伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2013年7月21日:安重根と伊藤博文とマッカーサー T.G.

 韓国政府がハルピン駅頭に安重根の銅像を建てろと中国政府に持ちかけているらしい。中国政府もさすがにとまどっているという。それはそうだろう。国家要人暗殺は、独裁国家中国が最も怖れることである。その象徴を銅像にされたのではたまらない。それにしても韓国人の歴史感覚のおかしさには首を傾げたくなる。韓国の人たちは安重根なる人物のことをどれだけ知っているのだろうか。彼がやったことが民族独立の鏡とでも思っているのだろうか。あの女性大統領も本気でそう思っているのだろうか。彼らが言う歴史認識には疑念を持たざるを得ない。どういう歴史教育をしているのだろう。

 日本人の感覚では、韓国の人たちが安重根をこれほど持て囃す理由が分からない。確かに憎っくき日帝の首謀者伊藤博文を暗殺したのは痛快だろうが、それだけのこと。韓国の歴史や精神に何の進歩も影響も与えなかった。イスラム過激派のテロは、民族の団結と反米意識の求心力になり得ているが、彼のテロ行為は何も生んでいない。彼以降の反日抵抗運動を高揚させたわけでもない。単に日韓併合の時期を早めただけだ。日本人の感覚では、軽薄なおっちょこちょいテロリストに過ぎない。今さらおっちょこちょいの銅像を建てたがる気持ちが分からない。

 安重根は李朝末期の朝鮮で、日帝の支配に抵抗した反日活動家ある。特権階級両班の出であるが、朝鮮独立運動に関わったわけではない。小物というか、単なる跳ねっ返りの鉄砲玉である。どう見ても民族独立の英雄ではない。伊藤暗殺のような派手なことをしでかしたので有名になっただけである。昭和39年にライシャワーアメリカ大使を刺した反米右翼少年と同レベルだ。歴史的に見ると、彼が犯した最大の過ちは、日露戦争以後の日本の併合政策を決定づけたことである。この点で日米関係に何の影響も与えなかったライシャワー事件とは様相が異なる。歴史を振り返れば分かるが、伊藤博文は明治政府の中で最後まで併合に反対していた数少ない親韓政治家である。歴史にイフはないが、もし彼がハルピン駅頭で3発の銃弾を撃たなかったら、日韓併合はなかったとはいえないまでも、もっと緩やかなもの、別の形になっていた可能性が高い。その可能性を消滅させてしまった男なのだ。

 西郷隆盛の征韓論に端を発する日本の対朝鮮政策は、初期は外交関係の正常化、利権獲得という穏当なものだったが、この地域でロシア、清など各国の権益闘争が激化するに連れ、強硬なものに変わっていった。李朝末期の朝鮮政府が、ロシアや清に迎合し、二股外交を繰り返すようになると、日本の安全保障が脅かされるようになる。特にロシアの朝鮮半島を権益におさめた南下圧力は日本にとって頭痛の種だった。朝鮮政府は借款と軍事力による庇護と引き替えに、ロシアにシベリア鉄道の敷設権を認めようとした。日露戦争の主原因である。戦争に勝ってロシアの圧力を押し返したあと、日本は韓国に対し本格的な保護政策に踏み切る。いつまでたっても自主独立の気概を欠き、自力の国家運営も出来ず、ふらふら二股外交を繰り返す朝鮮に業を煮やしたのだ。

 保護政策に踏み切った日本は、明治維新の元勲の一人で、初代総理大臣を務めた伊藤博文を統監に送り込む。西郷隆盛らと維新を成し遂げた伊藤博文は、日本の維新と同じような朝鮮の開国、自主独立に期待を持っていた。ソウルに赴任した伊藤は、「今回博文ガ統監ノ任ニ当タリタルハ他意アルニ非ズ、貴国今日ノ衰運ヲ挽回シ、独立富強ノ域ニ達セシム為ナリ」と拝謁した国家元首である高宗に語っている。また会議において、「日本が韓国を併合統治したら、巨額の経費がかかるからそう言う愚は犯さない。それより韓国を富国化し、自主独立した暁に同盟を結ぶ方が日本にとって得策と考える」と李朝政府の政治家や官僚達に語っている。(森山茂徳著「日韓併合」吉川弘文館

