【伝蔵荘日誌】

2013年3月30日:  我が第二の故郷 嬬恋村(その2) U.H.

 群馬県吾妻(あがつま)郡 嬬恋村(つまごい)のプリンスランドという別荘地にささやかな山荘を建てて、間もなく25年になることは前の日誌に書いた。 その続きである。

 旧満州地域からの引き揚げ者で、いわゆる故郷を持たない身であるため、この25年間の嬬恋村での諸々は「第二の故郷での営み」ともいうべき大事なものになってきた。 なぜそれが嬬恋村だったのか。 それにはいくつかの運命的な出会いと偶然が絡んでいるように思われる。 前の日誌では嬬恋村との馴れ初めから山荘建設に至った経緯を書いたが、今回は嬬恋村のことについて書く。

嬬恋の謂われ、そしてヤマトタケル伝説
 さて「つまごい」というと 静岡県にある「つまごい」が野外音楽ライブのメッカとして全国的に有名であるため、その「つまごい」と間違われる向きも多いかと思われる。 それに比べて群馬県吾妻の「嬬恋」は、夏キャベツの一大産地としては名高いが、いま一つローカルな感じがする。 「嬬恋の謂われ」は次のようである。

 その昔、第十二代景行天皇の皇子、かの日本武尊(ヤマトタケル)が東征の帰途、暴風を鎮めんがために相模灘に身を投ぜられた今は亡き弟橘媛(おとたちばなひめ)を追慕され、「吾嬬はや」と嘆かれたのが、上州(吾妻郡嬬恋村の西端)と信州(上田市真田の東端)の国境「鳥居峠」であり、まさに「嬬恋村」の事始めになったと言われている。 一説によると、その地点は30キロほど東に位置する碓氷峠であるとも言われているが、この峠は昔「碓日嶺(うすいみね)」といわれていたのが鳥居峠となったことからして、それは鳥居峠であったということにしておきたい。 嬬恋村ではこの謂われに因んで、「愛妻の丘」というものを企画し、丘の上で男性が絶叫する場面がテレビなどでも紹介されたので、ご存じの方もおられよう。 その丘は、日本百名山のひとつである四阿山(あずまやさん)の山麓にあって、吾妻川の谷を挟んで浅間山系を遠望する景観がまさに雄大である。

真田太平記の世界
 前述の鳥居峠を挟む信州小県(ちいさがた)と、上州吾妻を舞台にした長編歴史小説に池波正太郎による「真田太平記」がある。 この小説は昭和49年の始めから昭和57年末まで449回の永きに亘って「週刊朝日」に連載された。 武田信玄に仕えた有力武将である真田昌幸、その子の真田信之、幸村等の真田一族が豊臣秀吉と徳川家康という二大勢力の間にあって、信州の小さな領国を守りつつ強かに生き抜いていく壮大なドラマが物語られる。 一族の本拠は信州小県(ちいさがた)の真田(現在は上田市真田)だが、真田一族の勢力圏は上州の西半分にまで及んでいた。したがって真田の人達は国境の鳥居峠から嬬恋村、中之条町(ここに岩櫃(いわびつ)城という重要拠点があった)を経由し、利根川上流の沼田辺りまでを領有していたのである。

 真田太平記には、ハードな歴史小説という表舞台に加えて「真田の草の者」という諜報忍者集団が登場して波瀾万丈の色を添えてくれる。 かの立川文庫の「真田十勇士」に登場する猿飛佐助などは「草の者」が原型であり、彼らの修練の地は、鳥居峠から吾妻地域に至る広大な高原地帯であったと言われている。 実際に吾妻の雄大な高原地帯に立ってみると、その辺りで生活していた山の民達が厳しい自然環境を生き抜く上で情報に聡く、足腰強く俊敏で、かつ薬草・火薬などの知識が豊かにあって、いわゆる「草の者」に適していたであろうことが容易に想像される。

鳥居峠
 前述の二つの挿話に共通して登場する「鳥居峠」の景観がことのほか好きである。 四阿山から西南方向にかけて広がる稜線と、湯ノ丸山から角間峠を経て北東方向にかけて広がる稜線がワインカーブを描いてお互いに交わる辺りに鳥居峠が存在する。 その両翼が形作るゆるやかな広がりは大変美しく、また優しく、心を豊かにする景観である。 鳥居峠は標高約1360メートルであるが、嬬恋村の東の方角から峠にかけての街道はトンネルや切り通しもなく、最後の集落である田代(たしろ)からほぼ一直線に西行して登ると峠に達する。 東から来れば関東から信州への国境であり、西からやって来れば関東への入り口である。 太古の昔にも、そして近世においても東西を行き来する人々の悲喜こもごもを積み重ね、また東西文化の往来を育んだ由緒ある峠である。 下の写真は鳥井峠の由来を書いた碑である。



 ちなみに田代という集落について聞きお覚えのある方もおられるだろう。 気象情報が季節の変わり目に触れる際に、「今朝、群馬県嬬恋村の田代では初霜がおりました」というような形で紹介される。 すなわち標高1200メートルほどの田代集落は、関東地方の中でもっとも冬の訪れが早い人里なのであろう。 次の機会には、江戸時代中期の忘れられないこの地の大事件である、浅間山の「天明の大噴火」について書いてみたい。 (続く)

 

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