伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2014年10月1日: 御嶽山噴火と登山ブームの功罪 T.G.

 久し振りにGP生君が来宅してくれて話が弾んだ。話題が最近の御嶽山噴火と遭難に及んだ。彼とは学生時代の山仲間である。彼が「噴火が始まったのは11時58分。ちょうど昼時で、登山者が頂上で一斉にお弁当を開く時間だったので被害が大きくなった。我々が山を歩いた頃は、頂上には長居をしなかった。ある意味危険なところと言う意識があり、頂上で弁当を使うなど考えたこともなかった」と言う。言われてみれば確かにの通りで、三角点に触って写真を撮ったらさっさと下山にかかったものだ。昼飯は頂上から離れた風の当たらない窪地や岩陰や林の中で食べた。さらに付け加えて、「最近の登山者は山は危険な場所という意識が欠けている。だから頂上でのんびり弁当を使うのだ」と言う。

 まったく同感である。ずいぶん山には登ったが、風が強い吹き曝しの頂上で弁当など食べた記憶がない。そもそも頂上で昼食を摂る発想がなかった。そう言われて気付いたことだが、3千メートルの頂上稜線に数百人もの登山者がいたことの異様さである。想像もつかない。おそらく頂上付近は人でごった返したディズニーランド状態だったに違いない。我々の頃は登山者が少なく、どの山の頂上にも人がいなかった。いたとしてもたかだか数人、登山者に会わない山も多かった。御嶽山は昭和54年にも同規模の水蒸気噴火を起こしたが、今回と違い犠牲者はいなかった。おそらく登山者がいなかったのだろう。たった30年前の話しである。今回の大量遭難は、噴火という異常事態を割り引いても、行きすぎた登山ブームが招いた悲劇だろう。

 亡くなられた方々には気の毒だが、そもそも登山は危険な遊びである。常に危険と隣り合わせである。だからスポーツ保険でもアメフトやボクシングより保険料率が高い。アイゼンピッケルを使う登山だと保険の対象にならない。我々の頃は噴火までは想定しなかったが、3千メートルの山は危険なところと言う認識が常にあった。稜線でうっかりつまずいて転んだら、間が悪ければ簡単に死ぬ。だから転ばないように細心の注意を払って歩いた。テントサイトや昼飯を食べるときは安全な場所を選んだ。自分の技量や体力を越える山には登らなかった。各自がその限界をわきまえていた。だから当時の遭難はロッククライミングや冬山など先鋭的登山がほとんどだった。一般縦走路での遭難は少なかった。一般縦走路も我々のような体力のある若者がほとんどだった。今は違う。文字通り老若男女が登る。おそらく体力も技量も経験も様々なのだろう。

 今回の噴火遭難も、同じ状況にありながら無事下山できた人が少なからずいる。印象に残ったのは登山ガイドの27歳の女性の話しである。下見に一人で登って、頂上直下で噴火に出くわした。一瞬窪みに身体を伏せて噴煙を避けたが、息苦しくて呼吸が出来なかった。しばらくして風向きが変わりあたりを見渡したら、腰まで火山灰で埋まっていた。そこから身体を引き抜いて、後は一目散に山を駆け下りたのだという。運良く火山弾に当たらなかったら、ガイドとは言え女性でもそれが出来る。にもかかわらず同じ状況で助からなかった人が大勢いる。彼女が助かったのは、経験に支えられた咄嗟の判断力と、山を駆け下りられる体力ゆえだろう。お気の毒にも助からなかった人たちはそれが欠けていたのだろう。

 噴火は滅多にないことだが、山にはそれ以外にも危険はたくさんある。暴風雨、暴風雪、落雷、低温、凍結など過酷な条件はいくらもある。数年前、夏の北海道のトムラウシ山で大量遭難があった。悪天候の中、風雨にさらされた旅行会社の中高年グループが低体温症にかかり、10名近い遭難者を出した事故である。学生時代GP生君等と一緒に、同じ時期、同じような悪天候の中、トムラウシに登ったことがある。(右の写真がその時のもの)50キロ近いザックを担ぎ、梅雨末期の風雨の中、粗末なウエアで全身ずぶ濡れで歩いたが、寒さを感じた記憶がない。低体温症など想像もしなかった。我々の頃と違い、今頃の登山ウエアは完璧である。それを着ながら夏の山で凍死する。大いに驚いたが、この違いは年齢と体力差だろう。付け加えれば登山経験だろう。若くて体力さえあれば、夏の山で低体温症などにはならない。この遭難も自分の体力と経験不足を軽んじた結果だろう。そうとしか考えられない。

 それにしても、3千メートルの頂上稜線に数百人とは、いくらなんでも多すぎる。異常としか言えない。登山ブームの悪い側面である。今は登山ウエアや用具も高性能になっている。多少の能力不足は用具が補ってくれる。高いところまで車で入れるので、登るのも簡単である。今回の御嶽山も、車を降りて2時間ちょっとで誰でも3千メートルの頂上に立てる。だから登山者が増えた。しかし何かことが起きたら、3千メートルは過酷な場所に一変する。体力技量のない登山者には耐えられない場所になる。降りしきる火山灰の中、多くの遭難者が自力で駆け下ることが出来なかったのはそれ故であろう。

 最近の登山ブームは「日本百名山」によるところが大きい。これに触発された山好きが、準備も無しに気軽に登山するようになった。深田久弥も罪作りなことをしてくれたものだ。深田久弥は戦前の作家である。高校生の頃気に入って、代表作の「知と愛」などを愛読したが、彼の一連の作品はすべて別れた奥さんが書いたものだそうである。本人の著作は戦後に書かれたこの「日本百名山」だけなのだという。それはさておき、そろそろいかにも軽い日本の登山ブームを一考すべき時ではないか。噴火予知は別の課題として。

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