伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2014年4月10日: STAP細胞騒動と日本の学術研究の危機 T.G.

 しばらく前からSTAP細胞なるものが騒々しい。ノーベル賞級の快挙と持ち上げながら、今度は詐欺だねつ造だと真反対なことをやっている。テレビタレントのスキャンダル騒ぎならいざ知らず、理研という日本の学術研究の最高峰が、こういう馬鹿げたどたばた騒ぎを巻き起こしているのは嘆かわしい。西洋科学が導入された明治以来、こんな低次元の騒動を見たことがない。ある意味、日本の学術水準の劣化を如実に示しているようで深刻である。結論を先走ると、2004年に始まった大学、研究所の独立行政法人化が、このような研究現場の劣化を招いているのではないだろうか。真理を追究するはずの学術研究の場に、安易な競争原理と費用対効果が持ち込まれ、科学者のマインドが劣化しているのではないだろうか。

 騒動を要約すると、細胞に簡単な刺激を与えるだけで容易に初期化されると言う、これまでの細胞学の常識を打ち破った画期的な発見が行われた。科学雑誌ネイチャーにも掲載され、将来のノーベル賞級の研究と絶賛された。その直後、研究論文に引用、切り貼りなどの不適切行為があったと、理研や大学の共同研究者達が寄ってたかって論文を非難し、プロジェクトリーダーである小保方氏個人の不正ねつ造と断罪した。それに対して小保方氏が、ねつ造ではなく論文の多少のミスであり、STAP細胞は間違いなく存在すると反論した。問題はこの一連のやり取りが、研究者同士の議論、論駁ではなく、マスコミ相手の劇場型ショーに成り下がっていることである。肝心の質疑応答を、研究者ではなく畑違いの弁護士や新聞記者にやらせていることである。ノーベル賞受賞者をトップに頂く理研や早稲田、東大など、日本の学術研究の屋台骨を支えるはずの組織がこれでは、日本の先行きが危うい。

 時代の先を行く最先端の研究が、社会常識や権威に受け入れられず、騒動を巻き起こすのは良くあることだ。ガリレオが今では子供でも知っている地動説を唱えたとき、神をも恐れぬ背徳であると非難を受け、当時の最高権威であったローマ教皇庁が審問にかけて罰し、本人の口で否定させた。19世紀のフランスの若き数学者ガロアが、当時の数学の難問だった「5次方程式には一般解がない」という定理を証明して見せたとき、フランスの数学界は誰一人として証明の内容を理解できず、最高権威であったコーシーはガロアの論文を捨ててしまった。ダーウィンが進化論を発表したとき、あまりに衝撃的な内容にしばらくは世の中に受け入れられなかった。アメリカのある州では、今でも進化論を否定し、学校で教えることを禁じているという。山中博士など世界中の研究者達が躍起になって取り組んでいる細胞の初期化を、いとも簡単な方法でやって見せた小保方氏は、ガリレオやガロア、ダーウィンに近い存在である。もしSTAP細胞なるものが実在するなら。

 問題の本質は、はたしてSTAP細胞なるものが存在するか否かである。論文の細かな齟齬などどうでもいい。それなのに、理研や共同研究者達は問題の本質に迫ろうとせず、やれ論文に切り貼りがある、写真が違う、研究ノートがなっていないと、論文の行儀作法ばかりをあげつらう。そもそもこの論文は小保方氏一人で書いたわけではなく、多くの共同研究者がいたはずだ。彼らが論文のすべてが不正ねつ造と、他人事のように否定する光景は異様である。彼らは事前に論文に目を通さなかったのか。読みもしないでめくら判を押したのか。ネイチャーに掲載されるまで、誰も気が付かなかったとでもいうのか。これでは背信行為と言われても仕方がない。小保方氏にしたら、前の敵と戦っていたら、後ろから鉄砲で撃たれたようなものだ。

 今理研がやるべきことは、マスコミ相手の記者会見ショーなどではなく、鋭意研究を進め、自らが世界に問題提起したSTAP細胞存在の当否を突き詰めることだろう。それが学術研究組織の役目だろう。現在理研は、より潤沢な予算が認められる特定国立研究法人の認可を受けるため、野依理事長を先頭に文科省に対して鋭意働きかけている最中だという。要するにノーベル賞受賞者が金儲けをやらされているのだ。研究より予算獲得が大事になっているのだ。それには“いかがわしい小保方氏”と、世間に疑義を持たれたSTAP細胞が邪魔になっているのだ。早く幕引きして、文科省との交渉に悪影響を与えたくないのだ。これを研究組織の劣化と言わず、何と言うべきだろう。

 今回の騒動を見ていて、どうにも気になることが二つある。一つは若い研究者に対する寛容さ、理解の無さである。いつの時代も最先端研究はバクチに近い冒険である。冒険だから多少行儀作法は良くない。冒険につきものの失敗も多い。むしろ失敗の方が断然多い。その中からしか最先端の研究成果は生まれない。世の中40歳過ぎのロートル研究者の手になる発見発明はない。日本のノーベル賞受賞者の受賞対象研究は、ほとんどが20代のものだ。それなのに、野心に燃えた若い研究者が冒険しようとすると、古手の権威が邪魔をする。寄ってたかって押さえつける。行儀が悪いと出る杭を打つ。研究者の意欲を萎縮させる。今度の理研のやりようはその典型ではなかろうか。今の日本は、若い研究者にやりたいように冒険させる度量が欠けている。

 もう一つは大学、研究組織の独立行政法人化である。研究に競争原理を持ち込み、費用対効果を重視する。「スパコンが世界で二番目でなぜ駄目なんですか」などと愚かなことを言う。以前勤めていた会社は技術レベルが極めて高く、世界の最先端を行っていた。例えば半導体技術では他の追従を許さず、世界のトップシェアを占めていた。それが今では見る影もない。不振な半導体事業はとうの昔に売り払ってしまった。経済省から、シャープやパナソニックよりお荷物企業と言われるほど落ちぶれている。凋落が始まったのは、当時世界最先端だった中央研究所に、独立採算を求めるようになってからだ。研究費はお前達が自分で稼げと、社長が研究者に発破をかけた。研究者は夢を追わなくなり、安易に金になる見かけ倒しの研究しか手を出さなくなった。そのうち研究所自体が無駄な存在だと、廃止してしまった。後は一本道。あっという間に坂道を転がり落ちた。技術力は低下し、何をやっても事業はうまく行かず、収益も株価も下がり、今ではいつ潰れてもおかしくない状態である。

 研究所の独立採算制が元我が社の首を絞めたように、もしかすると政府が推し進めている大学研究所の独立行政法人化が、日本の科学技術の命脈を絶ち、技術三流国に落ちぶれる可能性がある。STAP細胞の真偽は分からない。よくあるガセネタである可能性はかなり高い。しかし、小保方という若い跳ねっ返り研究者の野心、功名心、冒険心を頭から押さえつけず、もう少し寛容な目で見ることは出来ないものだろうか。最先端研究に費用対効果を求めるのは国家的錯誤ではないか。独立行政法人化した後の大学からは、ノーベル賞が出なくなる。そう言う悪夢を見たくない。日本を元我が社のような体たらくにしたくない。せめて小保方氏には、「それでも地球は廻っている」と言わせたい。

目次に戻る