伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2014年8月15日: 今年も再び終戦記念日 T.G.

 今日は世に言うところの終戦記念日である。新聞テレビもそう報道している。なにか違和感がある。終戦ではなく敗戦記念日ではないのか。終戦というと自然に戦争が終わったように聞こえるが、そんなことはない。こてんぱんにやられて負けたのだ。だから終戦記念日は誤りで敗戦記念日が正しい。終戦記念日は虚構というか、ねつ造、誤魔化しである。従軍慰安婦と同じである。マスコミはしばしばこういう作為的インチキをやる。愚かな国民はつい騙さされる。負けたのではなく終わっただけなのだと思いこむ。でも敗戦を終戦と言い換えて記念日にするのもおかしな話しである。失業記念日とか離婚記念日と同じである。いつ日本はこういうマゾヒスト国家に脱したのか。

 朝日新聞が安部総理が戦没者追悼式における式辞で、アジア諸国への加害責任に言及していないと盛んに非難している。他の新聞テレビも同調している。何を馬鹿なことを言っているのか。当たり前ではないか。戦没者追悼式は戦争で亡くなった人を追悼するイベントである。四十九日や七回忌と同じである。そう言う場所で故人に対して「あなた方はこんな悪いことをしたんだよ。反省しなさい」と言うのと同じである。そんなことは別の場所で言うべきであって、葬式や追悼式で口にすることではない。そう言う人の道に外れたことを言えと総理大臣に要求する。自虐もここまで来ると救いがない。卑しい。新聞テレビは自虐が嵩じて少し頭がおかしくなっているのだろう。

 昭和20年8月15日は小生ちょうど満5歳半。今で言う幼稚園の年長組である。だからその前後のことはいろいろな記憶があるが、なぜかその当日のことはまったく憶えていない。名古屋の田舎で、6人の子供を抱えた戦争未亡人の母親が、毎日の生活に追われてメソメソしている暇などなかったのだろう。幼い息子の前で泣いたりしている余裕がなかったのだろう。おそらく玉音放送なんか聞いていなかったに違いない。だからその5歳の息子も特段の記憶がない。おそらくほとんどの日本人はそうだったはずだ。玉音放送を聞いて、二重橋の前でさも大袈裟に土下座している映像をよく見かけるが、違和感を感じる。あれはよほど生活に余裕があった連中に違いない。そうでなければああいうことは出来ない。

 朝日新聞が5日付の記事で、かれこれ30年前から繰り返し大々的に報道してきた従軍慰安婦問題が、まったくの誤報だったと白状した。遅きに失するとはこの事である。今頃そう言われても手遅れである。手遅れの見本である。反日韓国を焚きつけて、日本人は国を挙げて性奴隷をもてあそんだ非道な国だと世界中に知らしめさせた。河野という愚かな政府高官まで抱き込んで、悪うございましたと謝らせた。その結果、そこら中にありもしない性奴隷の銅像が建った。国連も問題視している。今さらあれは間違いでしたと言ったところで、何になるのか。覆水は盆に返らない。これだけ日本人に不名誉な濡れ衣を着せておいて、今さらあれは間違いでしたとぬけぬけ言える神経が理解できない。誤報を白状した8月5日付の記事は、「しかし問題の本質は変わっていない」で結ばれている。大誤報をしておいてまだ尻をまくっている。懲りない新聞である。

 朝日が白状したら、それ見たことかとにわか朝日批判論者がぞろぞろ出てきた。今頃それを言うのは証文の出し遅れである。心ある人間ならもっと早く言う。恥ずかしくて今さらそう言うことは言えない。その典型が池田信夫氏である。元NHKの記者で、同じ5日付のアゴラというブログに、「朝日新聞がやっと認めた慰安婦デマ」と言う一文を載せている。文中に紹介している「NYタイムズのための「慰安婦問題」入門」と併せて読むと、実に的確で的を射た内容である。これだけのことが分かっていたなら、なぜもう少し早く言わなかったのか。殿ご乱心と河野を止めなかったのか。NHKは朝日より影響力の大きいメディアである。そのNHKがきちんと反論していたら、今のようにはならなかった。国営放送のNHKとしては、片手落ちを通り越して不作為の犯罪に近い。誤報ねつ造の朝日と同罪である。

 池田氏は問題の発端になった1980年代に、朝日とともに現地取材をして、その過程でいわゆる従軍慰安婦の強制連行などなかったことを突き止めている。そのことを8月8日付の「従軍慰安婦問題は朝日のねつ造だ」と言うweb座談会で詳しく語っている。彼によれば、従軍慰安婦を名乗り出た金学順という女性に、朝日やなぜか同行した福島瑞穂氏らと共に事情聴取を行っている。彼女は当時の済州島には日本軍はおらず、ましてや強制連行もなかった。親にキーセンに売り飛ばされただけだとはっきり証言している。朝日も福島氏も、この唯一の従軍慰安婦の証言を聞いている。それなのにああいう記事を書いた。社民党の福島氏は、鬼の首を取ったように日本軍の暴虐を弾劾し始めた。池田氏はそれを「おかしいと思っていた」と座談会で言っている。池田氏はどう言うつもりでNHK記者として現地調査に行ったのか。朝日や福島氏にそれは違うとただちに反論しなかったのか。これでは事実上の共犯ではないのか。大いに疑問である。

 あれやこれや、終戦記念日は嫌な思い出しかない。こういう悪意に満ちた作為と欺瞞が戦争の記憶だとすると、あの戦争を後世に伝えたいなどとは思わない。さっさと忘れよう。

目次に戻る