伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2014年2月27日: 近ごろの大学お受験 T.G.

 今朝の産経新聞のコラム「産経抄」に、「大学のお受験」と言うタイトルで東北大学の入学試験のことが書かれている。作家の北杜夫が、旧制松本高校から憧れて東北大学医学部に進学するに至った経緯と、成績が悪く危うく落っこちそうになった「ドクトルマンボウ青春記」を枕に振って、つい先日行われた入学試験について、いささか気懸かりなことを書いている。

 当日大学では受験生のために、仙台駅から試験会場まで臨時のバスを運行した。今頃は仙台駅から遠く離れた青葉山のキャンパスで入学試験が行われるらしい。ところがそれが遅れて受験生が時間までに試験会場にたどり着けない。仕方なく試験時間を遅らせたという。仙台駅から青葉山まではほぼ一本道。渋滞にはまるわけでもなく、なぜバスが遅れたのか分からない。関係者がいろいろ調べた末に分かったことは、付き添いの父兄の数が多すぎて、受験生がバスに乗りきれなかったことが原因だという。

 この話を読んで、いささか暗然とした。今頃の大学入学試験には、バスに乗りきれないくらいの数の父兄(といっても母親がほとんどだろうが)がついてくるらしい。おそらくこれは東北大学に限った話しであるわけがなく、日本中の大学がそうなのだろう。東大も京大も、早稲田も慶応もそうなのだろう。小学校ならいざ知らず、大学の入学試験にママがついてくる。それもバスに乗りきれないくらい大勢ついてくる。子供も親もそれが当たり前と思っている。18歳にもなったいい大人に、ママがべたべた付いてくる。それを恥ずかしいとも思わない。親がかりでないと試験を受けられないくらい、子供が軟弱になっている。親離れ子離れしていない。過保護がそこまで進んでいるとは、世も末ではあるまいか。今頃の親は子供の育て方を間違えているのではないか。次代を背負う若者がこんな風で、この先日本は大丈夫なのだろうか。

 これを読んで54年前の自分の入学試験を思い出した。その頃は入学試験は3月3日と決まっていた。今のようなセンター試験はなく、一発勝負である。それまで家族も自分も大宮より北へ行ったことがなかった。仙台のことなど誰も知らない。おそらく雪国だろうから長靴を履いて行けと母親に言われたことを憶えている。一緒に受験する友人と二人連れだって、上野駅から常磐線に乗った。仙台まで満員で、立ちっぱなしだった。当時は上野から仙台まで、急行でも8時間近くかかった。仙台駅に着くと、雪は積もっていなかったが、寒くて粉雪がちらついていた。事前に大学の生協を通して予約してあった駅裏の旅館に行く。貧相な古びた商人宿で、8畳間に見知らぬ他の受験生4人と押し込められた。なぜか夜中まで人がざわついていた。後で知ったことだが、通称X橋という仙台の“名所”で、街娼が客引きすることで有名な場所だった。

 朝旅館の食事を済ませて、小雪の中を試験場に行く。今のように臨時バスなど出してくれない。駅前から教えられた市電に乗って行った。割り当てられた試験場は、町はずれの八幡町にある宮城第一女子高校だった。そこの教室で二日間試験を受けた。女子校なので男子用トイレがない。土間に大きな桶が並べてあって、それが臨時の男子トイレ。踏み台に乗って桶の中にジャボジャボ小便をしたのを憶えている。周囲に食堂などない。昼飯は旅館で作ってくれた冷えた握り飯。暖房などない教室で、寒さに震えながら弁当を食べた。

 当時の東北大学は片平丁と川内に別れていた。教養部の川内キャンパスは、つい数年前まで進駐軍のキャンプだったところで、白いペンキ塗りの米軍兵舎をそのまま教室に使っていた。それもあって、すべての試験会場を校内に確保できなかったのだ。今は広大な青葉山のキャンパスに、金がかかった建物や設備が広がっている。半月ほど経って、頼んでおいた生協から「桜咲く」という文面の電報が届いた。遠い仙台まで、わざわざ合格発表の掲示板を見に行けなかったのだ。

 今より昔の方が良かったと言っているわけではない。豊かな今の方がいいに決まっている。今なら新幹線で2時間だし、受験生だって小ぎれいなシティホテルに泊まれるし、暖かいランチも食べられる。しかし、あの頃は世の中も親も貧乏で、やむを得ざる仕儀だったとは言え、自分を含めて昔の子供の方が今より親離れしていて、独立心が旺盛だったことは確かである。親が入学試験についてくるなんて聞いたこともなかったし、想像もしなかった。18過ぎれば、一人で仙台まで行くのは当たり前のことだった。

 世界の大学ランキングで、日本の大学の低迷が言われるようになって久しい。イギリスのタイムズ誌の「世界大学ランキング2013」によれば、東京大学は23位、そのほか200以内に入るのは、京都大学(同52位)、東京工業大学(同125位)、大阪大学(同144位)、東北大学(同150位)のわずか4校だという。それも26位のシンガポール大学、43位の香港大学、44位のソウル大学、45位の北京大学にはるかに後れを取っている。評価基準にグローバル化など学術研究以外の要素が重んじられているとは言え、こうした学生の自立心、独立心低下が大いに影響しているのではないだろうか。それが禍して、学問に対する熱意や向上心が弱まっているからではないか。

 産経抄は末尾でこう書いている。「東北大学の校友会のホームページによると、親元を離れて暮らす学生の割合が80%を超えている。つまり、親離れしている学生の比率が高いのも、自慢のひとつだ。その大学で入試当日に、保護者向けの説明会が開かれる。他の大学の「付き添い事情」も、推して知るべし、である。」と。
 さらに続けて「『青春記』は、歌人の父、斎藤茂吉の死の知らせを受けた北さんが、夜汽車で東京に戻る場面で終わる。かばんの中には、医学部進学を強制した父の目を盗んで完成させた最初の長編小説が入っていた。『青春記』は、自立の物語でもある。試験会場の親子も、いずれ親離れ、子離れを果たす、と信じたいが。」と。

 「母危篤」の電報を握りしめ、夜汽車に飛び乗って仙台から帰郷した日のことを思い出す。

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