伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2013年11月22日: 日誌の執筆意欲と最近の世相 T.G.

 最近伝蔵荘日誌の執筆意欲が湧かない。もっぱらGP生君の筆に任せている。以前は世の中のことに関心が向いて、何かがあると書いたものだが、そう言う気が起こらなくなった。もう先が長くないから、世の中なるようになればいいと思い始めたのかも知れない。いい傾向ではない。福島4号機で使用済み燃料棒の取り出しが始まったという。廃炉の第一段階で、この後40年かかるという。その頃はもう生きていない。そう思うとどうでもいいことに思えてくる。そう言う目で見た近ごろの世相である。

 新聞テレビが秘密保護法案について騒いでいる。国民の知る権利をないがしろにしていると息巻いている。知る権利とは妙な言い方である。いったいそんなものがあるのか。憲法に書いてあるとでも言うのか。どこを読んでもそんなことは書いてない。隣の家の夫婦喧嘩の原因が何か、知る権利があるとでも言うのか。人でも国でも知られたら都合が悪いことはある。隠さないと平和に暮らせないことはいくらでもある。それを隠して何が悪いのか。新聞テレビは治安維持法と同じで、戦前の暗黒時代に戻るなどと大仰に言うが、戦前が暗黒時代だなんて嘘パッチの妄想である。戦前も庶民はおおむね楽しく平和に暮らしていた。明治生まれのうちの親父もお袋もそうだった。暗黒だったのは共産主義者など国家転覆を狙う一部の反体制派だけである。共産主義革命も国民の権利というのか。

 小泉が突如原発ゼロを言い出した。隠居の戯言である。そう言うことは自分が首相の時に言ったら価値がある。無責任な隠居が言うのは単なる迷惑である。現役時代彼の天敵だった朝日新聞と社民党党首(名前を思い出せない)と連んではしゃいでいる。呉越同舟である。世の中こういう固陋で無責任な年寄りが多い。うちの団地にもたくさんいる。日本を駄目にするのは、若者ではなくこういうはた迷惑な年寄りだろう。彼の言い草で一番気に入らないのは、「首相は原発ゼロを言うだけでいい。方法は専門家が考える」という言い方である。自身はノーアイデアと言うことである。その専門家が考えた方法の結末が今の福島と言うことを都合よく忘れている。知っていて言うなら犯罪である。国民を扇動して国を誤らせるのは犯罪である。ヒットラーやムッソリーニと同じだ。東条英機は犯罪者ではない。単なる無能政治家である。ライバルの石原完爾がそう喝破している。

 キャロライン・ケネディが駐日大使として赴任した。ケネディにダッコされていた5歳の頃の雰囲気が残っている。政治外交未経験の大使と疑問を投げかける向きもあるが、構わないではないか。外交未経験者でも勤まるほど、今の日本は平和な国だと言うことである。権謀術策が大好きなアメリカもそう見ていると言うことである。外交が難しいのは安全保障問題である。分かりやすく言えば戦争の可能性である。中国や韓国はそのリスクが高い。オバマだって馬鹿ではないから、そう言う国にはキャロラインお嬢さんは行かせない。日本はすこぶる付きの安全牌と見ているのだ。TPPや普天間は安全保障問題ではなく、平時外交の範疇と思っていると言うことだ。日本はしばらくスイートキャロラインを楽しもう。2+2での日本の集団的自衛権容認と合わせて、アメリカが日本に甘いのを中国、韓国はさぞ悔しがっているだろうが。

