伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2013年11月5日: 東北楽天の日本一を祝す GP生

 東北楽天が創立9年目にして、日本シリーズで巨人を制し日本一に輝いた。創立以来、パリーグの最下位が定位置で、昨年が5位であったチームが、ここまで活躍するとは、誰がこの春に予想しただろうか。春のセパ交流戦では、毎年、そこそこの成績を残しても、パリーグに戻れば層の薄さが露呈して失速していた。今年とて、先発はともかく、中継ぎ陣の不安定さは変わらず、信頼できるクローザーは斉藤隆しかいなかった。短期決戦のCSや日本シリーズならともかく、ペナントレースで、良く首位を保ち続けたものだ。

 東北楽天の選手は、田中将大を除き、全国区の選手は極めて少ない。ジョーンズやマギーの加入は大きいが、一番岡島、二番藤田、三番銀次のトリオの活躍は特筆に値する。楽天ファンでなければ、彼らの名前と顔が一致しないだろう。藤田は今季DeNAからの移籍選手だ。DeNAをお払い箱になった選手が、東北の地で才能を開花させ、しぶといバッティングで二番の重責を果たした。銀次は星野監督に才能を見出され、我慢して三番を任され、実績で応えた。チャンスにはめっぽう強い選手に成長した。出身は岩手県普代村だ。

 銀次は極めて地味な選手だ。タイムリーで出塁し、二塁ベースに立った時の表情が実に控えめで、奥ゆかしい。日本シリーズでも、大活躍をした。バッターボックスでアップされる表情から、胸に秘めた熱いものが感じられた。田中が最後のバッターを打ち取り、全員がマウンドに駆け寄った時、銀次は星野監督にしがみ付き泣きじゃくっていた。対する星野監督も涙顔だ。今までの、日本シリーズ優勝チームで、このような姿を見たことは無い。巨人が日本シリーズを制したとしても、原監督に銀次と同じことをする選手を想像できない。捕手の島基宏も泣いていた。観客席をズームアップするカメラの中で、何人もの楽天ファンが泣いていた。東北楽天の選手達とスタンドが一体となって、勝利に歓喜する姿に、見る者の心が揺さぶられた。

 宮城県のみならず、東北の各地で同じような感涙にむせぶ姿が見られたことだろう。背景に、二年半前の大震災がある。復興は道半ばだ。福島第一の周辺町村に至っては、住民の帰還の目途さえ立っていない。ペナントレースでの東北楽天の快進撃と、巨人との激しい戦いの末の勝利は、被災地の人々にどれ程の励ましになったろう。たかが、野球かもしれない。されど、野球はチーム力が勝敗を決める。このチーム力を構成する要因は複雑で奥が深い。東北楽天の選手達は、東北人の期待と声援を背に、力の限り戦い、勝利を勝ち取った。東北の人達は、自分自身を重ねているのだろう。

 島捕手が、復興支援試合の開会式で語りかけた「見せましょう、野球の底力を」のメッセージは、今も多くの人の心に残っている。野村と言う名捕手の薫陶を受け、努力を重ね、一流の捕手に成長しても、島基宏に増長の影は無い。彼の言葉は、彼の人間性に裏打ちされていたからこそ、多くの人を感動させたのだと思う。今回の日本一は、東北楽天の選手達の心に、島のこの言葉が、浸み込んだ結果のように思われる。有言実行は、不言実行に数倍勝る難事だ。

 東北楽天は、3勝2敗で東京ドーム決戦を終えた。宮城球場での第6戦は田中将大の先発が予想され、誰しも、これで日本一が決定すると思ったろう。序盤での2点先行は、田中にとって十分すぎる得点だ。自分も勝利を確信した。野球は分からない。ロペスには、甘く入った直球をホームランされ同点に追いつかれ、続く回で、高橋由伸をツーストライクに追い込みながら、田中がこだわった直球をタイムリーされ勝ち越された。更に1点を追加された。ここからが、田中の真骨頂だ。並の投手であれば、ガタガタに崩れ降坂となる。田中は立ち直り、更なる得点を許すことなく、160球を投げ、公式戦初の負け投手になった。最後の球速は150キロを超えていた。

 第6戦での田中の敗けにより、新聞は、巨人、逆王手と書き立てた。敗戦投手になったものの、田中の160球の気迫が、第7戦の先発が予想される美馬や打撃陣に強烈なインパクトを与えたはずだ。自分は、第7戦は東北楽天の勝ちと予想した。自分は野球は全くの素人で、基本的なルールを理解しているに過ぎない。東北楽天の個々の選手に比べて、巨人の選手は経験、技能共、遥かに上だ。しかし、日本シリーズを見ていて、巨人の選手達に、勝利に対する執念みたいなものが、今一歩欠けている様に思えた。野球はメンタルなスポーツだ。東北楽天は東北六県のファンの声援を背にし、大震災の被災者達の為に頑張ろうとする、選手達の気迫とモチベーションが、巨人の総合力を上回っているように思えたからだ。

