伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2013年12月6日: 日本の右翼と左翼 T.G.

 見知らぬ伝蔵荘日誌の読者からメールが来た。何がお気に召さなかったのか、「痴呆症の右翼」とクソ味噌である。どうやら11月22日の日誌がご不満だったようだが、どこがどう痴呆症気味で右翼か、論拠は書かれていない。かっての社会党党首土井たか子氏の口癖と同じ、「駄目な物は駄目」。“左翼”が得意とする問答無用の言論封殺である。

 そう言えば友人達にもお前は右翼だとしばしば言われる。本人は至極ニュートラルなことを言っているつもりなので、どこが右翼なのかよく分からない。なぜ右翼か質すと、そもそもお前は憲法改正に賛成だろうなどという。せいぜいそれ止まりである。それ以上の根拠はない。憲法改正だけで右翼にされたら堪ったものではない。日本以外の世界中の国民が右翼と言うことになる。納得できるもうちょっとマシな説明が欲しい。それを分からせてもらったら右翼と認めてもいい。先の読者氏はそれに「痴呆症気味」という、いささか乱暴で不名誉な形容詞も付けている。もうちょっと気の利いた日本語が使えないものか。

 世の中の風潮を見ると、日本では憲法改正、日米安保、集団的自衛権、今話題の機密保護法、普天間の移設、オスプレイ、自民党に賛成か好意的だとすべて右翼の烙印が押されるようだ。それに従軍慰安婦、中韓の反日、歴史認識に異を唱えるともう極右扱いである。仮にこの分類が正しいとすると、確かに小生は右翼に違いない。そうだとすると、前の選挙結果を見れば、国民の過半が右翼と言うことになる。自民党を信任して政権を取らせたからだ。今の日本では右翼は非難語、蔑称である。少なくともマスコミはそう言う使い方をしている。なぜ右翼が悪いのか、左翼マスコミは教えてくれない。件の読者氏も教えてくれない。ただひたすら駄目なものは駄目と言う単純論法である。

 右翼左翼という言葉の発祥はフランス革命である。革命後の国民会議で王道派の保守派が右側の席を占め、急進派のジャコパン党が左側の席を占めたのが語源である。ダントン、ロベスピエール率いるジャコパン党は、次第に過激な恐怖政治に傾き、内部分裂の挙げ句に自滅した。その思想は後の共産主義やロシア革命に引き継がれた。高校の世界史の授業はこの血湧き肉躍るフランス革命辺りが一番面白かった。今でも左翼というとダントン、ロベスピエール、ジャコパン党が真っ先に思い浮かぶ。

 ジャコパン党のよく言えば急進的、悪く言えば過激な思想は、後のマルクス、エンゲルスの共産主義に受け継がれ、ロシア革命の起爆剤になった。以後、左翼と言えば共産主義、もしくはその派生の社会主義のことである。その思想を信奉する革命主義である。ロシアに始まり、中国、北朝鮮、イラクなど中東諸国、ウクライナなどのロシア周辺国に広まった。一時は世界を二分する勢力になった。日本でもロシア革命後、共産主義を信奉する革命主義者が増えた。彼らは1919年に誕生した共産主義宣伝本部であるコミンテルンの洗脳、教唆を受け、天皇制打倒、国家転覆活動を始める。悪名高き戦前の治安維持法はこれを抑えるためのものである。マルキシズムはインテリ階級に人気があり、戦前戦後の東大経済学部の先生方は大方マルキストで、学生にマルクス経済しか教えなかった。そのため日本の経済学は停滞した。いまだにノーベル賞からほど遠い。マルクス経済をやめたのはつい最近のことである。

 1960年の日米安保改訂の際、この左派勢力が結託して過激な反政府運動を起こした。裏で共産党を通じたコミンテルンが操り、全国で反安保のゼネストが行われ、国会前にはデモ隊が荒れ狂った。この安保反対には多くの左翼学者、大学教授、文化人、マスコミが荷担し、国民を煽った。その結果、共産革命一歩手前の様な状況が生まれた。小生も付和雷同して仙台でデモに参加したが、熱病に冒されたような異様な雰囲気を今でも覚えている。今の秘密保護法案騒動がそれに似ている。なぜ日米安保が悪いのか、秘密保護法が悪いのか、マスコミ、インテリ連中は論拠をまったく示さず、暗黒の時代とか治安維持法の再来などと、ひたすら見当違いの扇情的言辞で罵倒するところがそっくりである。左翼の本流である共産主義の末路は、1989年のソ連崩壊で明らかになったが、日本の左翼はその歴史的教訓を未だに無視している。

 翻って日本の右翼である。日本の右翼の源流は北一輝大川周明あたりだろう。この明治生まれの思索家は日本の右翼活動を思想面で支えた。戦前の右翼活動は彼らの思想の派生である。特に若手軍人が引き起こした2.26事件や5.15事件は北一輝の思想に大きな影響を受けている。政治にも大きな影響を与えた。統帥権干犯は北一輝の入れ知恵だったという話は有名である。昭和5年のロンドン軍縮会議で浜口内閣が艦船の対米保有率7割を飲もうとしたところ、これに反対した野党政友会の鳩山一郎が「軍の編成は天皇の統帥権であり、これを干犯するのは憲法違反だ」と噛みついた。その結果、原敬以来の日本の政党政治は崩壊し、軍部の台頭が始まった。鳩山一郎は元総理鳩山由紀夫の爺さんである。孫の彼も本質は右翼なのだ。その証拠に彼は根っからの反米主義者であり、憲法改正論者でもある。左翼の見本のような菅直人と波長が合うわけがない。

 戦後の右翼はGHQの厳しいパージにあって事実上消滅した。生き残ったのはせいぜい児玉誉士夫、笹川良一程度で、それも右翼特有の民族思想など持ち合わせない、単なる政商に過ぎなかった。今では日本には本物の右翼はいない。せいぜい街宣車で軍歌を流す程度で、政治に対する影響力は皆無に近い。政党やマスコミ、学者、文化人に深く食い込んで生き長らえている社会主義左翼とは大違いである。GHQも当初は共産主義や社会主義を右翼のように忌み嫌わなかった。その結果、戦後間もなく左派社会党の片山内閣が生まれている。この左翼的流れはその後の安保反対運動や反米主義に引き継がれ、民主党政権を生み、今に至っている。民主党はベースが旧社会党員の左派政党である。自民党は保守ではあるが右翼政党ではない。これを右翼といったら北一輝が嘆くだろう。

 こうしてみると、先の読者氏の右翼批判は褒め言葉と言えなくもない。痴呆症気味ではあるが絶滅した日本右翼の後裔と見てくれている。政治主張など皆無の情けない街宣車と違い、左翼に反発される何らかの政治的思想があるように聞こえる。本人はそれほどの気負いも思想もないのだが。

目次に戻る