 その韓国の朴大統領がハルピン駅頭に安重根の銅像を建てると騒いでいる。菅官房長官が犯罪者と言ったら、国民の英雄を犯罪者呼ばわりするのはけしからん、謝れと激高している。一国の総理大臣経験者の暗殺者を犯罪者と言って何が悪い。世界中どこの国でも平時の殺人は犯罪だ。それが世界の常識である。韓国はそうではないとでも言うのか。常日頃のこの国の法治を見ていると、あり得ない話ではない。近代法がタブーにしている遡及法を平気でやる。裁判所までそれに荷担する。だから平時の殺人者でも英雄になれるのかも知れない。よしんばそうだとしても、そんな手前勝手で独善的な天動説を他国に押しつけるのは如何なものか。そんな愚行を続けていると、そのうち世界中のひんしゅくを買うだろう。もうすでに買いかけている。例によって朝日新聞が、韓国の立場も尊重しろと社説に書いた。いったいどこの国の新聞か。

 革新系の暇人達が、票の格差は憲法違反、先の選挙は無効と訴えたら、最高裁で敗訴した。違憲状態ではあるが、選挙結果は有効だと。こういうのを日本語では玉虫色、ご都合主義という。悪いと言っているのではない。ご都合主義もいいところはある。世の中丸く収まる。いったい票の格差のどこが悪いのか。格差は田舎の人口が都会に移動したから生まれた。票の格差をなくしたら、政治は都会の都合ばかりになる。田舎はほったらかされる。すでにそうなり始めている。田舎は過疎で壊れ始めている。田舎が壊れた国は必ず滅びる。今の中国がそうだ。北京上海は大金持ちが住んで、高層ビルでキンキラキン。田舎の貧乏人は裸足で地べたを這いつくばっている。そのうち暴動が起きると囁かれている。日本がそうならないために、票の格差を増やし、田舎のことを考える政治家を増やした方がいい。票の格差大いに結構。憲法のどこにも票の格差はいけないとは書いていない。国民はすべからく健康な生活を送る権利があると書いてるだけだ。

 台風被害のレイテ島に日米両軍が大集結した。70年ぶりのことである。レイテというと我々の年代は昭和19年10月のレイテ沖海戦を思い出す。日米が雌雄を決した大海戦である。これで4隻の空母と3隻の戦艦を失った日本軍は、その後敗走につぐ敗走で終戦をむかえた。自分の父も隣のミンダナオ島で戦死した。その二匹の巨象が暴れ回った小さな島に、米軍のオスプレイと自衛隊の輸送機が支援物資をしこたま積んでやってきた。フィリピンでは大歓迎である。どこかの国のように歴史認識でイチャモンはつけない。そのどこかの国は戦争の被害にあったわけでもない。自国の上で巨象が暴れ回ったわけでもない。東京のような大空襲にあったわけでもない。そう言う都合の悪い歴史認識は忘れている。自分勝手な国だ。

 そのレイテ島である。被害の翌日、さっそくお決まりの商店の略奪が始まった。銃撃戦まで起きたと言うからただごとではない。あまりの治安の悪さに島民が逃げ出した。死者1万人は東北大震災より少ない。その東北の津波被害地で暴動や略奪は一度も起きていない。皆静かに救援を待った。これは単に貧富の差では片付けられない。国民が持って生まれた社会規範の差と言うしかない。おそらく日本以外のどの国でもこういう整然とした社会規範は存在しないだろう。アメリカやヨーロッパでさえも。現にハリケーン・カトリーナに襲われたルイジアナでは掠奪が横行している。反日騒動時、中国の都市では政治デモだけでなく掠奪も横行した。テレビ映像でデモ隊の掠奪シーンを見ても、彼ら国民は恬として恥じない。当たり前のことと思っている。日本人だけにこの世にも希な規範意識が根付いた理由は定かでないが、大いに誇るべき資質だろう。

 ここまで書いてきて、カミさんが今日の夕ご飯は何にすると下の階から声をかけてきた。久し振りに美味しい刺身でも買ってきて和食にするか。純米大吟醸も冷やしてあるし。毎日起きてから寝るままでの間、関心事はそれくらいである。「あげ雲雀なのりいで、かたつむり枝を這い、神空にしろしめす、すべて世は事もなし」と言うことだろう。

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