伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2014年4月21日: 韓国の旅客船海難事故と責任感 GP生

 朝鮮半島南端近くの珍島海域で、韓国の大型旅客船が沈没し、多数の死者、行 方不明者を出した。救助されたのは、乗客の半数にも満たない174人だ。ドー ンと言う音と共に船体が傾いたと報じられている。最初は、暗礁に乗り上げたの ではないかと思われたが、時間の経過とともに、信じられない様な事が明らかに なってきた。

 マスメディアの報道だけが情報源なので、現段階では真相は不明だ。時の経過 と共に、原因らしきことが少しずつ明らかになって来た。これ等を統合すると、 複合原因だと推測出来る。即ち、客室の増設による重心の上昇、車両や貨物の過 積、激しい潮流に対する当て舵時の急旋回、しかも、全速19ノットで行った。 積み荷や車が左にずれ飛び、バランスを崩した船は左に傾いた。ドーンと言う音 は、旋回時に車両や積み荷が船壁にぶつかった音だろう。何故か、船は2回目の 急旋回を行った。結果、船の傾きはさらに進み、復元力を失った。

 急旋回してから沈没するまで、2時間近い時間があった。傾いた船から脱出す るのは困難だとしても、信じられない程、生存者が少ない。その場を動かないよ うにとの船内放送や、乗組員達が、我勝ちに脱出した事が原因だと報じられてい る。船長に至っては、乗客に紛れて逃げたと、俄かに信じられない報道もある。 放たれた救命ボートは1隻のみ、救命筏の殆んどは固定されたままだった。

 この船は、16年間、鹿児島と沖縄を結ぶフェリーとして、就航していた。当 時の映像は、素人目にもすっきりした船型に見える。遭難した、韓国船を見ると、 増設部の船室の存在が不恰好に思えるほど、醜い姿に変貌していた。韓国内の基 準を満たしているから、問題はないとの関係者のコメントがあるが、ご都合主義 の国だ。本当に問題が無かったかは、藪の中だ。

 報じられる救助活動を見ても、何日もの間、救援者達が何をしようとしている のか分からない。進捗状態も分からない。遺族たちが悲鳴に近い憤り間声を上げ ているのは当然だろう。米軍の援助も拒絶したようだ。日本による救援申入れも 当然拒絶だ。反日が国是の国が、日本から助けられる事は国家のメンツにかかわ る事なのだろう。

 何百人のダイバーや艦艇を集積しても、激しい潮流と低海水温、流出油にまみ れ、濁る水による視界不良の条件が重なれば、対処できるのは経験と技術しかな い。日頃、海難救助に赴く、海上保安庁や自衛隊員らの活躍が目に焼き付いてい るからだろうか、彼らの活動に苛立ちを覚えた。日本から1200Km離れた太平洋上 で遭難した、ニュースキャスターの辛坊治郎氏が助かったのは、海上保安庁と自 衛隊の連携と、荒れる海洋で、飛行艇US-2の高性能を生かし仕切った隊員の経 験と技術だ。日本以外では出来ない芸当だろう。

 それに比べ、珍島沖合では、人は集合しても救助は進展しない。水面に顔を出 していた船首も、何時しか水没してしまった。生存の命運を分ける72時間も空 しく過ぎ去った。現場の隊員達個人は懸命の努力をしているのだろうが、組織だっ た動きに見えないのは、何故だろう。

 今回の海難事故を考えてみても、当事者達の責任感に希薄さを感じるのは自分 だけだろうか。船長は寝室に留まり、潮流の強い難所での操舵を、この海域は初 体験の三等航海士に任せた。現状に留まるよう行われた放送。救助筏を放出しな かった乗務員。乗客の避難誘導は一部の乗員に任せ、船長・乗員は早々脱出して しまった。乗務員達の未熟と責任感の欠如は目を覆いたくなる。更に、180台積 み込んだ車を150台、1157トンの貨物を657トンと過少報告し、繋船費用を浮かせ るために港湾当局に過少申告した船会社。当局は鼻薬を香がされていたと想像し てしまう。中でも、船首にうず高く積まれたコンテナーが崩れ落ちていく映像を 見ると、此の船会社の安全管理の欠落は如実だ。

 事故が発生する原因は一つではない。幾つかの要因が積み重なって大事故にな る。事故を防ぐには、規範順守は当然だ。しかし、突然発生する事故に対処する には、日常の地道な訓練の積み重ねしかない。訓練を通じて、頭ではなく、反射 神経的に身体を動かせるようにすることだ。これは、危険な職務に従事する者に とって大原則だ。現実の事態は常に想定外だ。頭での理解だけでは、現実に対処 できない。事故船の乗員は日常的に訓練を受けていたのだろうか。避難筏の担当 者であれば、船が傾いた時点で、筏の格納場所に走ったはずだ。所が見事、筏は 固定されたまま沈んでいった。救命筏は飾り物だったようだ。訓練なしには適切 な行動も、責任感も生じない。訓練では好成績だとの情報もある。どの様な訓練 だったのだろう。

 この国では、手を汚し、額に汗して働く者を蔑む、両班根性が色濃く残ってい る。我が国の様に、職人に「さん付け」して敬意を払う人はいない。職人自体が 機会あれば、手を汚さない仕事に就きたいと願っていると言う。サムソン如き一 企業に就職するための塾があり、20万人の受験生が集まる異常さだ。単なる上 昇志向ではない。国民皆が両班に成りたいのだ。

