伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2014年9月16日: 分子栄養学勉強会の終焉 GP生

 9月の勉強会は第4日曜日と決まっていた。毎年7,8月は休講月であったの で、9月を楽しみにしていた。通常ならId先生からの出欠を問うメールが届い ている時期なのに着信がない。少し気になっていた。ところが、昨夜9時過ぎに 勉強会の女性Taさんから突然電話を貰った。Id先生が8月末に急逝されたと の知らせであった。先生の奥様が気落ちされ、連絡が遅れた由。電話を受けてか ら、勉強会に参加した経緯や、14年間の勉強会の事、自分と家族が勉強会から 受けた恩恵を考ると、中々寝付くことが出来なかった。

 思い起こすと、平成13年2月頃、メグビー社から公開講座開設の案内が届い た。講座の目的には、「毎日摂取している食べ物(栄養素)が生体内でどの様に 働いているのか、遺伝子レベル(分子栄養学)、量子生物学で考え、毎日の食生 活でどの様な点に留意すれば良いのか、特に、良質タンパク、ビタミン、ミネラ ル、必須脂肪酸、抗酸化食品を科学的に考察する」とあった。

 平成9年7月に、日本の分栄養学の創始者たる三石巌先生の最後の著書「医学 常識はウソだらけ」に出会ってから、先生の著書を探しては読んでいた。幾ら読 んでも、所詮独学た。もう一歩突っ込んだ勉強がしたいと思っていた時に、公開 講座の連絡があった。願ってもいない機会だった。直ぐに申し込んだ。これが講 師Id先生との出会いであった。

 講座は年10回の開催で、分子栄養学での考察は多岐に亘っていた。受講生は 30人以上。平均年齢は60歳を超えていただろう。8割以上が女性であった。 群馬県の館林市や長野県の大町市から参加する人や、札幌から航空機で往復する 女性も居た。何れも三石先生のアドバイスで、家族が難病から救われた経験を有 していた。講義は2時間、質疑応答は30分近くで活発な議論がなされた。参加 者は自身や家族の健康問題で悩んでいる人が多く、皆真剣であった。講座の場所 は江古田のメグビー社会議室から始まった。

 第一回目のテーマは「必須脂肪酸の分子栄養学」で、「小金井研究」で知られ る疫学の研究結果の解説で始まった。「長寿者はバランス良くタンパク質を摂っ ている」、「百歳老人の方が動物性タンパク質の割合が多い」、「ガンは低コレ ステロール、虚血性疾患は高コレステロールが危ない」更に「カロチン摂取」、 「受動喫煙の恐ろしさ」、「SODの寿命への影響」等の疫学調査の結果が示さ れていた。これ等の問題を分栄養学の立場から、どの様に考えるかがプロローグ であった。この時の印象は強烈であった。毎回の講義は新鮮な刺激に満ちたもの であった。翌月のテーマに期待を持って日々を過ごしたことを覚えているる。

 年を重ねるにつれ講義内容は少しずつ高度になっていった。生じる疑問に答え るには、更に一歩踏み込む必要があるからだ。例えば、分子栄養学の基本は分子 生物学だ。DNAが生体で、どの様な役割を果たしているのか、DNAの異常が 何故生じるのかを理解するには、かなり高度な思考を要求された。だが、発癌の メカニズムを理解するには必要に事だ。内容が高度になるにつれ、受講者の数が 次第に減少していった。8年目頃には15,6人に、10年目には6人までになっ た。それにつれ、会場もメグビー社の会議室 から都立高校の貸会議室に替り、 更に喫茶店のルノアールの貸ルームに替った。 12年目には3人になり、ルノ アールの一般席が勉強場所となった。

 この頃になるとId先生の講義に参加者が質問する形式から、先生が準備した テーマや書籍の内容について4人で議論する形に替っていった。70歳を過ぎて 純粋に理詰めの議論をする機会は無い。下手に理屈を述べれば、周囲から爪弾き になることも有る。しかし、喫茶店での勉強会は誰憚ることなく議論が出来た。 約2時間のフリートーキングは極めて有意義な情報効果の場でもあった。月に1 回の機会であっても、分子栄養学を中心に栄養と生体の働きを議論できたことは、 老いた頭脳に新鮮な刺激をもたらした。

