伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2014年1月6日: 映画「半落ち」-人は誰のために生きるのか GP生

 大分前にHDに録画しておいた映画「半落ち」を見た。原作は警察物を得意とする横山秀夫の同名のベストセラーだ。物語は群馬県警の元捜査一課の敏腕警部・梶が、「私は最愛の妻を殺しました」と自首して来たことから始まる。取り調べを担当したのは、梶が警察学校時代の教え子、志木刑事だ。梶が自首したのは、妻を殺してから三日後だった。志木が問質しても、何故妻を殺したのか、殺害後の二日間、何をしていたのか、梶は供述を一切拒んで黙秘し、「私がこの手で妻を殺しました」と繰り返すのみだ。配役は、梶役には寺尾聡、志木刑事役が柴田恭兵。

 元職とは言え警察関係者が殺人を犯したことで、醜聞を恐れた県警幹部達は、世間体と体面を繕うことに躍起となる。梶宅への家宅捜査で、新宿歌舞伎町のいかがわしい店の宣伝用ティッシュが見つかり、更には、高崎駅の新幹線ホームで佇む梶を目撃したとの情報も得られた。「妻殺害の陰に歌舞伎町の女有り」と憶測した県警幹部の苛立ちはつのるばかりだ。梶は、「妻に頼まれて扼殺した」とまでは供述したが、何故、妻が頼んだのか、空白の二日間、梶は何処で何をしていたのかは供述は拒んだままだ。

 県警幹部は梶が死に場所を求め、二日間県内を彷徨ったとのストリーで、梶の供述を取るよう、志木に圧力を懸けるが、志木はこれを拒絶し捜査から外されることになる。志木は梶の沈黙の裏に真実が隠されていると感じとり、この二日間に何があり、何故、梶が供述を拒否するのかを明らかにしようと独自の調査を開始する。一方、女性記者の中尾も妻殺害の真相を追う。

 この二日間に、梶が黙秘を貫いている理由が秘められていた。梶の一人息子は14歳の時に急性骨髄性白血病で死去した。適合するドナーが現れなかったためだ。これが原因で梶の妻は鬱状態になり、更に、認知症が進行した。梶は妻の介護の為に警察を退官した。息子の面影を追うことに生甲斐を求めた妻に、息子が死んだ現実が重くのしかかり、認知症をさらに進行させることになった。病の進行につれ、息子の存在すら忘れる事を恐れた妻は、息子の記憶が残っている内に死にたいと漏らす様になり、最後は梶に殺してくれと哀願するようになった。間違いなく彼女は、死んだ息子の記憶にすがって生きていた。

 妻を愛する梶は、息子の存在すら忘れ、生きる目標を失い、唯、命を永らえる事が、本当に妻の幸せに繋がるのか、悩み苦しんだ末、自らの手で妻の命を絶つことを決意した。梶が妻を扼殺した後、自らも、後を追うために鴨居にロープを懸けている時、偶然、箪笥の隅に立て掛けてあるノートに目が止まった。

 ノートを開くと古びた新聞記事の切り抜きが出てきた。その頁から妻の日記が始まり、最後のページは判読不明の文字で終わっていた。新聞記事は歌舞伎町の小さなラーメン屋で働く少年の投稿記事であった。「少年は骨髄性白血病を患ったが、適合するドナーからの骨髄移植により命を取り留めた。誰かは分からないドナーのお蔭で、今、自分は生きている。骨髄を提供してくれたドナーに感謝したい。」との内容であった。妻は自分が骨髄を提供した日と、少年が移植しを受けた日が同一であることから、自分の骨髄であると直感した。

 梶夫婦は息子を失った後、医師から同じような悲劇を繰り返さないためにも、ドナー登録をするように勧められ、応じていた。妻は自分の骨髄で命を救われた16歳の少年を自分の息子に重ね合わせ、東京の歌舞伎町で自分の息子が生きているとの思いを深めた。記憶が次第に薄れ、夫に介護される生活の中でも、妻は少年の為に、生きている喜びに浸っていた。

 梶は妻の日記帳から、歌舞伎町の少年の存在を知った。後追いを止め、歌舞伎町に行き、小さなラーメン屋の少年を探し始めた。ラーメン屋を見つけ、成人した、かっての少年の作るラーメンを食べながら、成長した青年を見つめる梶の姿が印象深い。49歳の梶には、骨髄提供可能の50歳まであと一年残っていた。妻の骨髄により生きて、働いている青年の姿に接した梶は、残された時間を自分の骨髄が適合するかもしれない患者の為に生きようと心に決めた。しかし、50歳の誕生日が過ぎた時、妻殺害の責任を自ら執ろうとする梶の決意が、画面から感じ取れる。

 裁判中、梶は「妻に頼まれて殺した」と嘱託殺人は認めても、それ以外一切、語る事を拒み続けた。一方、志木刑事と中尾記者は独自の調査でノートと新聞の切り抜きの存在を知り、梶夫妻がドナー登録している事実を知ることになる。志木は歌舞伎町で、かっての少年を探し出し、最終弁論の法廷へ連れて来た。青年は、法廷で、梶が少年の存在を隠すために、一切の証言を拒否している姿を目の当たりにした。少年が世間の好奇の目に曝されることを防ぎ、彼の人生を守るために、「妻を殺した私を罰して下さい」と懇願する姿が感動を呼ぶ。梶は少年の為に、必死に生きていた。寺尾聡、真迫の演技だ。

