伝蔵荘日誌              【伝蔵荘日誌】

2013年3月6日: 普天間と沖縄独立論 T.G.

 散歩の途中、本屋で立ち読みをしていたら、雑誌のインタビューで外交評論家の佐藤優氏が興味深い話をしていた。日本に立ちはだかる、尖閣周辺での中国との軋轢について触れた後、沖縄について次のように述べている。「普天間の辺野古移転に、もはや沖縄県民は首を縦に振らない。 基地負担を含め、沖縄住民の本土への被差別意識は限界に達している。その行き着く先には沖縄独立も視野に入ってくるだろう」と。この元外交官は無類の読書家で、東西の歴史に通じている。的確な外交感覚で、日本の諸問題を各所で論じている。文藝春秋の連載コラム、「古典でしか世界は読めない」はいつも愛読している。

 安部政権発足以来、アベノミクスを含め、ほとんどの課題が上手く動き始めている。唯一にして最大の例外は普天間基地移設問題である。まったく出口が見えない。3年前に民主党がひっくり返したちゃぶ台は、もう二度と元に戻りそうにない。オバマとの首脳会談で辺野古移設を確約した安部首相は、工事に先駆ける埋め立て申請を、今月末にも仲井知事に出す予定だという。この頑固オヤジを絵に描いたような知事は、まず認可を下ろさないだろう。行政手続きとして、埋め立て許可は自治体首長の権限である。中央政府は手を出せない。成田空港の時のように強制執行などすれば、巻き起こる大混乱は、いまだに続く成田闘争以上だろう。日米同盟を安全保障の基軸に据える日本政府は立ち往生。さあどうするか。

 沖縄は古来からの日本領土ではない。明治12年の琉球処分までは、薩摩藩の幕藩体制に組み込まれていたとは言え、独立した琉球王国として支那の冊封を受けていた。つまり独立国だったのだ。日本国に編入された後も、宗主国の清王朝に親しみを寄せる勢力も少なからずいた。太平洋戦争末期、唯一の地上戦で多くの島民を失った。本土の捨て石作戦に利用されたと言う怨念、怨嗟の声はいまだに強い。事実は、南方から攻め上がってきた米軍の、最初の攻撃目標にされただけなのだが、この沖縄が逃れられない地政学的位置については、いまだに納得がいっていない。普天間問題がこじれる根本原因である。戦後も72年の沖縄返還まで30年近く、アメリカの統治下にあった。 復帰を果たした後も基地負担は重くのしかかり、本土との経済格差も解消されていない。基地はなくならないわ、オスプレイは来るわで、業を煮やした島民からしばしば沖縄独立論が持ち上がるのは、こういう歴史背景がある。

 JP-Press誌に「沖縄(琉球)が独立する日」という龍谷大学教授松島泰勝氏のインタビュー記事が載っている。記事によれば、氏はかねてから沖縄独立を唱え、国連の人権委員会などを通じて運動を進めていると言う。同じような境遇にあるグアムやパラオなどと交流を続け、独立の道を探っているという。こういう目的意識や確信犯的熱意が、どのくらいの沖縄の人たちに共有されているか定かでないが、普天間問題がこじれた先に沖縄独立論が見え隠れするだろうことは想像に難くない。我々本土人と沖縄の人たちの間には、深い意識の溝があるのだ。

記事の中で、インタビュアーが本土の立場から疑問を投げかけ、それに松島氏が応じるやり取りが続く。観光以外は基地経済に頼る沖縄が仮に独立した場合、やっていけるのかという疑問に対しては、「基地経済は県民所得の5%しか生み出していない。返還跡地で農作物を作り、菓子や琉球陶器やガラス細工など工芸品を生み出せば十分自立出来る。軍関係の雇用喪失は地元経済で十分カバー出来る」という答えが返ってくる。尖閣で高まっている中国との緊張関係について聞かれると、「沖縄と本土の安全保障観は違う。琉球を捨て石にすることで日本を守るというのが本土の安全保障だが、沖縄には軍隊を置かず、永世中立にすればかえって緊張緩和につながると言うのが沖縄人の考え方だ。」と言う。独立して米軍基地がなくなったら、中国の侵出を招くのではと言う疑問に対しては、「そんなことをしたら国連憲章に反し、中国は国連の常任理事国の地位を失う。経済は没落し、中国自体が瓦解する。そんな馬鹿なことをするはずがない」と答えが返ってくる。かっての社会党の非武装中立も真っ青の楽観論である。

