伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2013年6月9日: グレートジャーニー 人類の旅展 GP生

 

 上野の国立科学博物館で「グレートジャーニー 人類の旅」展を見たのは、既に2ヶ月以上前の事だ。今年の小学校五組のクラス会は上野で開催され、自由時間の散策時に友人達と科学博物館を訪れた。科学博物館では、初めて見る展示品に目を奪われ、猿人から進化した人類が世界に拡散していく壮大な歴史は深く心に残った。けれど、小学校のクラス会前後から悩まされていた血尿に対する泌尿器の検査が続き、前立腺ガンが発覚してからも、更なる検査が継続した。この2ヶ月間、心身共に消耗した。全ての結果が出て治療方針が決まるまでは、考える事も多く、グレートジャーニー展の事は意識の外であった。

 ガンが前立腺内に留まり、骨への転移がないことが確認された。医者との相談で治療方針が決まり、ホルモン療法が始まった。現在の所、副作用は自覚されず、ようやく落ち着いた日常が戻って来た。そんな時、科学博物館の売店で買ったグレートジャーニー展の写真集を眺めていたら、展示物の記憶が蘇ってきた。

 グレートジャーニーと名付けたのはイギリス人のブライアン・フェイガンと言う研究者だそうだ。アフリカで誕生した現代人類-ホモ・サピエンスは、15万年〜20万年前に生誕の地を出て、世界各地に拡散した。アジア、シベリア、アラスカ経由で南アメリカの最南端にまでたどり着いたのが、最も遠くに行った人類だ。彼は、その人類の旅路をグレートジャーニーと名付けた。

 探検家で医師、現在、武蔵野美大で教鞭をとっている関野吉晴氏は、南アメリカ南端から北米、ユーラシア大陸を経てアフリカ中部までの5万qを、ラクダ、カヌー、自転車、犬ぞり、カャック等、自らの脚力と腕力で操れる手段のみを用いて走破した。科学博物館では、この時の記録を基に展示が構成されていた。

 アフリカ東部の大地溝帯中央部に位置するタンザニアで、360万年前の人類の足跡の化石が発見された。1978年から1989年に亘る発掘調査の結果、多くの猿人の化石と一緒に、長さ30mを歩いた人の足跡が見つかったのだ。しかも、2列しか足跡が無いのに、3人分が確認され、夫婦や家族の存在が推測された。現代人の歩き方とも極めて類似性が高いと言う。南米の奥地を探検中に、このニュースに接した関野氏は、人類が到達した最遠の地である南米最南端を出発点にし、人類最古の足跡が発見されたタンザニアまで、逆コースで辿ることを志した。

 アフリカ東部の大地溝帯はプレートテクトニクスにより、南北7000qにわたり、現在も東西に分離しつつある。地殻変動が激しく、隆起した地層が浸食され、そこに埋まっていた人類の化石が多数見つかっている。ここが人類揺籃の地と推察され、約700万年前に最初の猿人が誕生したのもこの地である。更に原人、ネアンデルタール人等の旧人が誕生し、別の旧人から新人たるホモサピエンスに進化した。全ては、アフリカのこの地で始まった。

 関野氏はグレートジャーニーと逆コースの旅を、1993年から10年かけて行った。氏は旅の途中、アマゾンの奥地に隠れ住むインカの子孫、未開の部族やエスキモー、砂漠の民の集落で、何ヶ月も住民達と生活を共にしている。世界中に拡散していった初期人類達は、森の中でたき火を囲み、風の音を聞き、砂漠では星を見上げ、極地では暖を取りながら、「我々は何者か?、我々は何処から来て、何処へ行くのか?」と自問したはずだ。関野氏はこれ等の民と暮らすことで、初期人類と思いを共有したかったようだ。

 インカの集落では、貧富の差はなく、物質的にも皆平等であると言う。関野氏はパンツの予備を三枚持っていたが、余分に持っているのはおかしいとして、全部取られてしまった。長い滞在後、集落を出る時に「皆は弓矢を持っているのに、俺は持っていない」と言うと、弓と沢山の矢を分けてくれたそうだ。此の弓矢は展示品として飾られていた。見事な造形美だ。実用品としての効能の確かさも一目瞭然だ。現代工業製品とは一線を画している。

