伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2014年7月15日: 高齢者にとって薬とは何か GP生

 多くの高齢者にとって、縁が切れない物に薬がある。自分の周囲を見ても、皆、 何らかの薬を飲んでいる。小学校の同級生のTa君は、薬に全く無縁の一人だ。 彼などは例外中の例外だろう。自分も、2年前までは、医者と薬に縁がないと豪 語していたが、現在は前立腺癌の治療の身だ。この一年、人は生身の存在である と思い知らされた。先日、秋田に住むWaさんと交わした電話で、高齢者にとっ て薬とは何かを考えさせられた。

 Waさんは、現在、脳梗塞と肺癌の治療を受けている。4年前に脳梗塞により 失明し、昨年、肺癌が見つかって治療が始まった。更に、昨年秋に脳梗塞が再発 して入院した。肺癌には抗癌剤TS-1が、脳梗塞にはワーファリンが処方された。 暫くして、歯茎から出血し始めた。TS-1に血液の凝固を妨げる副作用があり、 ワーハリンは抗血液凝固薬だ。此の相乗効果での出血だった。脳梗塞の主治医が、 TS-1の副作用を知らなかったことが原因だ。医師は薬剤師に話を聞いて、慌て て抗凝固薬をプラザキサに換えた。肺癌は市立病院、脳梗塞は県立の専門病院と 二つの病院の掛け持ちが、後で問題を起こすことになった。

 TS-1は4週間の服用、2週間休みのサイクルで処方されていた。時間の経過 と共に激しい下痢、そのあとは極端な便秘を繰り返した。全身がかゆて夜眠れず、 体調は極端に悪くなった。Waさんは「こんな思いをするなら、癌で死んだ方が ましだ」と言いだした。肺癌に対するTS-1の薬効は限られている。Waさんは 思い切って服用を止めた。1ヶ月以上経過して、現在、Waさんは副作用から解 放され、張りのある電話の声から、体調の良さがうかがえた。CT検査で癌の大 きさに変化は無く、自覚症状もない。抗癌剤で癌が縮小しても、命が短縮したの では本末転倒だ。75歳を過ぎた高齢者に対する、斯くも過酷な抗癌剤治療とは 何だろうか。

 先日、Waさんは定期検査で肺に新たな影が見付かり、間質肺炎の疑いがある と診断された。間質は肺胞の周囲の結合組織で、何らかの原因で組織が線維化し て柔軟性を失い、呼吸不全に至る病が間質肺炎だ。よく町で、この患者が酸素ボ ンベを引いている姿を見かける。肺癌の主治医は、脳梗塞の病院で処方された糖 尿病薬「ジャヌビア錠」と高脂血症の薬「クレストール」の服用が原因ではない かと推測した。両方の薬は副作用に「間質肺炎」がある。この5月に、従来の薬 からこの二つに替わった。脳梗塞の病院は内科が無く、従来の薬は院外処方であっ たのが不便なため、院内処方が出来る薬に替えたのが裏目に出た。

 昨年末、Waさんは脳梗塞の再発での入院生活中、転倒して頭部を打撲して硬 膜下出血を起こした。この結果、認知症に似た症状が出始めた。目が見えない入 院生活もストレスになった様だ。この為、系列の精神科病院に転院させられた。 ここで、夜間徘徊の症状が現れたため、精神科特有の薬物療法がおこなわれたよ うだ。この結果、一日中頭はボーットして身体から生気が無くなった。入院中の Waさんと電話で話す機会があったが、かっての面影は感じられず別人であった。 問いかけにも、まともな反応はなかった。年が明けて、硬膜下の出血も消え退院 してから、本来のWaさんらしさが戻って来た。入院中も、脳梗塞、肺癌、糖尿 病、高脂血症の薬は飲み続け、その上、精神科の薬だ。これでは75歳の高齢者 が、おかしくならない筈はない。

 Waさんの様な慢性疾患に全て薬物で対処すれば、人体に対する副作用の影響 は甚大となる。間質肺炎がその例だ。彼の様な高齢者に対して、コレステロール 値や中性脂肪が高い故、スタチン剤を処方して将来の脈硬化を予防する発想には 疑問を感じる。命に直結する肺癌や脳梗塞と言う深刻な病が眼前にあるからだ。 動脈硬化発症を防止する薬が処方され、間質肺炎と言う厄介な病が発症したとし たら、予報薬とは何なのだろう。