 前述の佐藤優氏は、沖縄の人口は140万人だが、それくらいの小国は世界に40以上ある。その気になれば沖縄独立は決して絵空事ではないと言う。事実、松島氏らはモデルケースとしてグアムやパラオと意見交換を続け、独立の可能性を探っているという。人口2万人のパラオでは、企業も雇用も守られ、地場産業を守り育てられている。琉球も同じようにやっていけると力説する。しかしパラオにしろグアムにしろ、人口はたかだか数万の極小国。かってはスペイン、ドイツの植民地で、戦前は日本、戦後は長くアメリカの信託統治を受けた。今でも経済は完全にアメリカ依存だ。独力では生きられない。今は植民地という言葉を使わなくなっただけで、実態は変わりない。人口140万人の、日本本土とさして違わない生活水準にある沖縄が、そう言う極小国をモデルに独立を考えるのはいささか無理がありそうだ。

 仮に望み通り沖縄が独立して琉球国になったとしよう。そもそもの目的だった米軍基地はどうなるだろうか。可能性は二つある。一つはアメリカがこの機会にこの地域から撤退し、基地が琉球に返還されるケースだ。この場合、アメリカが事実上東シナ海における中国の覇権を認め、日米安保が形骸化されたことを意味するから、日本と決別した琉球国が、中国の勢力圏に取り込まれるのは自然の流れだろう。元の冊封国状態に戻ることになるだろう。本土から見たら絵に描いたような侵略だが、沖縄の人たちは、琉球処分以前の状態に戻っただけと受け止めるのだろうか。それほど日本が疎ましく、中国が好ましいのだろうか。その先に待っている、チベットやウイグルの姿を、彼らはどう思っているのだろうか。中国はアメリカのように甘い国ではない。

 もう一つの可能性は、依然として東シナ海の緊張が続き、従前通り米軍が居続けるケースだ。こちらの方が蓋然性は高い。アメリカは基地を残すことを条件に沖縄を日本に返還した。アメリカにとって、沖縄独立は日本が返還を白紙に戻したことと同じだから、当然基地は返還前の扱いに戻る。沖縄の人たちは、日本政府相手ではなく、アメリカと直接返還交渉をすることになる。そんな大それた外交能力は、小さな小さな琉球国にはない。アメリカも相手にしない。今のグアムと同じ状態になるだろう。

 そもそも独立してやっていけるのだろうか。琉球処分前の琉球王朝時代と今とでは、状況がまったく違う。格差があるとはいえ、何と言っても今の沖縄は、世界有数の経済大国の一部なのだ。今の沖縄の経済規模や生活水準を、140万人だけで独力で維持することは出来ない。琉球芋のお菓子やガラス工芸細工などたかが知れている。尻をまくって出ていったのだから、日本政府の援助や基地負担金はもう当てに出来ない。日本国民も許さない。中国の影響下にある琉球に、日本の投資もままならなくなるだろうし、投資の余地もない。アメリカは基地が使えさえすればいい。沖縄経済なんてどうでもいい。返還前の生かさず殺さず状態に戻るだろう。そのことはグアムを見ればよく分かる。沖縄の人たちはああいう状態でも独立したいと思うのだろうか。

 沖縄独立論をつぶさに見ると、本土に対する被害者意識と、こうありたいという楽観論しかない。 現実論は皆無である。それほど本土に対する抵抗感が強いとは言え、本土の我々から見ると妄想の域を出ない。世界には独立した小国は沢山ある。そのほとんどはいずれかの大国の影響下に置かれ、経済と安全保障を依存している。決して幸福な姿ではない。経済と安全保障をなんとか独力でまかなえるのは、ブルネイのような天然資源に恵まれ、かつ地政学的に好条件な位置にある国に限られる。沖縄の宿命はその地政学的位置にある。何をしてもこの現実からは逃げられない。日本から離れてなおかつ独立を保ち、今より豊かで幸福に暮らせる可能性は皆無に近い。それでも沖縄の人たちは、あくまで辺野古移転を蹴飛ばし、独立の夢を見るのだろうか。矜恃を利害の外に置くのだろうか。松島氏によれば、現仲井知事は琉球時代から続く中国系の家筋だという。彼は辺野古移転拒否のほぞを固めたのだろうか。尖閣の波高き今、日本の最難題である。

 

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