 20万年前にアフリカを発した人類は、4万5千年前にヨーロッパに達し、4万年前に中国大陸へ、1万5千年前に当時陸続きであったろうベーリング海峡を越えた。その後5千年を要して、南米最南端に達したのは1万年前だ。ベーリング海を超えるのに時間を要しているのは、マイナス50度にも達する寒さに対処するのに時間がかかったと説明されていた。人類は毛皮を着る事で寒冷地の気候を克服している。科学博物館の展示を思い起こすと、何故人類が、厳しい自然環境や外敵にもめげず、全世界に拡散できたかが良く分かる。

 肉体的にはひ弱な人類が厳しい自然環境の中で、生存し個体を増やせた理由は、「二足歩行により、手が自由ににを使えるようになった結果、脳容量が増大し、コミュニケーション能力を獲得した事で、家族を中心にしたコミュニティーを作れた事にある」と関野氏は答えている。二足歩行の確立は、人類と他の哺乳類とを隔絶する決定的要因だ。であれば、360万年前に親子と思われる猿人3人が、二足歩行の化石を残した意味は極めて大きいと思う。人類が世界に広がることが出来た、原点の証拠であるからだ。人類の発展は二足歩行から始まった。

 展示物の目玉に、親子3人の猿人家族の歩行を復元したしたリアルな模型がある。足跡の長さや歩幅から身長を推測し、発掘された化石から顔の輪郭を創造している。この模型に現実感を持たせ、命を吹き込むのは表情の造形にかかっている。化石だけでは分からない。製作者は、タレントのナイティナイン岡村隆史を表情のモデルとして選んだ。「岡村さんは顔の皮膚と部品がよく動き、千変万化の表情を作ることが出来るから選んだのであって、決して顔が猿に似ているからだけではない」とは担当者のコメントだ。さて、如何だろうか。

 造られた模型は父親、母親そして子供も説得力ある造形になっている。父親が子供の手を引き、前方をキッと睨みながら背筋を伸ばし、母親がその後ろに従う姿は、現代でも見られる光景だ。足跡の位置関係から、そうなるそうだ。父親が家族を守り、これからの進む道を指し示す如く前を向き、妻が一歩後から従う姿は、今に通じる家族の在り方を示している。この家族の姿が、360万年前に存在した事は感動的ですらある。力作だ。

 グレートジャーニーの副題は「この星に生き残るための物語」だ。増殖を続ける人類にとって、限りあるエネルギー資源の枯渇は遠い未来の事ではない。技術革新によりシェールガス・オイルやメタンハイドレイドの開発が進んだとしても、未来永劫続くものではない。

 関野氏が訪た部族の生活は、自然と共生している社会だ。かっての日本には、当時世界最大の100万人都市と言われた江戸があった。江戸の町は文明度の高い持続可能な社会を営んでいた。自然と共に、持続型の社会を続けてきた世界の住民は、自然の恵みと同時に怖さも体験して生活を営んできた。日本列島の住民は地震、火山の噴火、台風等、自然の脅威に常に曝されてきた。人々は、山川草木全てに神が宿ると信じる、謙虚な民族性を持つに至った。持続型社会では人口の増加は極めて緩やかだ。展示物を眺めていると、科学万能思考の現代人に警鐘を鳴らしている様にも思えた。

 人類が大量生産品を用いる生活を経験してから、100年程に過ぎない。日本ですら車だ携帯だ、テレビ、クーラーなど快適な道具が普及してから、僅かな時間しか経っていない。人類が誕生し、世界に拡散を始めてからの20万年に比べれば、現代の快適な生活は一瞬時に過ぎない。此の生活が、今後1000年も2000年も続くはずがない。展示を眺めていると、ではどうすればよいのかと深刻な想いを抱かざるを得なくなる。近い将来、増大する人口に食糧供給が追い付かなくなる時が来るはずだ。化石燃料が枯渇して、自然再生エネルギーのみに頼り生活をするとしたら、人類が最大限の工夫と努力をしたとして、この星はどの位の数のホモ・サピエンスを維持できるのだろうか。

 遥か昔、アフリカから旅立った人類の祖先たちは、より良き居住、より良い生活を求めて、世界に散らばった。人類は空間的には世界に満ちた。グレートジャーニーは完結したかもしれないが、人類の旅は終わった訳ではない。グレートジャーニー展は「人類は此れから如何なる旅を続ければよいのか」と問題提起している様に思えた。ホモ・サピエンス誕生から20万年。これから20万年後に、この星の住人がどうなっているかは想像すら出来ない。

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