伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2014年4月4日: 幸せの要求水準 T.G.

 GP生君からメールが来た。秋田のWaさんに電話したら、すこぶる元気で介護ホームのデイサービスが楽しくて仕方がないと言っているという。しばらく前は体調が悪く、電話口で泣き言ばかり言っていたのに、つくづく人間の環境順応性は捨てたものではない。

 Waさんはワンゲルの1年先輩である。学生時代はしばしば一緒に山へ行った。最近まで県の要職について活躍されていたが、3年前、突然脳梗塞を発症して失明した。忘れもしない元旦の朝、孫と庭で遊んでいたところへWaさんから電話がかかってきた。家人から受話器を受け取ると、「目が見えなくなった。もうGの顔を見ることも出来ない」と電話口の向こうで泣く。風呂場で、突然目が見えなくなったのだという。急なことで慰めの言葉も思いつかず、「そのうちまた見えるようになりますよ」などと無責任な軽口を叩くしかなかった。しばらくして、皇居で叙勲を受けることになり、奥様と上京された。宿泊していた帝国ホテルの部屋で再会したときは、奥様に手を引かれながらも元気そうな様子で、以前のWaさんらしい豪放磊落な会話に戻っていた。

 その後脳梗塞と失明の方は一進一退で、光や大きな対象物をかすかに認識で来るくらいに回復した。おそらく致命的な網膜剥離ではなく、脳梗塞由来の視神経障害なのだろう。時々Waさんと電話していたGP生君によれば、人体が損傷するといろいろな代行機能が発生するので、視力が回復する可能性があると言う。Waさん本人も、おぼろげながら周囲が見えるので、白杖を担いで散歩しているなどと、すこぶる元気そうな様子だという。そうこうしているうちに、今度は肺癌が見つかった。かなり進行していて、手術は出来ない。急遽入院して、抗ガン剤の治療が始まってからWaさんの様態が悪くなった。癌の進行ではなく、精神的な落ち込みである。Waさんは仕事上の付き合いの暴飲暴食が祟ってかねて糖尿病を患っていた。糖尿病由来の脳梗塞と失明、その上に末期の肺癌と重なれば、誰だって落ち込む。精神的なストレスの大きさは想像も出来ない。

 定期的にWaさんに電話していたGP生君によれば、目が見えない精神の重圧からか、看護師に暴言を吐いたり、院内の廊下を徘徊したり、やや痴呆的症状が出てきて、持て余した病院から自宅に帰された。その後も体質に合わない抗ガン剤の副作用で体調も悪化し、精神的落ち込みも甚だしくなった。その頃はGP生君が電話しても、まともな会話にならず、仕方なしにもっぱら奥様と話していたという。病状は一進一退だったが、奥様一人での介護に限界があり、介護施設のデイサービスに通うようになった。それが功を奏したらしく、すっかり元気を取り戻し、電話口の会話も、以前のような磊落さが戻ったという。デイサービスは週3回の月水金で、9時から16時まで、昼食風呂付だという。話し相手が出来、一緒にカラオケなどへ出かけて楽しくて仕方ないらしい。元来人付き合いの得意な人で、性にあったのだろう。病状は依然深刻なのだが、気力の落ち込みは何とか持ち直せたようだ。

 Waさんが現役の頃は、仕事上の接待ゴルフや宴会漬けの日々を送っていたと言う。年末年始は忘年会が40回、新年会が30回などと豪語していた。その頃なら、介護ホームのデイサービスなど、馬鹿馬鹿しくて相手にもしなかっただろう。食事も粗末だろうし、健常者にとっては介護老人同士の会話が楽しいわけがない。それが今は楽しい。Waさんの言い方では、「楽しくて楽しくて、毎日でも行きたい」のだそうだ。幸せの要求水準は、置かれた境遇、精神状態によっていくらでも変わると言う証明である。不幸せは不幸せなりに幸福がある。だから人間は何事があっても絶望せずに生きていられる。

 世の中不平不満が多い。満足より不満が先に立つ。少しのことも我慢できず、あれこれ文句を言う。少しでも収入が低いと、自分の努力不足を棚に上げて格差社会のせいにする。福祉に不満を言いながら消費増税には文句を言う。だから幸せ感がない。生活に余裕があるから要求水準が高すぎるのだ。もう少し不幸な状況に成り下がったら、そんなことは言っておれず、そこそこのレベルで幸せを感じるだろう。戦後20年間ぐらいは、今よりはるかに生活水準が低かった。食事も貧しかったし、娯楽も少なかった。それでもあの頃の幸福と今の幸福には、実感として差がない。我々も程度の差はあれ、いずれはWaさんと同じ道を辿る。その時に、Waさんと同じような幸福感を獲得できるよう、今から心がけておく必要がある。

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