2013年2月15日: 日本語の乱れ、もしくは変遷 T.G. 近ごろの日本語がおかしい。 「近ごろの若い者は」と同じ発想で、昔ながらの老人の悪い癖かも知れないが、どうにも耳障りな物言いが増えている。 まだ書き言葉にはなっていないが、やがてそのうちそうなるだろう。 明治のはじめに言文一致体が生まれたときも、漢文大好きの固陋な老人達は、そう愚痴を言い合ったのだろうか。![]() ラーメン屋だけではない。 かなり高級なレストランでも同じである。 上品なウエイトレスが、「こちら舌平目のムニエルになります」と済ました顔で置いていく。 そんなことは分かっている。 自分が頼んだのだから。 なぜ普通に「ムニエルでございます」と、正しい日本語で言えないのか。 ステーキを頼んだのが、事情があってムニエルになったとでも言うのか。 「…になる」は「卵が孵化してヒヨコになる」と言う風に、状態遷移を指す動詞である。 「吾輩は猫である」であって、断じて「吾輩は猫になる」ではない。 ラーメン屋やレストランの店員だけでなく、テレビのアナウンサーや解説者までそう言う言い方をするから、もはや標準語なのだろう。 やたらに“部分”と言う言い回しを使う。 部分でないものまで部分という。 インテリ解説者に多い。 例えば、「金融緩和の結果、そう言う部分で円安になります」などと言う。 「金融緩和の結果、円安になります」でなぜいけないか。 その方が直裁明瞭だし、解説として合目的だろう。 百歩譲って金融緩和以外にも円安要因があると言いたいのだとしても、それは部分ではなく“別のもの”だ。 日本語表現として間違いだろう。 何か洒落た言い方と錯覚して、ついそう言うのだろうが、これが有名大学を出た著名な経済評論家かと思うとうんざりする。 ![]() 「話題の映画を見ましたが、全然面白かったです」などと言われると、思わずオットットとずっこける。 “全然”はその後に否定形が続く形容副詞である。 「全然面白くありませんでした」が正しい使い方であり、日本語のお約束である。 少なくとも今まではそうだった。 近ごろはどうも違うらしい。 “とても”とか“ものすごく”などと同じ肯定形に使う副詞になっているらしい。 最初のうちは抵抗を感じていたが、あまりに普通に使われると、間違っているのはこちらかと、思わず錯覚してしまう。 そのうちこちらが正しい日本語になるのだろう。 ![]() かなり地位の高いインテリ女性にも少なくない。 典型例は社民党党首福島瑞穂氏である。 「平和憲法死守。 これが我が党の綱領でズゥ」などと、いい歳した婆さんに舌っ足らずの甘え言葉で言われるとずっこける。 少し気持ち悪くなる。 アンタ何者?と言いたくなる。 そんなことだから党勢が落ちるのだと、悪態をつきたくなる。 いやしくも日本女性を代表する政治家なのだから、もう少し凛とした言葉遣いが出来ないものか。 昔の武家の奥方のように。 ![]() ちなみに“速攻で”は2チャンネル出自の形容副詞である。 ほかにも“禿同”などがある。「(あなたの意見に)激しく同意する」という意味である。 ニュアンスが的確で飄逸である。 そのうち流行出すだろうと思っていたが、なりそうにない。 どうやら時代遅れらしく、最近の2チャンネルではあまり使われなくなっている。 若者言葉にも流行廃りがあるのだろう。 ![]() ついでにカミさんがこだわるのは、ちゃらちゃらした女が出てきて「お花にお水をあげたの」などと言った場合である。 花には「水をやる」のであって「あげる」ものではないとお怒りになる。 もっともである。 最近はペットや愛玩物を擬人化して扱うのが流行っている。 あまりいい趣味とは言えない。 愛犬に赤ちゃんのような服を着せて、しゃなりしゃなりと散歩する。 挙げ句に言うことが「チロちゃんに大間のマグロをあげたの」だと。 日本語には敬語、丁寧語、謙譲語が大事である。 言葉で長幼の序や上下身分の区別を厳格にする言語である。 いくら可愛いと言っても、チロちゃん相手に敬語や丁寧語、謙譲語を使うものではない。 敬語の乱れは日本語の乱れと言ってよい。 |