伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2014年10月18日: 老人の思考硬直が解ける時 GP生

 自分は都内西の外れ町に生まれ、学生時代とサラリーマンの一時期を除き、こ の町に住み続けている。老後は、博多か仙台で過ごしたいと思っていても、現実 は叶わぬ夢だ。今は、親から引き継いだ、しがない賃貸マンション業を営んでい る。

 大正11年7月、国鉄中央線の駅が町に開業した。それと相前後して、当時の 村内で区画整理が計画され実施された。自分の家は先祖代々、この地で農業を営 んでいたが、駅から一直線に伸びるメイン通りで畑が二分された。農作業が出来 なくなり、祖父は道路両側の土地を商店主に貸すこと事を始めた。これが家業の 始まりである。現在は、対象物件が土地から建物に代り、自分はサラリーマン退 職後、賃貸業三代目となった。

 駅が開業してから1年後の大正12年に関東大震災が発生した。都心は焼け野 原となり、多くの人がこの町に移り住んで来た。整然と区画整理された土地に、 軍人、政治家、官僚、学者、文人等が移り、町は次第に高級住宅地の趣きを呈し ていった。大東亜戦争の被災を免れたことも有り、現在も郊外は昔の雰囲気を残 している。この町のイメージが賃貸マンション業には追い風となった。空室が発 生しても、時をおかず、次の居住者が決まる状態が長く続いた。空室のリホーム は畳の表替えや汚れたクロスを交換するだけで良かった。20年前には、部屋に 1台のエアコンを設置すれば入居者に歓迎され、大きなアドバンテージになった ものだ。

 時代は変わった。3年間の民主党政権の前と後とでは、入居者の意識が大きく 変化したように思える。空室が生じても、すぐに次の居住者が決まらなくなった。 入居対象者は若いカップルが多い。彼らの好みも多様化してきた。雨後の筍の如 く新築マンションが次々に建てられ、同じ賃貸条件なら、入居者は新しい物件を 選ぶ。当然のことだ。特に、この一年、次の入居者が決まらない。1年程度の空 室が常態となった。リホームした時の青畳は黄色く変色し、最新のエアコンはオー ルド機種と化した。自分は長年の感覚で、何時かは決まるだろうと悠長に構えて いた。しかし、事態は次第に深刻になってきた。

 8月頃から解約が相次ぎ、所有物件の2割以上が空室となった。その中には2 年以上も、主の決まらぬ部屋が有る。仲介業者が案内しても決まらない。このま までは、全室が空室と化す悪夢も現実になるかもしれない恐怖に駆られた。部屋 が、若い人にとって、魅力のない物件になっていたことに、自分は鈍感であった。

 昨年5月以来、前立腺癌の治療に関心が移って、家業が疎かになったこともあ る。それ以上大きいのは、気が付かない内に、思考が硬直化して、柔軟な発想力 が衰えてきたことだ。平成元年以来、業務提携してきた仲介業者との関係もマン ネリ化していた。お互いの馴合いが続いても、空室が埋まれば、それで良しだが、 現実は店晒し状態が続いた。自分と同年の社長の思考も、硬直化して居るのかも 知れない。この状態が続いたら、経営上由々しき事態となる。思い切って、他の 仲介業者との提携を模索した。

 この町で大手のHa不動産に提携を申し入れた。通常、業者と大家の業務提携 は専任媒介契約に基づき行われる。複数の業者と並行して業務提携すると責任が 分散して、必ずしも効果的結果をもたらさない。今回は、従来の業者に、他と並 行提携する旨は通告はした。二社間の調整は自分の責任で行うことになる。

 Ha不動産賃貸課の責任者は、もの静かな27歳のMoさんだった。Moさん とは、事務所で提携の基本的な条件を話し合った後、現場を案内した。彼の感想 は「良い物件だが、もう少し手を入れないと決まらないだろう」であった。具体 的には、フロアーが時代遅れ、照明の色調に統一感が欠ける、少ない収納を増や す工夫が足りない、畳が焼けている等の指摘を受けた。更に、長期間の空室状態 による各所の汚れも指摘を受けた。まさに、大家の怠慢である。

 「空室が出来たらすぐに畳を換えないで、(畳の表替え予定)と張り紙を出せ ば、入居者は青畳で使用できるので喜ばれる。」とか、「エアコンも直ちに交換 せず、交換予定の張り紙を出せば」とのアドバイスを受けた。 彼の指摘は、自分にとって新鮮であった。賃貸マンションのフロアーはクッショ ンフロアー(CF)が定番である。現在はフロアータイルが主流であると教えら れた。硬い、板目調の合成樹脂版を一枚づつ床に張り、完成するとフローリング と同様の趣きを呈する。唯、工事費はCFの倍はかかる。少し努力すれば、新建 材の情報は幾らでも入手できる。発想が硬直化している上、行動意欲が著しく低 下していたのだ。能力の低下は、老化によると考えれば納得がいく。