 知り合いの70代の女性は、消化器系に弱点を持っている。出産直後、新生児 が大病した。心身のストレスから、産後の回復が遅れ、内臓下垂が慢性化したの が原因だ。歳を取るにつれ、胃の入口にある噴門の働きが弱くなり、逆流性食道 炎に悩まされた。医師に処方されたのがタケプロンだ。胃酸の産生過程に干渉し、 胃酸を減少させる薬だ。低下する胃の消化力を補うために、ビオフェルミンが処 方された。ビオフェルミンが全ての食物に対して、消化力を発揮できる訳ではな い。当然、食べ物が制限され、栄養バランスは乱れるし、好きなコーヒーも飲め なくなった。口径による細菌類の殺菌作用も低下する。暫くして、胃酸の逆流は 止まったが、今度は別の体調不良に悩まされた。薬の服用を何時まで続けるのか、 アドバイスは無かった。

 彼女は他の病院で診察を受け、薬はガスターに換わった。それでもビオフェル ミンの処方は続いた。効能が穏やかになっても、服用が長期になれば、人体は薬 物の存在を前提に代謝のバランスを取り始める。独断で、ガスターを止めればバ ランスが崩れ、体調は悪化する。かくて、一生飲み続ける事になる。タケプロン やガスターの目的は胃酸産生を制限することで、逆流量を減らそうとすることだ。 噴門部の機能が正常に戻すことが根本治療だが、その治療法は無い。 彼女はガスターを止めるために、漢方の胃腸薬の服用を始めた。半年ほど過ぎて から、一日のガスターの服用回数を減らし、同時に消化剤ビオフェルミンの服用 回数を減らした。漢方薬の効用もあって、次第に胃腸の働き正常にが戻り始め、 現在はガスター等は服用していない。胃酸の逆流も止まっている。この間、何年 苦しんだ事か。

 自分も前立腺肥大で排尿が悪くなったとき、泌尿器の開業医から利尿剤を処方 された。この時も、一生飲む薬だと言われた。一ヶ月近く経って、倦怠感が強く なった。此の利尿剤は尿道周囲の平滑筋を緩める事で排尿しやすくする薬だ。選 択的に働く訳ではない。身体の他の平滑筋にも作用することで副作用が発生した。 慈恵医大に転院してから、泌尿器の主治医に相談をしたら、「止めて結構です」 とあっさり言われた。

 自分の周囲の高齢者を見ても、病院に行き、薬を貰えば何とかなるとの感覚の 人が多い。だから、病気の数だけ薬が増える。高齢者の病は慢性疾患が多いから、 薬の服用は長期になる。医者も「一生飲む薬ですよ」と付け加える。急性疾患に 対する薬の処方は理解できる。例え、副作用があっても、短期服用なら薬効が勝 るからだ。急激な痛みに対する「痛み止め」の使用は良くあることだ。長期に服 用すれば、根本治癒は訪れない。60代の知人女性は、膝痛で処方された鎮痛剤 を3ヶ月飲み続け、膝関節の悪化が進んだ。

 どの薬も、副作用の記載量は効能書きの何倍にもなる。此の副作用が全て自覚 できる訳ではない。例え、自覚症状がなくとも、薬物が人体各所の代謝に干渉し ているのは確かだ。人体の持つ回復力が、副作用の発症を抑制しているだけなの だろう。だから個人差が大きくなる。薬物は単品でも多くの副作用を秘めている。 慢性疾患や予防の為に薬が増えれば、副作用の相乗効果で体調不良に見舞われる。 服用期間が長期になれば、素人判断では、薬の蟻地獄から抜け出せなくなる。服 用を中断した時に起こる諸症状に対して、的確にアドバイスが出来る専門家の存 在は不可欠だ。誰でもアドバイサーが見つかる訳ではない。独り悩み、苦しみが 続く事になる。

 本来の寿命が尽きて、この世を去るのなら諦めもつく。薬害で寿命が縮まり、 苦しみの中で生涯を終えるとしたら、悔いしか残らない。高齢者が病を得た時、 「はい、お薬を処方しましょう」的な医者の言に素直に従っていたら、気が付い た時には薬の山が出来ている。 高齢者が、種々の健康法により、病気の予防を心掛けたとしても、何時、何が起 こるか判らないのが現実だ。高齢者が病に対峙する時、自身の生死感が問われる 事になる。残された時間が人生の集大成になるからだ。高齢者は、医者の処方に は慎重に対処すると同時に、「主治医は自分である」との自覚を持つことが、大 事であると思っている。

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