2013年3月20日: 森公美子の介護生活に想う GP生 ![]() 自分は今まで森公美子に興味も関心も全くなかった。テレビのバラエティ番組で目の玉をくりくりさせ、陽気で、真ん丸に膨れた身体の女優のイメージしかなかった。 彼女は歴としたオペラ歌手で、昭和音大経由、東京芸大で学んだ本格的歌い手であり、仙台市生まれである事等は後で知った。 身体は100キロを軽くオーバーする女漢でもある。 彼女は平成13年に結婚した。夫婦仲は素晴らしく、女優業の彼女に対して理解があり、陰で支えてくれる夫との生活は幸せであったようだ。結婚五年目のある夜、夫が近くのコンビニに買い物に行く途中、オートバイと接触し転倒、頭部を強打して救急搬送された。診断は脳挫傷で、一時は生命が危ぶまれた。幸い一命は取り留めたものの、意識不明の状態が長く続いた。意識を取り戻しても、身体機能の相当分を失い、言語機能の殆んどを失った。 退院しても寝たきりの夫に対する介護の全てが、妻たる森公美子の肩にかかってきた。 彼女が、女優、タレント、歌手の仕事を続ければ、経済的に問題はなくとも、寝たきりの夫の介護との両立は容易なことではない筈だ。事故以来、6年以上に亘る、仕事と介護の生活が続いた。 この間、夫も努力し、言葉での意思の疎通は僅かながら可能になったが、身体をベットから離す事はかなわなかった様だ。 ![]() バラエティ番組の目的は、夫の介護をする彼女をスリム化する減量作戦と、その結果を放送する事にある。彼女に専門のトレーナーが付き、食生活改善とウォーキングを中心にした各種トレーニングを半年行った結果、100キロオーバーの体重が、85キロへと減量した内容を、引っ張るだけ引張って放送していた。番組内容はともかく、減量することで、夫の介護がより容易になり、もつと面倒を見たいとの彼女の想いは本物に思えた。 森公美子は昭和34年生まれだから、現在53歳。夫の介護が始まったのが47歳の時だ。此の若さだからこそ、介護と仕事の両立の激務に耐えられたのだと思う。 連れ合いに対して強い愛情を抱き、自分の役目を果たそうと頑張っても、ある年齢を超えると、体力と気力が付いていかない。 短期間ではどうにかなっても、長期間では如何にも出来なくなる。 彼女の夫の場合は、リハビリ努力の継続で、少しずつ身体機能は回復していくとしても、今後、自力で家庭生活を営める所までの可能性は薄い様に思われた。彼女の介護生活が今後いつまで続くかは誰にも分からない。彼女も番組最後のコメントで、「私が、夫より先に行ってしまってはいけない」と言っていた。 彼女も50代の半ばに近付いている。それに、減量をしたと言っても、まだあの体躯だ。何時何が起こってもおかしくないし、介護と仕事との両立からのストレスも半端ではないはずだ。 テレビで見せる豪快な笑顔が、本心からの物であればよいのだが。 人がこの世で生きていく限り、加齢による身体機能の劣化は避けて通れない。これに、脳力の低下が加わると、一層悲惨な状態になる。近隣の、昔からの知り合いの家庭での実例を、幾つか書いてみる。これ等の話を聞く度に、他人事でない同情の思いに駆らける。 ![]() もうひとつは、一家を統率していた70代後半の女性が脳梗塞で倒れた事例だ。発見が早かったため一命は取り留めたものの、爾後、車いす生活を余儀なくされた。 2年近くの施設でのリハビリを終え、自宅に戻ったが、一家の中心者が機能を失ったことで、家庭内での混乱は今も続いている。二人の息子の家族が同じ敷地内に居住しているも事も混乱の種だ。 二組の息子達家族を上手にコントロールしてきた中心人物が当事者能力を失ったからだ。 現在、80歳を超える控えめで温和な夫は婿さん故、積極的な行動は執れなかった。 昔から、経済面を含めて、家族全てが女性のコントロール下にあった。 最近では、夫は心労からか認知症が進んでいる。 本来は、長男が中心の生活に転換出来れば良いのだが、長男の性格と嫁達の確執が、それを妨げている様にも思える。 以前から、アパート業を営んでいて、経済面の不安は無いのだが、人間関係の再構築が出来ない為に、介護の人手は多くても機能不全に陥っている。これ等の事例は自分にとって、他人事には思えない。 自分の父親は、昔し駅のホームで転倒し大腿骨の付け根を骨折した。チタン製の関節を取り付ける大手術をしたのは74歳の時だ。 これを契機に、従来からの弱点である腎臓機能が低下し、心不全でこの世を去るまでの6年間、週3回の人工透析を続ける羽目になった。 この時は、まだ母が健在で、我々夫婦は補助に徹することが出来た。父の心情を思うと、ベストの介護体制だったと思う。 ![]() 現在、家人は体調に波があるものの、幸い大病することは無く、老人健診の結果は概ね良好だ。自分は両親から受け継いだDNAのお蔭もあって、医者や薬と縁のない生活を営んでいる。今は良い。問題は、此の状態が明日も明後日も、一年後二年後、何時まで続くか判らない事だ。今日に続く明日が、今日と同じである保証は何処にもない。 老老介護の最大の問題は、これが何時終了するかが全くわからない事にある。例え、高齢であっても、期間限定ならそれなりに頑張れるかもしれない。老老介護の辛さは、介護する者よりされる者の方が大きいのかもしれない。認知症の世界に逃げ込んでしまえば、その悩みから逃れられるが。頭脳の働きが正常で、身体機能が如何ともしがたい場合、世話をしてくれる連れ合いの立場と苦しみが分かるだけに、申し訳ない思いから、いっそ殺してくれと頼む事件が後を絶たない。 年老いた夫婦の心情を思うと心が痛む。 国や地方自治体等の公の介護体制には当然限界がある。特養を利用するにしても、公の機関が運営する所は、入居がままならない。今から10年以上前の母親の介護時に、ある施設では1200人待ちであった。入居者が1200人、この世を去らなければ入居できないと言うことだ。即入居可の施設は入居時の一時金も、月々の支払いも半端ではない。誰でもが対処出来る訳ではない。 ![]() 森公美子の労苦は誰にとっても他人事ではないだろう。 この世では、不安定な動的平衡の上に生きていかなければならない。 若い時には、安定と錯覚するだけのエネルギーに溢れていただけに過ぎない。高齢になると、身体の衰えと気力の低下により、生きる基盤が削り取られていく思いだ。そんな現実を踏まえて、自分達の老後の環境は自己責任で整え、備える必要があると思う。高齢者の置かれた状況は、十人十色だ。確定解はない。 自分が置かれた立場を考えると、「どんなことがあっても、家人より先に旅立ってはいけない」と、何時も胆に銘じている。 森公美子の心情には共感できる。自らの処置は、自らで出来れば最高だろう。病気をせず、医者に掛からず、肉体全ての細胞を最後まで機能させれば、苦しまずにこの世を去る事は出来る。「老衰による突然死」と言う名の素晴らしい死だ。息子達、嫁や孫達にかける迷惑も最小限に収まるはずだ。この目的を達成するために、自力で食事が出来る限り、分子栄養学を信じて、高タンパク、メガビタミンをベースにした食生活を継続するつもりで居る。 |