 27歳のMoさんは、宅地建物取引主任者や賃貸不動産経営管理士等の資格を 有する勉強家だ。更に、毎日、何人もの顧客に接し、移り変わる顧客のニーズを 的確に把握していた。彼は、自分の硬直思考に風穴を開けてくれた。彼の指摘は 嬉しかった。彼と話をすることで、これからの賃貸業の有り方に、方向性が見え て来たからだ。だから、彼には、「遠慮はいらない、年齢差を気にするな、率直 な意見は大歓迎だ」と念を押した。彼は柔らかな物腰のスマートでハンサムな青 年である。自分とは真逆の人物だ。何回も話している内に、穏やかな語り口の中 に、確固たる意思を感じさせるこの青年が、信頼に足る有能な人物であることが 分かってきた。

 例えば、収納不足を補うために、「既成の収納箪笥を買うつもりだ」と話すと、 「時間があるので一緒に行きましょう」と言い、自分の車に同乗して郊外の家具 屋まで同行してくれた。通常、仲介業者はここまでの行動はしない。車内での雑 談は、お互いの理解を深める場となった。

 9月に入り、業者の協力を得て改装工事が始った。Moさんの営業グループは 次々に顧客を案内して来た。リニューアルされた部屋を中心に、この1ヶ月で、 相次いで何件もの成約を見た。その内の2件は、2年以上の空き部屋だ。フロアー を張替え、収納を増設し、照明器具をLEDに替えたのが奏功した。現在も改装 工事は継続中だ。

 部屋の改装に雑工事は付き物だ。これまでも、雑工事は業者に依頼すると割高 になるので、自分の仕事としてきた。今は、細かい改装でも、Moさんと相談し て行っている。入居者が決まると、賃貸契約書等の書類作成が待ったなしだ。書 類だけで8種を準備する。これは、夜の仕事で、昼間はリホームの雑工事や材料 調達に車を走らせることになる。体調は良いものの、前立腺癌の後治療中の身だ。 オーバーワークは禁物だ。

 気が付いたら、最近、現役時代の仕事感覚が蘇っているのを覚えた。若き良い アドバイザーを得て行動し始めたら、次々に成果が付いて来た。これからの経営 にも、灯りが見えて来た。先日も、業者が案内してきた20代の婚約者男女と作 業中の部屋で遭遇した。案内者の話を聞いていて、説明が不十分と感じたので、 自分が補足説明を始めた。営業屋に変身だ。説明を終え、次いで、二日前に空い た未改装の部屋に案内して、雑談を挟んでリニューアルの予定を説明した。1時 間後、男女はこの部屋を申し込んでくれた。

 若い男女との会話からは、新鮮な刺激を受ける。年寄りの話しに耳を傾けてく れると嬉しい気持ちにもなる。部屋を長期間利用してもらうには、入居者と大家 との信頼関係は必須だ。案内の最中に信頼関係の一歩を築けたことは喜びである。

 工事業者のYaさんとも20年来の付き合いだ。最近、リホームの相談は、Mo さんとYaさんを交えて、現場で行う事にしている。彼等は真剣に検討してくれ る。自分の役割は、彼らの提案に対して、何処まで投資するかの判断だ。熟考し、 その場で結論を出す事が肝要だ。これが、二人との信頼関係構築の基となる。後 で返事をしますでは駄目なのだ。忘れていた真剣勝負の感覚を蘇らせてくれた協 力者達に感謝あるのみだ。

 若い時から肝胆相照らす友人であっても、70歳を過ぎると惰性の関係に陥る 事は多い。お互いが分かり過ぎて、刺激が無くなるのかもしれない。何事も億劫 になり、新しい話題を供する事もなくなる。偶に会っても、語り合う話題がない。 そんな時、趣味の囲碁に興じて時間を潰す事になる。老人にとって残された時間 は貴重だ。此の時間を充実したものにするには、充実した会話しかない。その自 覚があれば、趣味の世界に没頭することなく、旧友との語り合いを楽しむ事が出 来るだろう。気持ち次第で、話題は幾らでも生じる。老人性の思考硬直が、人生 を視野狭窄状態に陥らせるとしたら、友人関係は寂しいものになろう。

 自分は時々、用あってTG君のお宅を訪問している。TG君の入れたコーヒー を飲みながらの雑談は、現在、過去、そして将来に亘り話題は尽きない。心優し い話題豊富な奥様の存在も忘れてはいけない。気心は知れているから、下手な遠 慮は無用だ。自分にとっては実に有難いリフレッシュの一時でもある。老人にとっ て、心の通じると友との会話は心の栄養剤だ。

 心の柔軟性を失うと、老後の人生は輝きを失い、モノクロームの写真の如く単 調な色合いになる。最近の自分の経験から痛感している。老化と共に脳細胞は減 少し縮小するのは人体の宿命だが、使われない細胞も多い。頭脳に刺激を与え、 心を広げる努力は、残り少ない老後の人生を豊かにする基だ。 「我を苦しめるも我が心、我を救うも我が心」なのだから。

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