 船乗りと言えども、気苦労の多い仕事だ。誇りを持って職務を行う乗員は少な かったのだろう。自分の仕事に誇りが持てない人間に責任感は生じない。一部の 客室係の女性は、乗客に救命胴衣を配りながら救助活動を行い、自らの命を落と した。船長と操舵員の全員は操舵室に集まり、沈没一時間以上前に脱出している。 「責任放棄」が生易しい言葉に思える。船の中では彼等は両班なのだろう。両班 なら何事も、自分の利益が優先されるからだ。両班ならば、常人、賤民の為に自 らの命を懸けれ事は考慮の外だろう。

 船主にしても、改造して乗客を増やし、定量以上の車や荷を積載することを常 態化させ、手間暇のかかる乗員の教育を怠った。規則を守れば、何れも減収に繋 がる。上から下まで、自分大事の国民性が、事故の根底にある様に思える。乗客 の避難誘導して逃げ遅れ、命を落とした女子客室員の行為は例外なのだろう。

 先の東日本大震災の時、南三陸町の女性職員は、津波が迫ってきたのにも拘ら ず、町民に避難誘導の放送を続け命を落とした。彼女の責任感の強さに対し、頭 を下げながら、涙せずにいられない。海難事故で救助された、高校の教頭が自殺 したと報じられている。大勢の生徒を死なせ、自分だけが助かったのは申し訳な いとの理由のようだ。教諭の責任感を賛美する意見もあるが、違和感を覚える。

 多数の教え子の死を目前にして、自分が助かった後ろめたさは理解できる。何 が、生死を分けたかは知らない。事故に際して、この教頭が出来る事は僅かしか 無かっただろう。生徒たちの死は、教頭の責任ではない。もし教頭が責任を感じ るのであれば、これからの教育の場で、此の辛い経験を生かすことだと思う。生 き残った彼は、それが出来る立場にいる。昔、大東亜戦争末期に、樺太の真岡で 電話交換手の女性達が集団自決をした。終戦後の8月20日に、旧ソ連軍が侵攻 した。彼女達は、最後まで交換業務を果たした後、日本女性の誇りと矜持を守る ために自決した。自らの苦しみに負けての自殺と比べ、職務に対する覚悟が違う。

 責任感は個人の属性の一つだ。しかし、国民として一括りした場合に、国民性 が色濃く出るものだ。最近読んだ本に、津本陽著「名をこそ惜しめ 硫黄島魂の 記録」がある。硫黄島の日本軍は、栗林将軍の地下複廓陣地に籠り、11万人の 米兵と闘い、実戦闘での死者は米軍が上回った。組織的戦闘が終了した段階で、 一万名の日本兵が地下に生存していたと言う。彼らは飲み水もなく、灼熱地獄の 壕内に堪えられず、手榴弾を腹に抱き自決したと推察される。日本兵は圧倒的劣 勢の中で何故、戦い続けることが出来たのだろうか。彼らの奮闘は、日本人の何 たるかを米軍に植え付けた。百田尚樹のベストセラー「永遠の0」を読んで、ゼ ロ戦パイロットや特攻隊員が、自らの命を懸けて何を守ろうとしたのか良く理解 できる。300万人の日本人の犠牲の上に、現在の日本がある。首相の靖国神社 参拝に「失望感」を現わした米国には、日本人を理解する意思も能力もない。

 一家の主が、自分の家族を守ろうとする責任は、民族・国民を問わないだろう。 韓国においては、我が国以上に家族一族の結びつきは強いようだ。しかし、自分 と直接利害関係が無い者に対する責任感は、一朝一夕に国民に根付くものではな い。一国の歴史と文化に由来するとしか言いようがない。US-2機に救助された 辛坊治郎氏は「日本人に生まれて良かった」と心情を吐露している。

 国の大事を、自らの意思と能力で切り開いた歴史的経験の有無は、新たな大事 に遭遇した時に現れる。例え、戦に敗れても、立ち上がる日本国民の資質は、歴 史的資産だ。自国を他国の意思に委ねる経験しかない国は、大事に遭遇した時、 右往左往する。国に限らず、政党も同じだ。東日本大震災時の民主党内閣の体た らくを見ればわかる。それでも、我が国では、自衛隊、警察、消防、それに国民 の連帯感があった。だからこそ、現在がある。

 珍島等に集まった遭難者の家族たちに渦巻く怒りと怒号を見ると、救助に尽力 する関係者に対する感謝の念は薬にしたくともない。大統領に怒りをぶつけ、海 洋警察隊員に殴りかかる姿や、それに対処する政府要人の言動を見ても、国家と しての連帯感は見られない。今回の事故処理は、国家の威信がが問われている。 現在の状態が長引けば安全保障の脆弱性を内外に曝すことになる。他国の援助を 受ける事は、決して恥辱ではない。日本ですら、米国の「ともだち作戦」を受け たではないか。自らの国が自主性を保ちながら、他国の援助を上手に取り込むこ とも、成熟した国家の能力と思うが。

 反日国是の韓国でも、今回の事故原因を日本に求めることは出来ないだろう。 遭難船は日本の中古船であっても、購入し、改悪し、金儲けの為に安全管理を怠っ たのは韓国だからだ。今度は、此の海難事故への怒りを何処にぶっけるのだろう。

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