 「人は誰の為に生きるのか」と問われた時、即答は難しい。自分自身の事を考えても、結婚するまでは、自分自身の為に生きて来たと答えるだろう。結婚して、子供達が生まれ、家族の為に生きる事になったても、それが全では無い。子供達が独立し、親としての責任を果たし終わると、年老いた両親の介護が生じた。父が亡くなり、認知症の母の介護が始まると、母の為に生きる何年かを過ごした。両親をあの世に送り、息子としての責任を果たした後には、夫婦二人きりの生活が始まった。人生の黄昏を迎えた現在、「自分は何のために生きるのか、誰の為に生きるのか」との意識を強める事が多くなった。だからこそ、映画「半落ち」が、強く心に響いたのだろう。

 映画のラストシーンは、梶が裁判所から囚人運搬車で護送されていく途中、突然、車が止まる所で始まる。看守が窓のカーテンを開けると、車から離れた場所に、志木刑事と青年が立っていた。青年は梶と目が合うと、しきりに何かを喋り出した。声が聞き取れる距離ではない。眼を凝らした梶には、口の動きから、この青年が「い・き・て・く・だ・さ・い」と叫んでいる様に思えた。梶の目はかすかに微笑んだ。映画は、この青年の為に生きる覚悟が、梶に芽生えた事を暗示してTHE ENDとなった。

 先日、東京の郊外で、特養ホームを運営する高齢女性と話をする機会があった。ジムのプールで、歩きながらの会話だ。彼女のホームでは約100人の入居者が居て、平均年齢は90歳以上、何割かは認知症だと言う。話を聞いてみると、殆んどの老人は、自分の事しか考えていない様だ。生存本能に従って、唯生きている感じだ。彼女の言によると、今は、老老介護を通り越して、「認認介護」の時代だそうだ。「何のことですか」と聞くと、「夫婦の中で軽い認知症の方が、重い認知症の連れ合いを介護すること」だと教えてくれた。結婚して、懸命に子供を育て、働くことで社会に貢献してきた夫婦の末路が「認認介護」とは、余りにも哀しい。

 高齢になっても、人の為に働き、世の中の為に生きる人は多いと思う。しかし、連れ合いに先立たれた年寄りは、自分の為に生きる事が中心になるだろう。そうであっても、他の人の為になっていると感じれば、嬉しさを覚える。例えそれが、取るに足らないような些細な事であったとしてもだ。定期的に、建物の内外の掃除をお願いしている70歳の男性がいる。仕事は遅いが、丁寧で細部の汚れ落としに徹底してこだわる。「ご苦労さん、何時も細かいところまで気を遣ってくれてありがとう」と礼を言ったことがある。彼はあちこちで、この話をしている様だ。

 人は独りでは生きられない。他の人の役に立っていることを知ることは、自分自身の生甲斐に通じる。高齢者にとっては、特にそうだ。先の特養ホームの高齢者達にとって、自分の為にだけ生きている様に見えても、何処かで他の人の為になりたいと思う心は持っている筈だ。運営者の女性は、毎月一回行うイベントの準備に、入居者が参加する機会を増やすよう腐心している。老人達が人の役に立っている事を、感じてくれればとの思いからだ。但し、認知症の老人は、何をしても駄目だと諦めていた。

 今の自分は、マンションの入居者が出来るだけ快適に生活が送れるよう、常に目配りをしている。単なるビジネスと考えれば、心的負担は軽減できるが、そこまで割り切れない。入居者の為に生きるなどと、大それたことを考えたことは無いが、入居者が快適な生活を行えるように、行動する意欲を持つ努力はしている。家賃だけで繋がる人間関係だけは願い下げだ。人は誰の為に生きるかと考えなくとも、自身の生きていく過程で、他の人の為になる結果が生じれば、それで良いのだと思う。老後の人生で、結果的に他の人の為になる事が多ければ、それは自分の心の財産を増やすことになるのだから。

 人にとって「誰の為に生きるのか」は、「人は何のために、この世に生まれのか」との命題に繋がる。高齢者は自らの過去を振り返ったとき、痛恨の思いに駆られる記憶に遭遇する。自分もそうだ。過去の辛い経験や、人に対する恨み辛みを、そのまま重ねたままでは、生きる意欲を失ってしまう。だから人は、何処かで反省し、ケリをつける。それでも辛い記憶が蘇る。過去の失敗を清算するのが困難だとすれば、例え老い先が短くとも、これからの人生で誤りを正すしかない。梶は理由はどうあれ、妻を殺害した記憶と共に生きるしかない。自分は、幸いなことに、そこまでの辛い記憶は無い。

 人は過去世の記憶全てを、潜在意識の内に閉じ込めたまま、この世に誕生する。誕生後は、両親を始め色々な人との触れ合いの中で成長し、潜在意識も少しずつ紐解かれ、夫々の個性が生じてくる。齢70を超えても、誕生前に自らに課した命題は、潜在意識の中に埋もれ、漠然としか意識できない。残された寿命の中で、悩み考えながら生きるしかないと覚悟している。人は何歳になっても、「何のために、誰の為に生きるのか」との命題を繰り返し意識して生きるしかないのだろう。

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