【伝蔵荘日誌】

2013年1月28日: 近ごろ心に響いた事 GP生

 昨年末、総選挙により民主党政権が退陣するまでの3年以上の間、心に苛立ちを持ちながら過ごすことが多かった。 家業のマンション管理にしても、一度退室した空室には、次の入居者がなかなか決まらなかった。賃貸の居住者は現在の家賃より安く、居住性の良い物件があれば、転居の意欲を示すが、それでも余程の事がなければ動かない人の方が多いからだ。以前の様に家賃が少し高くても、より良い物件に移動しようとのマインドはほとんど見られなくなった。大家は空室に泣き、移動があってこそ手数料が稼げる不動産業者は収入減に泣いた。 前政権を担当した人物達の無能無策、軽薄ぶりを随所に見せられ、苛立ちは募った。 そんな折、近ごろ自分の心に響く二つの出来事があった。一つはアルジェリアでのテロに遭遇した日揮の対応ぶりである。

 今回の襲撃事件では、日揮の日本人10名と外国人従業員7名を含む、多数の外国人が犠牲となった。 人質とされた方々が、どれ程過酷な状況に置かれたかは推測するしかない。日本国民の安穏な生活と安全を担保するために、危険な国外で働き、命を失われた方々の冥福を祈る事しか、自分にはできない。

 事件の発生からテロリスト達が鎮圧され、日揮社員の安否が全て明白になるまでの間、日揮の社長や広報担当部長が記者会見に応じているテレビ画面を幾度か見た。その度に大きな感銘を受けた。 亡くなった社員や安否不明の社員に対する想いが、お二人の悲痛な表情と少ない言葉の端々に強く現れていたからだ。社長、部長と部下との単なる関係ではなく、プラント建設に邁進する同志としての連帯感が、日揮の外国人社員に対しても強く示されていた。日本人の生死のみを最大の関心事とし、お涙頂戴のストーリーに傾きがちなマスメディアの意識とは、次元の違いを感じた。

 今まで、事件、事故により社員を失った会社責任者が、マスコミのインタビューを受る姿を数多く見てきた。 皆一様に、悲痛な思いで会見に臨んでいるのは分かるが、自分の仲間、部下を失った思いは、日揮のお二人の様には響いてこなかった。 連帯意識の強さの違いなのかもしれない。

 日揮は仕事の殆んどが海外であると言う。 今回のアルジェリアが例外ではなく、石油・ガスプラントの建設現場の多くは、生命の危機に何時曝されるか判らない地域であることは想像に難くない。 今回の事件で、アルジェリアに560人もの同朋が働いていることを知った。彼ら同朋にとって、国の庇護は薄く、危機管理は全て自前なのだろう。 ご苦労が偲ばれる。

 大津の中学生自殺の事件や今回の桜宮高校生自殺の件にしても、責任者である校長や教育委員長の会見から受ける、「それは無いだろう」との違和感は何なんだろうか。 自ら命を絶った生徒に対して、同じ学校、同じ教育界に生きる人間としての連帯感など薬にしたくてもないし、生徒を自殺させてしまった責任感すら希薄だ。退職金と得るべき給与所得の差額の何十万円かを取得するために、担任教師がクラスを放り出して早期退職するのだから。 例え、個人的な経済事情や人の心の弱さを焙り出す様な、条例施行時期の無機質な決め方が原因であったとしても、教師としての晩節を汚す行為に悔が残らないのだろうか。生徒を死なせた彼等教育責任者は、涙して語ったことがあるのだろうか。 屁理屈をこねて、自己弁護に終始する大阪市教育委員長の見苦しい姿を見せられ後に、日揮一社では防ぐことが出来ない今回の事件で、テレビ画面から痛いように伝わって来る幹部お二人の自責の念に胸を打たれた。

 仲間の死と安否不明の現実に接し、幹部社員お二人の悲痛な思いは如何ばかりであったろう。推測はできても、部外者が到底推し量ることは出来ない。 自分もかっては鉱山で働いた経験を有する。 少しの油断が自分と部下の命に直結する仕事は緊張の連続だった。 自然を相手の仕事だし、地下の鉱脈を発破により破壊し、岩石で埋め戻す作業の連続である。手抜きをすれば自然からの手痛い復讐が待っていた。 そんな現場でも、悪意に満ちたテロリストは出現しない。アルジェリアの砂漠の中のプラント建設に比べれは、自らの努力で不安要因を取り除けるだけ恵まれていたと思う。日揮の社長、部長お二人の会見から、命がけの仕事に生きる仲間間でしか生じない連帯感を感じたからこそ、自分の心が揺さぶられたのだろう。

