伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2013年7月16日:前立腺ガン発覚と新たなスタート GP生

 2ヶ月前、昼寝の後、トイレで真っ赤な尿が迸り、びっくりして泌尿器科を訪れた。それが始まりだった。問題の臓器は何処なのか、何故、出血するのかを探る検査が始まった。血尿の原因など簡単に分かると考えていたが、それが意外と難しいと次第に分かってきた。男の泌尿器は思ったより複雑で精緻な器官であった。膀胱中の尿が全量血液で汚染されていることから、腎臓と膀胱の炎症が疑われた。医者は高齢患者である故、前立前のトラブルも考えている様だった。開業医で出来る事は限られている。尿中の血液、直腸からの前立腺への触診、直腸にセンサーを入れての前立腺超音波映像検査、採血等、その程度だ。採血の分析結果は通常一週間を要する。この日に分かったことは、超音波と触診では、異常な臓器が分からなかったことだ。血尿原因は勿論分からない。

 医者が提携している検査病院で、CT検査をすることになり直行した。下腹部を3回撮影したが異常が見つからなかった。腕に造影剤を注射し、更に3回撮影した。結果は腎機能は正常で、膀胱にも腫瘍は見られなかった。肝臓、膵臓が正常であるとのおまけが付いた。尿管に異物は無く、前立腺の一部が石灰化している以外、明確な判断材料は無かった。後は、血液検査と尿中のガン細胞の有無、血液中の結核菌の有無の結果待ちとなった。泌尿器結核でも血尿が出ると言う。

 一週間後、尿中にはガン細胞は見られず、結核は陰性、腎機能を現わすクレアチニンは正常範囲であった。問題は前立腺特異抗原たるPSA値が46.4であったことだ。4.0以下が標準なので、如何にも高値だ。前立腺肥大でもPSAは上昇するが、それにしても高すぎる。PSAが20を超えると前立腺がんの確率が飛躍的に高まることは良く知られている。医者はこれを疑い、自分の出身校である慈恵医大病院の泌尿器科への紹介状を書いてくれた。出血の部位は前立腺が濃厚の様だが、この段階でも確定できなかった。出血は少なくなったが、未だ継続中だ。

 慈恵医大での採血で、PSAは48に上昇していた。膀胱内視鏡検査の結果、尿管と膀胱内に異常は無く、CT検査を裏付ける結果となった。医者は前立腺ガンを当然疑っている。確認の為、日を改めて生検を行う事になった。直腸から検診針を刺し、前立腺の組織をサンプリングし、細胞の状態を顕微鏡で観察する究極のガン判定検査だ。この検査の為に、梅毒、HIV、その他有害菌の有無を確認するため、6本で計18ミリリットルを採血された。更に、胸部疾患の有無の確認の為、X線撮影だ。ガン巣が小さく検診針に当たらない時、ガンではないと結論できないから厄介だ。義弟の場合、PSA11で一か所からガン細胞が検出された。自分は48だ。当たらない方がおかしい。

 生検時、膀胱は満タンにするよう指示があった。検査前2時間はトイレ禁止だ。検査後の排尿状態を見て出血状態を確認する必要があるとの事だ。検査前に直腸内を何回も消毒された。場所が場所だ、前立腺への感染防止策は徹底していた。検査前に抗生物質の投与、直前に抗菌剤の注射をされた。超音波センサーが直腸内に挿入され、更に何回か麻酔薬が直腸から注射された。検診針は全部で12本刺すと言う。刺された瞬間の痛みは麻酔のお蔭で少ないが、針が奥に入っていく感触は、脳天がズズーンとするような不快な圧迫感だ。1本、2本と数えながら耐えるしかない。下部からの圧迫で、膀胱内の尿の漏れ出しを止められない。特別な紙製下着とおむつがこれの対策だ。全てが終わってトイレに直行した。真赤な鮮血と共に尿が迸った。医者の点検では正常尿だと言う。ケチャップ状だと即入院だそうだ。まれに検査後、重篤状態に陥る患者もいる。手軽に何回も行う検査ではない。前立腺は孔だらけだ。これによる血尿は3日続いた。

 検査結果は2週間後となった。12本中6本からガン細胞が検出された。PSAの値を考えれば驚くな当たらないのだろう。ガンの悪性度を現わす指標にグリーソンスコア―がある。生検のサンプルの顕微鏡検査によるガン細胞の状態を5段階評価で表し、二種類のパターンの程度を足して2〜10で表す。自分の場合は4+3=7であった。8〜10は悪性度の高いガン、2〜6はおとなしいガンで、7は中程度だそうだ。しかし、PSAが48と高値なので、総合的には「命のリスクが高いガン」と判定された。75歳以上だと余命と治療に対する身体負荷を考慮して、根治治療はせず、ホルモン療法だけの経過観察で終わるそうだ。70歳前半は微妙な年齢だと医者に言われた。

 前立腺ガンの増殖要件に男性ホルモン−テストステロンがある。これがないと増殖が出来ない特殊なガンと言える。このホルモンは精巣でほとんどが産生され、一部が副腎で造られている。薬により精巣での産生を阻害し、兵糧攻めにする方法だ。これがホルモン療法だが、副腎産生を止められないのて、これによる根治は出来ない。効果は7年程度しか継続しない。他の治療に比べて身体に優しいのだそうだ。

 更に問題があった。転移の有無だ。一般的にガンは血流に乗り転移するので、肺で発症する確率は高い。しかし、前立腺ガンは肺を素通りして骨に転移する。「何故、骨なのか?」と医者に聞くと、「分からない」だった。骨に転移していれば、前立腺のみの治療は無意味となる。前立腺の全摘手術の後、転移が見つかった悲劇さえある。如何なる手術でも、寿命を縮める効果だけは明白だ。骨への転移の有無を確認するため、日を改め「全身骨シンチグラフィー」なる検査をすることになった。

