伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2014年1月24日: 温泉の思い出−その1 T.G.

 テレビの温泉番組を見ていたら、昔行ったことある山奥の秘湯が出てきて懐かしくなった。温泉好きで、あちこちの温泉に出かける。建物の豪華さや料理にはまったく興味がない。唯一の関心は雰囲気と「源泉掛け流し」である。源泉から引いた湯を、加水加温せずそのまま湯船に掛け流しにする。浄化や循環などもってのほか。正真正銘の掛け流し温泉に行き当たると嬉しくなる。今頃は源泉掛け流しは少ない。有名温泉でも加水加温し、機械で循環させているところがほとんどである。旅館が増えすぎ、源泉が枯渇しているのだ。掛け流しかどうかは湯船に流れ込む湯量で分かる。どうどうと流れ込んでいるのに湯船から溢れないのは、加水加熱循環湯の証拠である。今時旅館街にそんな湯量豊富な源泉はない。思い出しだし、昔行った温泉のことを書いてみる。すべて源泉掛け流しである。

黒湯
 田沢湖の乳頭温泉郷最奥の温泉宿である。大学1年の秋合宿で秋田駒ヶ岳から八幡平を歩いた。乳頭山に近づいた頃天候が悪化し、霙混じりの嵐になった。避難のため、予定外の一本松沢を駆け下った。下りきったあたりの谷間に茅葺きの小屋が見えた。黒湯である。人気のない帳場で聞くと、素泊まり100円という。濡れ鼠のまま茅葺き小屋に転がり込んだ。一晩自炊で過ごしたが、掛け流しの温泉が実に素晴らしかった。小屋脇から湧き出る源泉がそのまま湯船に流れ込んでいる。文字通りの掛け流しである。翌日天候が回復し、乳頭山へ登り返した。山頂は雪で覆われていた。
 50年ぶりに家人と訪れた黒湯は、当時と同じ佇まいであった。周囲の温泉宿が近代的になっているのに、我々が素泊まりした茅葺き小屋は当時のままだった。今まで入った温泉の中で、好きな温泉の三本指に入る。この温泉の素晴らしさを、とうとう家人には理解してもらえなかったが。

蒸の湯
 翌朝黒湯を後にして乳頭山に登り返した。岩手山から八幡平を歩いて、麓の蒸の湯に下山した。今は舗装されたアスピーデラインが通っている。温泉がそこら中から沸き出して、地面が熱い。小さな小屋掛けが幾つかあり、地べたにむしろを敷いて人が寝ている。今で言う岩盤欲である。とにかく至る所温泉だらけである。テントを張って温泉に浸かった。料金を取られた記憶がない。先年、冬の後生掛温泉に泊まり、スノーシューで八幡平に登った。途中で雪の蒸の湯を通りかかった。これも50年ぶりである。昔と違って立派な建物が出来ていたが、雪に埋もれて車で入れないので、冬季閉鎖は昔のままだった。

鉛温泉 藤三旅館
 期末試験が終わった大学1年の春休み、ワンゲルの仲間と連れだって鉛温泉の藤三旅館へ行った。花巻駅前で食料をしこたま買い込み、当時走っていた花巻電鉄に乗る。終点が鉛温泉駅である。駅前に一軒だけある旅館は雪に埋もれていた。本館と自炊部に別れていて、自炊部には農閑期の農家のお年寄りが布団をチッキで送り、長期滞在していた。館内に売店があってなんでも売っている。床屋まであった。自炊部は素泊まり100円。布団を借りると100円と言う安さ。ここに1週間滞在した。温泉に入る以外、ほとんど麻雀をやって過ごした。夜遅く、炬燵の炭がなくなって帳場へもらいに行くと、「学生さんは勉強が大変ですね」と感心された。当時東北の田舎では帝大の学生さんと呼ばれていたのだ。
 温泉は素晴らしく、直径4mぐらいの立ち湯が売り物だった。深さが150cm近くあり、立ったまま入る。もちろん混浴で、湯船からおばさん達の裸を見上げた。全然隠す気配もなく、学生さん達は可愛いねなどとからかわれたのを覚えている。これも先年50年ぶりに当時の仲間(つまり伝蔵荘仲間)と訪れたが、周囲が金ぴかの近代的旅館に変わっているのに、藤三旅館だけは昔のままだった。50年古くなった分、廊下も部屋もがたぴしで、今にも壊れそうだった。立ち湯も健在で昔のままだった。今頃はあの建物も取り壊されていることだろう。

鎌先温泉
 学生時代、蔵王を縦走して最南端の不忘岳から下山すると、白石までのバスを待つ間、鎌先温泉の共同浴場で汗を流すのがもっぱらであった。こぢんまりした集落に古びた旅館が数軒建っていて、その中の一つに無料の共同浴場があった、開けっ放しの入り口を入ると狭い脱衣所がある。男女混浴で脱衣所も一緒。女性と並んで服を脱ぎ、浴槽に入った。もちろん源泉掛け流しである。せいぜい3坪ぐらいの狭い浴槽で、農作業を終えた農家の若い奥さんが、目の前で恥ずかしげもなく堂々と湯に身体を沈めたときは、どぎまぎして思わず目を伏せた。すぐに出るわけにも行かず、一緒に入っていたが、しばらくして若奥さんは何事もないように湯から出て、身体を拭いて出ていった。これが混浴というものかと感じ入った。その頃の東北の温泉は、どこもこういう感じだった。ヤフーで検索すると、今頃の鎌先温泉はすっかり開けて、大きな旅館が建ち並んでいる。昔の鄙びた雰囲気はすっかり失われている。経済成長がはたして良いことだけなのか考えてしまう。

作並温泉 岩松旅館
 昨今は作並温泉より秋保温泉の方がはるかに有名だが、昭和30年代は作並温泉の方が仙台の奥座敷と言われて格式が高かった。仙山線で山形に行く途中にある山奥の温泉である。貧乏学生の頃は行けなかったが、就職して2年目ぐらいに、亡くなったTo君と仙台を訪れた際泊まってみた。その頃銀行の仙台支店に配属されていたOk君と、実家が仙台にあったSa君が同行した。温泉が目的ではなく、4人で徹夜麻雀が目的だったと記憶する。古びた趣のある日本式旅館で、温泉は広瀬川の崖を何十段もある階段で谷底まで下りたところにあった。渓流沿いに幾つかの浴槽が並んでいた。実に趣のある露天風呂で、もちろん混浴である。しばらく前、車で山寺へ行く途中作並を通ったことがある。キンキラキンの豪華旅館になっていて、昔の鄙びた雰囲気は失われていた。もう二度と行くことはあるまい。露天風呂はあの時のままなのだろうか。

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