 事実伊藤は日本政府から借款を引き出し、それを原資に学校教育や医療制度改革に乗り出す。金融機関を増強し、水道や道路などインフラ整備を行い、殖産興業に力を入れる。それまでほとんど機能しなかった司法制度を整備し、警察力も向上させた。どれもそれまでの朝鮮にはなかったものだ。特に司法制度や警察力は皆無に近く、欧米各国は国中に治外法権を持っていた。小規模の農民の反乱すら自力で抑えられず、他国の軍隊に頼っていた。つまり国家の体をなしていなかったのだ。この伊藤の“自治育成政策”には日本の中で反対意見が強かった。そんなまだるっこしいことをしていないで、さっさと併合してしまえと言うわけだ。山県有朋、桂太郎、小村寿太郎など、ほとんど総スカンと言っていい状況であった。継続できたのは何と言っても伊藤博文が、明治維新を成し遂げた功労者にして大物政治家だったからだろう。

 伊藤が銃弾に倒れた後、半年も経たずに事態は併合に突き進む。併合に際し、韓国政府とは併合条約が取り交わされ、事前にロシア、イギリスなど関係国の承認を得ていることは記憶さるべきである。この事実は常に曖昧にされるか無視される。

 国家の存在意義は独立である。反日のような他国を非難するだけの他力本願は意味がない。韓国の反日はカタルシスというか、単なる憂さ晴らしに過ぎない。国家の自立には何の意味もない。明治以降の韓国の歴史は反日一色で、日本の明治維新のような自主独立の動きはほとんどない。かろうじて独立運動家と呼べるのは甲申政変の主導者金玉均等ぐらいのものだろう。それ以外はほとんどが単なる反日家に過ぎない。国の独立には寄与していない。

 反日で国が維持できるわけではない。むしろ逆だ。目的を曖昧にし、独立心の妨げになる。そう言う見地に立てば、反政府独立運動で非業の最期を遂げた金玉均あたりの銅像を建てるべきだが、なぜか韓国人は金玉均が大嫌いらしく、国賊扱いされているという。どうやら李朝政府に弾圧された金玉均が、一時日本に亡命したのがお気に召さないらしい。しかし日本の維新と同じく、国の独立近代化を目指した重みは、安重根のような単細胞のテロリストとは比べものにならない。韓国人はなぜ金玉均を評価しないのだろう。なぜそれほど忌み嫌うのだろう。彼が打倒しようとした守旧的な李氏王朝と官僚制度は、国の近代化を妨げる癌だったはずだ。テロリスト安重根を重んじ、革命家金玉均を忌み嫌う。このあたりの韓国人の歴史感覚は理解しがたい。韓国の人達はに自主独立より反日の方が好ましいのだろうか。そうではなく、自国の歴史があまりにも惨めで、正視する気にならないのだろう。だから歴史をよく知らないのだろう。

 明治初期の朝鮮は、李氏王朝とそれを取り巻く官僚、特権階級である両班が動かしていた。そのいずれも清を宗主国とする冊封国、いわゆる属国に甘んじていた。外交はもっぱら他国の経済力や軍事力を当てにするばかりで、日本の明治維新のような自主独立の機運はなかった。金玉均らの反体制運動は数少ない革命独立運動である。日本で言えば幕府支配に立ち向かう薩長に当たる。さしずめ金玉均は西郷隆盛というところか。その金玉均ですら、政府官僚の弾圧に合うと日本に庇護を求めた。日本はこれ幸いと利用した。幕末の薩長は、いくら困っても欧米列強の力は借りなかった。武器弾薬が欲しければ金で買った。幕府も薩長を押さえるために他国の軍事力を利用しなかった。両者とも、もしそれをやったら国を滅ぼすことが分かっていたからだ。事実韓国はそうなった。

 併合に至るまで、韓国政府も反体制派もそれと同じことをしなかった。反日にこだわって独立心を見失い、列強の間で惨めな物乞い外交、二股外交を繰り返した。権益と引き替えに援助や力を求めた。前述の書「日韓併合」を読むとその経緯がよく分かる。この著者はどちらかといえば韓国に同情的で日本に批判的だが、それでも惨めさは隠せない。歴史の事実が物語っている。もし自分が韓国人だったとしても、目をそむけたくなるような歴史である。とても子供に教えたいとは思わない。それが歴史オンチの原因で、金玉均ではなく安重根の銅像を建てたくなる理由だろう。哀れな国と同情したくなるが、いくら惨めで屈辱的でも、自国の歴史を直視しなければ国の将来はない。韓国の人たちもそのことに早く気付くべきである。

 日韓併合とアメリカの日本占領、その渦中にあった伊藤博文とマッカーサーには類似点が多い。そのアナロジーについて書こうと思ったが、長くなり過ぎるので日を改める。

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