 検査4時間前にリンの放射線同位元素を注射し、全身にガンマ―線を照射して、病巣に集中するリンを撮影する検査だ。骨に転移したガン細胞は活発にリンを吸収することを利用している。頭のてっぺんから足のつま先まで、20分間照射された。検査技師に放射線量はどの位かと尋ねたが、明快な数値表示は無く言葉を濁した。検査後、3日間ほど身体の不快感が取れなかったところを見ると、可なりの線量だと思われる。器械はGE製。ラベルにLow Energyなどと書いてあった。たちの悪いジョークだ。

 結局、骨への転移は無かった。転移の有無を確認するだけの為に、新たな発ガンを誘発する可能性を有する検査とはなんだろうか。検査前に「恐らく転移はないと思いますが、後の治療法を如何するかがありますから」と医者に言われた。転移していればホルモン療法しか手段がない。手術による全摘を視野に入れなければ、医者の判断で度外視できる検査に思える。病院の責任回避と商売を優先させている様にも思える。高価な機械だし、保険なしでは6万円近く掛かる検査だ。

 ガンが前立腺に留まっていると確認できたので、如何なる治療法を選択するかの相談となった。以前は、即手術の判断が多かったようだが、主治医は「前立腺は多くの臓器と密着しているので、完全に切り離すのは難しい、取り残しも無い訳ではない」と模型を示して説明してくれた。術後、念のため放射線治療をするそうだ。これでは身体へのダメージが大きすぎる。

 慈恵医大では「高線量率組織内照射+放射線外部照射」を勧めている。医者は「この方法だと、あなたの高リスクガンを根治させる可能性がある」言う。慈恵医大を紹介してくれた開業医は、「あそこなら最新の治療が受けられるので、自信を持って紹介できる」と言っていた。これがその最新の放射線治療法の様だ。従来の放射線治療は通常外部照射が中心で、膀胱、腎臓等の正常臓器への影響を避けることが出来なかった。当然一回当たりの照射線量は弱めねばならず、照射回数の増加で対処していた。義弟が2年前に行った治療では37回連続であった。治療の後半、彼は体調不良に悩まされていた。

 内部照射は会陰部から13本から16本の中空針を前立腺に刺し、PC制御で放射性物資を針の中を循環させる方法だ。他臓器に対する影響が極小になるので、通常外部照射の4500倍の線量を使い、20分の短時間で治療できるのが特徴の様だ。但し、これを二回行うため、翌日まで針を刺したまま一晩を過ごさなければならない拷問付だ。この方式はHDRと呼ばれている。外部照射は前立腺の立体映像を造り、前立腺のみを照射する最新方式だそうだ。これも、従来法より放射線障害は軽減されている。これはIMRTと略称される。治療の主力はHDRで、IMRTは補助的な役割の為、15日ぐらいで終了する。高リスクガンを根治出来可能性が高く、放射線障害を最小にできると医者は言うが、それでも、高齢者にとっての身体的負担はかなりのものだ。

 本格治療前に、ホルモン療法によりガン巣を出来るだけ小さくする必要がある。これに要する時間は6ヶ月。皮下にリュープリンと呼ばれるマイクロカプセルの薬を打ち込む。これが少しずつ溶け出し精巣でのテストステロンの産生を継続的に抑止する。4週間仕様と12週間仕様がある。当然男性ホルモン欠乏による副作用は覚悟しなければならない。放射線治療後、念のため2年間はホルモン療法の継続は必要だそうだ。このスケジュールに従えば、治療に二年半を要することになる。終了時には 75歳を超えているから、今回が最初で最後の治療だ。

 慶応大学の放射線医師である近藤誠先生は、転移しないガンは「がんもどき」だから怖くない「患者よがんと闘うな」と、10年近く前、三大治療に警鐘を鳴らした。当時は医学会から異端として相手にされなかったが、ガンの実相が人口に膾炙されるようになり、現在では多くの人が耳を傾けている。先生は前立腺ガンでPSA検査で見つかるガンは「がんもどき」と喝破している。しかし、自分の状態で近藤流経過観察のみを行うことに戸惑いはある。恐らく、「がんもどき」であろうと確信してもだ。

 前立腺ガンと確定しても、血尿原因の疑問は払拭できないでいる。先日、炎天下の30分間、5階建ビルの屋上でアンテナ工事に立ち会った。終了後、疲労感が強かった。直後の排尿は濃いワイン色であった。2日間で正常に戻ったが、医者に「原因は前立腺ですか」と聞いたところ、明快な解答は無かった。血尿が前立腺ガンによるものなら特に心配はしない。過度の疲労時に血尿が出る事を考えれば、通常、腎臓のトラブルを疑う。父親から腎臓の劣性遺伝子を引き継ぐ身としては、例え、CT検査、血液検査で異常なしと診断されても不安の種は尽きない。放射線治療は一時的としても、人工透析は一生事だ。父親の6年間を見て、此の病だけはご免だ。

 泌尿器科との付き合いは始まったばかりだ。最新の治療法とは言え、現代医学特有の対処療法に過ぎない。治療効果は期待できても、身体へのダメージは避けられない。ガンは根治出来ても、体力消耗、寿命短縮では本末転倒だ。自分の心身はこれから色々な経験をすることになる。前立腺ガンに焦点を当てた時、長丁場の日常生活での対処法は色々ある。手近なことから実行を始めている。人が本来有する自然回復力を高める事は、自身にしか出来ないからだ。試行錯誤の新たなスタートが始まったと自覚している。

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