伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2014年1月18日日: グローバリズムという妖怪 T.G.

 40年近く毎月欠かさず購読しているが、最近の文藝春秋はつまらなくなった。読みでのある記事がほとんどない。売り物は巻頭のテーマ記事と文芸誌としての小説、文学だが、肝心の芥川賞については駄作ばかり。巻頭論文もありきたりで、今ひとつぴんと来るものがない。二月号の巻頭記事「グローバリズムという妖怪」は久し振りに骨太で読み応えがあった。こういう記事ばかりだと870円は安いものなのだが。

 内容は、京都大学で行われたシンポジウムの出席者、京都大学教授藤井聡氏、フランスの歴史人口学者エマニュエル・トッド氏、ケンブリッジ大経済学部教授ハジュン・チャン氏、評論家の中野剛志氏、滋賀大教授柴山桂太氏の5人による座談会である。かねてからTPP反対派の急先鋒である中野氏をはじめ、全員がグローバリズム批判、反対、もしくは懐疑論者である。この5人によるグローバリズム批判論が、なかなか含蓄の多い内容になっていて面白い。読んでいて一種の知的興奮を覚えた。

 冒頭トッド氏がグローバリズム最大の失敗例としてEUを挙げる。この論調が通奏低音のように座談会の全編を貫いているようだ。グローバリズムとは国ごとの決まりや制約を取り除き、完全な自由貿易を指向し、経済的国境を撤廃することである。その最たる例がEUである。人類の歴史上はじめて、域内での関税を撤廃し、通貨まで統合した。トッド氏は今のEUが置かれた状況を見れば、グローバリズムの帰結が分かるという。グローバリズムの完全なる失敗例だという。そのためにヨーロッパは死に瀕しているという。

 統合によってEU加盟各国は、国ごとの通貨管理や金融緩和や財政出動が出来なくなってしまった。もちろん関税などない。完全撤廃である。グローバリズムの究極像といえる。この結果、国ごとの事情に合わせた独自の産業政策は不可能になり、強いもの勝ちの世界になってしまった。最強のドイツは、ユーロ安を利用して大いに輸出を伸ばし、一人勝ちの状態である。それ以外の国は低賃金と競争力不足で、ドイツの下請けに成り下がっている。富はますますドイツに集中し、それ以外の国は貧しくなる一方である。それを防ぐための為替操作は通貨が統合されているから不可能だし、そもそも関税はない。金融、財政出動の権限はEU本部だけにあり、国ごとに行うことは出来ない。ドット氏は言う。「EUのもう一人のリーダであるフランスも、オランド大統領はまるでドイツの副首相で、財務大臣もベルリンに直接お伺いを立てている」と。

 そもそも通貨や関税や規制は、国力に応じてバランスを取るための防御柵である。無防備に柵を取り払ったら、水はすべて低い方へ集まってしまうのは道理である。それを防ぐ方法は、関税や為替や国ごとの規制で柵を作ることしかない。グローバリズムは、それを一切取り払って、経済活動を見えざる手(神の手)にゆだねろと言う主義である。人間(政府)は神様のやることにいちいち口を出すなという主張である。日本でもかっての小泉政権の元で、竹中平蔵氏らが盛んに主張した。その主張は今の安部政権にも受け継がれ、TPP交渉が始められている。TPPは関税と非関税障壁撤廃運動である。行き着く先はEUだと言うことである。この場合の勝者はドイツでなくアメリカになるだろう。少なくともアメリカはそう思って交渉を進めているに違いない。

 グローバリズムは、経済活動を効率化し、世界経済を成長させることが目的のはずだったが、現実はそうなっていないと、この5人の識者は口々に言う。過去に二回、グローバル化の時代があった。最初は1870年から1914年の第一次大戦まで、二回目は1980年代から今に至る時代である。最初の時のグローバリズムの覇者はイギリスで、今はアメリカである。そのいずれもがグローバル化の進展に連れて勢いをなくし、低成長に陥り、覇権を失った。1960年から80年までの20年間、先進国の経済成長率は3.2%だったが、80年から2010年の20年間はわずか1.8%と半分に落ちている。つまりグローバル化は成長に繋がっていないのだ。おまけにリーマンショックのような悲劇も生んでいる。最初のグローバリズムの挫折は第一次大戦である。今回のグローバル化も、それと同じようなさらなる破局に繋がるかも知れない。今からでも遅くない。新自由主義とグローバル化はやめるべきだと、論者達は言う。

 対談の中で、フランス人のトッド氏と韓国人であるチャン氏が中国と韓国経済について論評している。チャン氏によれば、97年の通貨危機で、韓国はIMFによる極端な自由主義経済とグローバル化を押しつけられた。その結果韓国の経済と社会は激しく痛めつけられ、根底から破壊されてしまったと言う。サムスンなどの陰に隠れて見えないが、雇用や失業率が悪化し、自殺率がOECDで最悪になり、出生率も低下した。この先持続的な成長は見込めない。それなのにグローバリズムに洗脳された政府、国民は自由主義を善と信じ、欧米とFTAを結んで喜んでいると。大いなる錯誤だと。

 トッド氏は言う。今世界は二つの未知の巨大リスクを抱えている。一つはドイツに支配されたEUヨーロッパ。もう一つは中国だという。中国では、日本や欧米のように豊かになる前に激しい高齢化が始まった。中国の人口を考えると、移民では問題解消にならない。つまり手の打ちようがない。さらに中国経済は住宅や設備など固定資産投資がGDPの過半を占めている。これは急速な工業化を目指した過剰投資が、無駄な生産設備を増やすだけに終わった、スターリン時代のソ連経済の失敗を彷彿とさせる。中国の家族形態は「共同体家族」が基本である。それは共産党支配にマッチしている。伝統的な中国の家族制度や社会秩序と、グローバル化の化け物、改革開放経済との矛盾に、この国は耐えられないだろう。やがて破局が訪れるだろうと彼は言う。ドイツが再び覇権を握ったいびつなヨーロッパと、巨大中国の混迷は、世界に大きな災いをもたらしそうだ。

 グローバル化と新自由主義は、社会格差を広げ、社会のあり方を崩壊させ、国家の自立性を失わせ、その上肝心の経済成長も実現しない。それなのに国家を運営するエリート達は立ち止まろうとしない。それは新自由主義を信じているのではなく、単になすべき統治を放置しているだけではないのか。200年も昔にアダムスミスが言った「神の手」に任せきりで、無為無策に陥っているだけではないのか。エリート達の統治能力が著しく劣化しているのではないか。グローバリゼーションとは単なるエリート層の「大劣化」なのではないか。これがこの座談会の結論のようだ。

 座談会の末尾で、人口学者のトッド氏が面白いことを言っている。日本経済の低成長を、先進国らしい健全な状態と肯定した上で、出生率の低下は日本の抱える大問題だと指摘する。その理由として、日本はドイツや韓国と同じ「直系家族」に属していて、この家族観が家族の形成を難しくしている。それが少子化の原因だという。もっと家族を気楽に考えるフランスでは、婚外子が55%を占めている。結婚しないでも子供を産むし、2歳から公立の無料保育所に入れてもらえる。だから出生率も高いし、社会が生き生きとしているという。一考に値する意見である。

 TPPを含めたグローバリズム反対の空気は、中野氏や藤井氏ら京都学派に強い。東大、慶応など東京勢はその反対である。御用学者まがいに政府に取り入って、盛んにグローバル化と新自由主義を焚きつけている。どちらが正しいか分からないが、うかうかしていると日本が駄目になる。まあ我々が生きている間は大丈夫だろうが。

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