのはそう言う立場である。裁判所はそのことを考慮に入れない。なぜなら法律には書かれていないから。裁判なんてその程度のものなのだ。

 安部政権は「女性が輝く日本へ」と称する女性の社会進出政策を掲げている。その中には政治も含まれている。総論としては誰も異論がない。その中の「待機児童の解消」や「子育て後の職場復帰」までは良しとして、「女性役員、管理職の増加」となるといささか首を傾げたくなる。女性の取締役や部長が増えるのは大いに結構なことだが、増やすこと自体を目的化するのは誤りである。安部政権は企業の役員、管理職の3割を女性にすることが目標らしいが、女性と言うだけで能力もない役員、管理職が増えたら企業活動は成り立たない。それが政治の世界だったら国を誤る。小淵某はその好例だ。女性の地位向上には、社会の意識改革や教育など、長期にわたる地道な改革が必要である。それも無しに数値目標を決めるのは愚策と言えるだろう。

 「女性の社会進出」とは何を指すのだろうか。大方は、家事や出産、育児から解放され、毎日通勤電車に乗って出社し、部下を管理しながらオフィスでバリバリ仕事をする姿をイメージするだろう。もしそうだとすれば、今までの女性特有の役割だった家事、出産育児とは相反する生き方だから、少子化がいっそう加速するのは必然だろう。結婚して家庭を持つと言う旧来的な価値観が薄れるから、家族制度にも大きな影響を与えるだろう。その結果社会の安定や結びつきは希薄になるだろう。実際問題として、女性の社会進出を進めながら少子化を押しとどめられた国はない。経済成長を成し遂げた国もない。はたして女性の社会進出は理想なのだろうか。

 「合成の誤謬」という概念がある。「部分は正しくても、部分によって合成された全体が正しいとは限らない」という意味である。女性の社会進出は正しいことであっても、それによって日本の将来が良くなるとは限らない。少子化と社会の連帯意識低下、その帰結としての低成長という誤謬をまねく可能性は多分にある。

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