 田中の気迫は、打倒巨人に執念を燃やす星野監督の熱い心に共鳴し、それは、他の選手に好影響を及ぼした。新人ながら、則本は度胸満点のピッチングを披露し、美馬も、途中崩れることなくコントルールを維持した。先発投手が持てる力をこれ以上ない形で発揮し、不安定な中継ぎ陣の負担を減らした。

 第7戦では、マウンド上でピンチに立たされた則本の元に、三塁手マギーが駆け寄っていった。こんな、外国人選手の姿を見たことが無い。試合に懸ける執念とチームワークの一端を見る思いだ。些細な行為がチームの結束を固める。旧近鉄の生き残りである牧田選手が、監督の起用に応え、ダメ押しのホームランを打った。先発の左腕杉内に対する、監督の配慮が予期せぬ形で報われた。かつて、野村監督は、「負けに不思議な負け無し、勝に不思議な勝あり」との名言を残した。勝つことに執念を燃やし、一丸となって戦う集団にしか「不思議な勝」は起きないのだろう。マギーの強打を名手坂本が弾き、先制点を勝ち取ったのも一例かもしれない。田中は、第7戦の9回にマウンドに立ち、15球を投げ切り、東北楽天の勝利を不動のものとした。凄まじい気迫で、常識外の登板を締めくくった。見ていて、田中の腕が心配になった。

 自分が東北楽天に関心を持ったのは、野村克也が監督に就任してからだと思う。パリーグ再編の煽りを受けて、旧近鉄とオリックスの一部選手がはじき出された。これら選手達を中心にして結成されたのが、東北楽天だと聞いている。初代監督は元中日の田尾だ。俺が俺がの意識が強い、元近鉄の選手たちをまとめ、闘う集団に高めるのは、指導者として初仕事の田尾監督には手に余る仕事だ。一年目は、惨憺たる結果に終わり、翌年から野村克也が監督の座に就いた。野村再生工場の謂れの通り、盛りを過ぎた選手の眠れ目才能を目覚めさせ、類い希なる人心収攬術をもつて、少しずつ戦える集団にまとめ、老獪な戦術を持って戦った。現在の東北楽天の基礎を築いたのは、間違いなく野村監督だ。ドラフトで田中を引き当て育て、島捕手を薫陶したのは野村監督の業績だ。山崎を再生させ4番として活躍させた。

 かっての阪神タイガースで、野村の監督の後を引き継いだのが、星野監督だ。阪神時代に日本シリーズを戦ったが、勝てなかった。中日時代を含め、都合4回りシリーズを戦い、全て敗退した。東北楽天での日本一は、星野監督にとって特別な想いだろう。テレビカメラにアップされた涙顔が全てを物語っている。

 年齢からして、監督人生は東北楽天が最後になるのではないだろうか。三木谷オーナーは複数年の契約をする意向だ。8年前の北京オリンピックで、野球は最後の競技種目となった。星野を監督として臨んだ日本チームは、4位に終わり、有終の美を飾れなかった。ワールドベースボール・クラシックで優勝している日本チームがオリンピックで惨敗した原因は、星野監督にあるとするバッシングが起きた。仲良しクラブ的な首脳陣の構成は、素人の自分でも首をかしげたものだ。

 東北楽天への監督就任は、星野監督にとって期するものがあったと推察される。第7戦での勝利監督インタビューを聞いた時、今までのイメージとは異なり、一廻りも、二廻りも大きくなった星野仙一がそこにいた。選手達の労をねぎい、褒めたたえ、ファンの応援に感謝し、東北の被災者を想う言葉に真実が感じられた。打倒巨人、日本一達成の我欲が無かったと言ったら、嘘になるだろう。これ等への質問は、さらりと受け流し、チームとこれを支える全国のファンに自らの想いを強く訴えていた。

 東北楽天には若い選手が多い。田中はメジャーに行くだろう。その穴を埋める松井の入団は確定的だ。苦しみの中から勝ち取ったリーグ優勝、CSで宿敵ロッテを粉砕した力強さ、常勝スター軍団巨人を総力戦で破った経験は、間違いなく来期に繋がるだろう。星野監督のもとで、結束したチーム力で来期も、東北楽天ファンを喜ばせてもらいたい。今は、東北楽天の日本一を素直に祝いたい。

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