2013年2月8日: 少年野球と孫の成長 GP生 ![]() 孫は区内の学童チームから選抜されたチームに所属している。 区内の野球少年で、このチームに選抜されることを願わない学童はいないだろう。今回は五年生のみでチームが構成され、孫は選ばれた。普段、感情をあまり表に出さない彼も、選抜選手決定の連絡を受けた時は大喜びしていた。 第一回戦の相手は南相馬市のチームだつた。結果は9対0で敗退した。試合の何日か前に選手、監督、コーチの初顔合わせがあり、合同練習も十分出来ないまま試合に臨んだのだから無理もない。監督は選手個々の能力や特性を十分把握していないだろうし、選手同士も、お互いの顔と名前を覚えるのが精いっぱいだろうから、チームワークもそこそこだ。選手達もガチガチなのが、見ていて良く分かった。 孫の第二打席の時だ。ワンアウト、ランナー一塁の場面で、孫は監督のサインを確認し初球をバントした。これは失敗した。 再度監督のサインを見て、二球目で球速を殺した見事なバントをバッテリー間の真ん中に決めた。一塁走者は二塁に悠々進塁を果たした。見ている自分は、6対0の場面で何故バントをさせるのか首をひねった。負けを覚悟して、意地で一点でも返すと解釈し納得はした。 役目を果たしてベンチに帰った孫は、監督に叱られていた。監督は「打て」のサインを出していたのだ。そのサインが孫が所属するチームの「バント」のサインと似ていたために、孫は監督の意図とは全く異なるプレーをしてしまった。 選手個々のスキルは優れていても、俄かチームの弱点が露呈した。 ピッチャーも毎回替った。監督は実戦での選手たちの能力を確かめている様にも思えた。 ![]() 第二試合は、第一試合の敗者同士の戦いとなる。相手は東京郊外の都市のチームだ。 孫の守備位置はショートからキャッチャーに替わり、打席は三番のままだつた。 彼は、小学校入学時に野球部が出来た時から、ポジションはキャツチャーとピッチャーの間を行き来していた。 孫がこのポジション双方を経験することは、野球をする上で勉強になった様に思える。 ピッチャーは唯我独尊で良い。キャッチャーはピッチャーの投球のコントロール、ピッチャーへの励まし、バッターの能力を見極め、塁走者の動きに合わせての牽制、更に如何な球でも捕球する義務を有する。 地味だが、守備の要だ。強肩を求められ、体力を要する激務でもある。 この試合は16対5の大勝であった。孫のチームは、初回の試合時とは全く異なるチームに見えた。 守備にリズムが出てきて、それが打撃に好影響を与えていた。 孫は、全打席出塁、ホームランを含む活躍だった。打席はともかく、彼がキャッチャーポジションに就き、守備陣に声をかけ、ミットを構えると、チームに一本の筋が通ったようにシャキッとするのが分かる。自分の孫だからの贔屓目かもしれないが。急速に成長した身体の大きさも貢献している。 衣紋掛けの様に、横に張った彼の肩を見ると、祖父の遺伝子は間違いなく伝わっている。 ![]() 優勝戦の相手は、孫達のチームが創部されて間もない頃、練習試合で40対0のコールド負けを喫した、地区の強豪チームだ。 今回も、孫は四番でキャッチャーを任された。チームは選抜の意地にかけて頑張り、孫も二打点を挙げたが、結果は6対4で敗れた。 相手は激しい内部競争から鍛え抜かれたクラブチームである。見ていても、チーム力の差は歴然としていた。試合終了後、孫はキャッチャー用防具を半分脱いだまま、疲れ切った表情で立っていた。彼は二日間の4試合で持てる力の全てを出し切った様だ。 小学校一年時に、キャッチボールも碌にできない小さかった孫が、成長し選抜選手として活躍する姿を見られる事は、祖父として、この上ない幸せなことだ。野球が少し上手だと、天狗になる子供が多い中、孫は普段から、自ら欠点の矯正を心掛けている。上手だと自覚する姿を見たことがない。試合から帰ってきた孫を捕まえ、「あのプレー凄いね」と声をかけると、「あれはかくかく云々で誉められたプレーではない」などと、理路整然と反論されると嬉しくなってしまう。この内省心と謙虚さがある限り、彼の伸び代は幾らでも大きくなるだろう。 ![]() 野球部の監督、コーチ陣も、子供達に無理なことを押し付けていない。 先般のバスケット部の体罰事件に対して、桑田真澄がコメントしていた。彼は、小学生の時から体罰を経験していたという。「殴られて、愛情を感じたことは一度も無い」、「殴られなくなった高校時代に野球が進歩した」と言っていた。 孫達のチームに、体罰がないのは事実だ。もしあれば、この地域で意識レベルが高すぎる親達の間で、大問題となるだろう。 監督、コーチの地道な努力は、孫のチームを地区で侮れないチームの一つに数えられるまでに成長させた。 チーム結成時には、試合中に控えの低学年選手達は、地面で砂遊びなどしていた。上級生達でも似たようなものだ。今ではそのような選手は一人もいない。監督やコーチ達が時間をかけ、繰り返し繰り返し、指導してきた成果だと思う。我が家の三匹の犬達ですら、場面場面で根気よく言い聞かせれば、粗相を繰り返さなくなる。犬ですら、叩いては矯正が出来ないのは経験則だ。 ましてや、学童だ。指導方法を間違えれば人間性を潰し、命まで奪うことになる。 ![]() 懸命に勉強し学業を向上させることは、決して無駄な行為ではない。 小中高と学業だけを中心に生活し、一流大学を卒業したとしても、人間力の基礎を子供の時に学ばなかった学校秀才は、学問に生きるならともかく、社会に出てから、どれ程活躍できるのだろうか。 文武両道で人間力も伴う成果を得る事は、理想であっても現実は困難だろう。 どちらかを選択しろと言われたら、自分は迷うことなく学校秀才だけは忌避する。 少年達は野球生活の中で、凡打やエラー等のミスで勝てる試合を落としたり、チームメイトの足を引っ張り、仲間から冷たい視線を浴びたりすることも多い。監督から叱られる事は日常茶飯事だ。この様な小さな挫折を繰り返し経験することは、間違いなく彼等の人間力向上に繋がると思う。 強制ではなく、自ら経験し、考え、学ばない限り、人は進歩しないものだ。 勉強は、しなければならない時にすれば良い。授業中、集中していれば一角の成績は摂れるだろう。 自分の小学生時代は、毎日遊びまくっていた。勉強の記憶は、親の決めた私立校受験の為、一年間学習塾に通わされた事しか無い。生活の全てを野球にかけ、精進している孫を見ていると、「野球、時々勉強」のまま、当分進んで欲しいと思っている。 彼に将来の夢は何にかと聞いても語らない。笑ってごまかしている。 薄々、見当はついているが。自分が、後10年生きられれば、彼の進むべき道が見られるだろう。それまで、こちらも精進だ。 |