伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2013年10月23日: 福島第一原発の汚染水処理 GP生

 先日、新聞に「ALPS 福島第一汚染水処理に不信感」なる記事が、大きく掲載されていた。更に、「相次ぐ人為ミス 遠のく海洋放出」とあった。増え続ける汚染水の切り札とて、期待されたのが、ALPSと呼ばれる放射性物質除去設備だ。ALPSは、トリチウムを除く62種の放射性物質を除去できる能力を有すると言う。それが相次ぐトラブルにより、何回も停止を余儀なくされたとして、東電が各メディアから感情的とも思える激しい批判に曝されている。

 震災直後、福島第一では海水の注入を続け、原子炉を冷却し続ける事が全であった。注入した海水は原子炉建屋、タービン建屋の地下に溜まり続け、放射性物質を含む汚染水となった。汚染水は増え続け、何れオーバフローし海に流れ出す。廃炉工程の根底に、注水と汚染水処理が最後まで横たわっている。

 東電は、プロセス主建屋の地下室に防水処理を施し、汚染水を移送するシステムを2週間で完工した。此の時点で、1号機から4号機までの汚染水量は推定8万トン強だ。東電は並行して、汚染水を処理し、冷却水としての循環利用を検討した。処理水を再利用しない限り、汚染水は無限に増大する。除去対象は、微小固形物質、油脂、放射性セシウムと海水中の塩分だ。建屋内の海水をそのままにすれば、水に接する原子炉容器の腐蝕は避けられない。

 汚染水処理にはフランスとアメリカの技術が選択された。日本の水処理技術で十分対応できると思うが、実績を買ったのだろう。塩分除去は日本の逆浸透膜を用いた。これ等の設備は、平成11年6月中旬に稼働を始めた。事態の安定を見た後、高い買い物との批判が出た。緊急対策は時間との競争だ。この場合、必要なのはスピードだ。全てを満たす対策には時間がかかる。今そこにある最大の問題に集中して、如何に迅速に対処するかに尽きる。この感覚は、常に危険と裏腹の鉱山時代、若い身体に叩き込まれた。所長の口癖は「拙速を貴ぶ」だった。

 応急設備は出来ても、直ぐに、放射性廃棄物を安定的に管理出来る設備が必要になる。濃縮された放射性廃棄物に安直な処理は許されない。新たに開発したのが、SARRYと呼ばれる国産処理設備だ。この設備は平成11年8月に稼働開始し、稼働率90%以上の安定性を発揮した。汚染水の循環処理が安定すると、潜在していた問題が顕在化してきた。原子炉建屋やタービン建屋の亀裂から流れ込む地下水だ。一日400トンと言われている。汚染水を汲み上げ処理しても、地下水の流入は新たな汚染水を発生させる。地下水の流入を遮断し、各建屋内の水を除去しない限り、融け落ちた核燃料の取り出しは不可能だ。

 そこで、計画されたのが、ALPSだ。処理水を希釈して海洋に放出しようとするものだ。これが可能になれば、地下水遮断は腰を据えて行える。ALPSはA、B、Cの3系統があり、各1日250トンの処理能力を有する。塩分を除去した処理水を対象にし、薬剤での沈殿除去を経て、14基の吸着塔で放射性物質を吸着処理する。ALPSは、今年3月に試運転を開始し、9月から本格運転をする計画であった。新聞には、試運転期間中の各種トラブルが列挙されていた。通常、試運転中のトラブルと、本格運転でのトラブルは区別して考える必要がある。

 如何なる設備ても、初期の運転は意図した通りに行かないのが通例だ。必ず、想定外の事態が発生する。設計、施工が適切であったとしても、所詮、人間のやることだ。それ故、全ての不安要因を見つけ出し、修正するのが試運転だ。試運転中のトラブル発生は避けられない。新聞には、試運転期間中の各種トラブルを列記し、設備の安定性に疑問を投げかけていた。トラブル内容を扇情的に報じ、国民に不信感を抱かせる事を目的としている様にさえ思える。

 メディアは汚染水処理を2年半の継続的視点ではなく、そこにある問題を局所拡大して報じる。今、生じたトラブルを声を大にして叫ぶだけだ。汚染水問題を扇情的に伝える事は、問題解決の遅延に繋がる。漁業関係者に不安を与え、処理水の海洋放流を妨げるだけでなく、我が国に対する誹謗中傷の口実を、隣国に与える事にもなる。ネガティブキャンペーンではないにしても、国民に不安を与える事件に喜々とするのは、メディアの宿命なのだろう。報じ、批判する者の殆んどは、常に安全圏内に身を置く。彼ら自身が、突然、危機的状態に置かれた時、果たして、何人が適切に思考し、迅速に行動出来るだろうか。過酷な現実に対処している者を、客観報道との名のもとに、机上感覚で評価することは適切なのだろうか。

 福島第一では、東電社員1000人と下請け作業員2000人が働いていると言う。汚染水処理設備の運転管理にしても、東電の責任者を中心に、メーカー担当者、下請作業員のチームワークは極めて大事だ。作業員の士気の低下はケアレスミスを誘発する。タンク中のゴムシートの撤去を忘れたり、配管の接続ミスで作業員が汚染水を浴びる様では、あるべき管理が行われるとは思えない。如何に、優れた装置でも、運転をするのは人間だ。震災直後からの緊急対策は、吉田昌郎所長の存在なくして考えられない。もし、彼が居なければ、東日本が壊滅したかもしれない。彼は、自身の使命を果たして、この世を去った。天が此の災害を予想して、彼を、あの場に居合わせる運命を演出したかのようにさえ思える。

 技術やシステムの発展は、試行錯誤の努力の先にある。APLSの不幸は、汚染水処理が待った無しで、一度にパーフェクトを求められたことだ。本運転が始まっても、設計技術者、施工技術者、運転技術者達が、設備に発生すの問題点を予測し、力を結集してチームワークで解決することだ。問題の発見と解決は、常に現場にある。彼らの力が結集出来れば、ALPSは計画された機能を発揮し続けるだろう。今回の問題は、主として、震災直後から続けられた、仮設や応急的設備に発生している。基礎の傾きによるタンク内汚染水の溢流、フランジ部の腐蝕による漏水等だ。拙速を要求された設備には、置き去りにされた問題が必ずある。事態の収束と共に、修正しなければならないが、連続する日常の中で、忘れ去られることが多い。これ等は、ALPSの機能とは直接関係がない別問題だ。

 新聞は、作業員の激しい入れ代わりと、下請けへの丸投げが、士気低下の原因だとしていた。東電社員の士気低下があるとも報じていた。事の解決は、最終的には人の意欲と能力に還元される。イージートラブルが続くのは、東電の管理体制と管理能力の問題だ。根底に、事業主体たる東電の体質に、問題があるのかもしれない。官僚以上に官僚的と言われた東電の体質は、今回の震災を経験しても変わらないだろう。長期に亘る、福島第一の後始末は、国家指導での新たな組織を立ち上げたほうが良いのかもしれない。東電に責任があるとはいえ、40年に亘る廃炉工事を一企業体が継続するのは無理があるのではないか。

 汚染水処理の安定は、廃炉道程の入り口に過ぎない。人類が、かって経験したことのない、複数の原子炉内溶融核物質の取出しには、新たな技術開発が不可欠だ。困難な処理工程の中で獲得する知見、技術は国民の財産でもある。福島第一の廃炉を、負の遺産として捉えてはならないと思う。技術立国、日本の真価が問われている。

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