 もう一つの出来事は、一年半以上空室になっていた部屋に家族が越してきたことだ。三十代の夫婦と幼稚園入園を控えた長女と乳飲み子の次女の四人家族だ。機会があり、旦那さん、奥さんとそれぞれ別々に話す機会があった。 将来、子供を進学させたい学校が、すぐ近くにあるので入居したと言う。 自分も息子達も卒業した小学校で、現在孫が通学している。我が家から徒歩2分の場所だ。 最近は、遠隔地からの通学生徒も多く、少子化の中全三クラス体制になった人気校であると聞いている。

 奥さんは子供達の為に家庭に居たいと言う。 旦那さんはサラリーマンで、高度なスキルを有している様だ。話していて、妻子に対する深い愛情と責任を言葉の端々に感じた。 奥さんは、子供のころ両親が共働きの為、寂しい思いをしたので主婦業に専念するそうだ。 おませな長女は、話していてなんとも可愛い。自分のマンションに居住するカップルは同棲者でも結婚していても、殆んど共働きだ。何年経っても子供が誕生する気配がない。 少子化が進む現状が良く分かる。 子供は生まれずとも、カップルの関係が継続すれば良しとしなければならない。 かって一年半の間に、五組の同棲カップルが破局して空室になったことがあるからだ。

 本格的な家族が、自分のマンションで暮らし始めた事が嬉しかった。 昔は、このような家族は何処でも見られたものだ。自分のマンションでは、2DK、2Kが多いため4人家族の生活は少々窮屈だ。男女一組に+1の構成がせいぜいだろう。 高度成長前の日本で、新婚生活を2DKのマンションでスタートするなどとは、夢にも考えられなかった。 時代の違いは痛切に感じる。家族を大事にする入居者夫婦の姿に接して安堵感を覚え、本格的家族が我がマンションを選んでくれたことに喜びを感じた。本来の家族のみが有する連帯感がそこにはあった。 つい最近、50代の夫婦の破局を見たばかりであった事も関係しているかもしれない。

 人間集団の最小ユニットである家庭の連帯感は、大きくは日本国民の連帯感に繋がる。 連帯感無き家族がいずれ崩壊するように、連帯感無き組織は何れ衰退する。 民間会社とて社員同士の連帯感の有無は、企業存続の生命線であろう。かって、勤務した鉱山は高品位の鉱脈だけではなく、鉱山一家と称された連帯感が社宅の裏組織を含め、鉱山を支えていた。自分が転勤した後、まもなくして鉱山は閉じられた。 自分の転勤前から、鉱山の連帯意識の変質は起こっていた。閉山決定により、連帯感は一気に喪失し、会社の備品をくすねる者や会社を訴える鉱員まで現れたと聞いた。何人もの仲間が地元自治体の議会で証人台に立たされ、公害隠蔽有無への詰問と厳しい非難を浴びせられた。 自分は勤務した最後の部署の関係で呼び出されることは無かった。同期の仲間を含め、かって苦楽を共にした仲間達が苦痛の想いに曝された。 鉱山を支えた連帯感は、会社に残留した仲間の中で退職後も生き続けている。

 国家においても連帯感無き国は、衰退し滅亡するだろう。 民主党政権時代は間違いなく国家衰退の道を歩んでいた。 「国民の生活が第一」と選挙目的のスローガンが国家運営の哲学になれば、当然だろう。 子ども手当、農家個別保障等のばらまきは、個人の損得に目を向けさせ、国家の根本問題から国民の関心を奪った。 国民の連帯意識は薄れていくのは当然のことだ。

 鳩山、菅と続いた愚劣内閣の後の野田政権の衆議院内閣解散決断により、日本国は破滅の淵から、辛うじて蘇る機会を得た。 今後の安倍内閣が如何なる顛末を辿るか神のみぞ知る事だろう。 少なくとも、民主党政権より期待が持てる可能性を感じている。 新年を迎えて後、世の中の空気が少づつ変化している様にも思える。 賃貸マンション入居の動きは、相変わらず鈍い。経済の流れの末端に位置する家業に、勢いが出てくれば、日本再生は本物に近付くだろう。

 経済のみならず、日本人の誇りと連帯感が蘇ることを願っているのは、自分一人ではないと思う。 中国、韓国は尖閣、竹島を偽りの歴史で自国領であるとでっち上げ、日本国民の連帯感を呼び起こしてくれた。両国に感謝しなければいけないのかもしれない。 両国とも、日本国民が本気で団結した時の力を、歴史的事実として知っている筈なのだが、夜郎自大の国民意識がそれを妨げている。  誤れる連帯意識は自らを滅ぼすことにもなることは歴史的事実なのだ。
 

目次に戻る