 昨年の5月、自分が前立腺のトラブルに見舞われた頃のメインテーマは、癌の 発症とその対処法であった。先生が癌と対峙しておられたことと無縁ではないだ ろう。先生が自ら語らなくとも、先生の身体の変化を見れば察しはつく。発症部 位は違っても、自分も同じ闘病者だ。この時のテキスト「あなたのガンを消すの はあなたです−渡邊勇四郎著」と「がん再発を防ぐ完全食−済陽高穂著」の2冊 は、闘病のバイブルとなった。これ等の著書と勉強会での議論が、自分の前立腺 癌に対処するのに、どれ程有益であったか知れない。心の支えとなったと言って も過言ではない。

 癌患者にとつて、関心の一つは治療後の再発がある。どんな治療をしても癌細 胞が完全に消滅したかを知ることが出来ない。前立腺癌ですら、治療後の再発率 は30〜50%だ。医者は所定の治療をすれば後は何もできない。再発の可能性 を如何に抑えるかは、患者の自己責任だ。癌は生活習慣病だ。ならば、食生活を 中心に発癌を抑制する生活習慣を考えなければならない。勉強会は自分の食生活 を考え直す絶好の場であった。

 勉強会で学んだことや有益な情報は、家人に話す事が習慣となった。難しい理 屈はさておき、家庭内では、結論を中心に話すことが多かった。時間の経過と共 に、夜の食事内容がが少しずつ変わっていった。自分の前立腺がん発病以降は、 四足動物の肉が少なくなり、味付けが極端な減塩に替った。家人の努力には感謝 の言葉しかない。その家人も、小病はしても大病はしていない。家人の食事を見 ても、彼女自身が自分の体質を理解した上で、栄養バランスと摂取量を考えてて いる事が良く分かる。

 都立高校の貸会議室時代は20人近い受講生が居た。最高齢は80歳の男性だっ た。勉強会が終わると最寄りの駅まで、皆して、お喋りをしながら歩いたものだ。 気が向くと、巣鴨駅近くの喫茶店で先生を囲み、お茶とケーキで雑談をした。雑 談会は健康問題の悩み相談会となった。参加者は皆意識レベルの高い高齢者だ。 人生経験も豊富なので話題は尽きない。健康情報の交換の場でもあった。他では 経験できない楽しい時間であった。もう二度と経験できないひと時であった。

 人数が激減した頃、先生の休講が多くなった。先生の身体に異常が生じている 事は想像出来た。議論の際も、先生の声に張りが無くなっているのが良く分かっ た。それでも、勉強会は続いた。そして、6月の勉強会を最後に、遂に終焉を迎 えた。

 手元に、14年間に亘る膨大な量の先生手作りの資料が残っている。広げてみ ると講義中に書き込んだ朱色の文字が至る所にあった。分子栄養学の大筋は頭に 残っていても、細かい情報は記憶から消えている。詳細を再検討出来る資料は自 分にとって宝物だ。時間をかけてもう一度読み直してみようと考えている。自分 と家族の健康レベルを向上させるヒントが、これ等の情報に散りばめられている からだ。

 先生がご逝去されて、最後に勉強会の仲間3人が残った。女性1人、男2人だ。 勉強会最後の場所となった巣鴨駅前のルノアールで、先生を偲ぼうと相談してい る。平成9年に本屋で三石先生の著書に偶然出合い、題名に魅かれ手に取った。 もしあの時、本屋に立ち寄らなかったなら、分子栄養学に出会うことも、Id先 生の勉強会への参加も無かったろう。それだけでなく、自分や家族の健康状態も 今と違ったものになっていたと想像出来る。眼に見えない何かが、導いてくれた としか考えられない。人の運命の不思議を感じる。

 先生は原発癌が肺に転移して、この世を去られた。先生は我々の会以外にも、 幾つかの会を主催されていた。先生ご逝去の報に接し、楽しく有意義な勉強会が 二度と開催されない寂しさを味わっている方も多い事だろう。三石巌先生の直弟 子が、また一人この世を去った。人には寿命があることは理解していても、長年 付き合いの有った恩師、知人、友人を失うことは辛く寂しいことだ。先生が亡く なられたその日、自分はWaさんの告別式で弔辞を読んでいた。Id先生がこの 日ご逝去されたとは知る由もなかった。

 三石先生は「生涯学習者たれ」と言われている。学習し続ける事が、健康レベ ルを向上させることに繋がることを実感した14年間でもあった。学習し、そし て実行する事。それが例え、試行錯誤であったとしても、大事であると思ってい る。「健康とは、病気とは」を日常生活の中で考える基礎を教授してくれたId 先生には心から感謝している。志半ばで、この世を去られた先生の魂の冥福を祈っ ている。

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