【伝蔵荘日誌】

2012年12月8日:  死者と生者との関わりを想う GP生

   先日、Ka君が息を引き取った。当日早朝、病室で看護されていた奥様からの緊急電話で知らされ、直ぐに病院に駆け付けた。小学校一年生の男の子がKa君の頭を抱えたまま、ベットに座り込んでいた。おじいちゃんが大好きだったお孫さんだ。 家族が集まっており、女性のお孫さん達が病室の隅で泣き崩れていた。枕元に行き、Ka君の手足を触ると、生きているような温もりを感じた。「Ka君、頑張ったよな」と声をかけた。 特徴ある大きな眼は閉じていたが、穏やかな顔つきは、安らかにあの世に旅立った事を物語っていた。 見舞時には、何時も帰りぎわに、「さようなら、又来るからな」と声をかけてきたが、もう彼の「さ・よ・う・な・ら」は聞けなくなった。

 葬儀は家族葬で執り行うとのことであった。 クラスメイト達と相談して、葬儀にはクラス代表として自分が参列し、日を改めて有志でお焼香に行くことになつた。 お通夜は自宅で行うが、住職は呼ばず家族・親族だけで、故人と静かに時を過ごしたいとの事であった。 自分が訪れた時は弔問客は誰もおらず、奥様と落ち着いて話が出来た。

 人生の伴侶として、27年間に亘る闘病生活を支え続けた苦労の話は、涙なしには聞けなかった。 「あの世で、不自由しないように杖を棺に入れたが、心配だ」と奥様は言う。 それに対し、次のような話をした。「Ka君の顔を見て分かる様に、大変安らかで、穏やかな表情をしている。もし彼が、俺はどうしてこんなに病気で苦しまなければならないのかとか、俺は何のために生まれてきたのか分からないとかの苦悩の中で、息を引き取ったとしたら、あのような素晴らしい顔にはならないと思う。 彼の心は病を克服し、心穏やかにあの世に旅立ったはずだ。 ならば、病んで不自由な肉体はこの世に残り、彼が光り輝いていた頃の体で、天上界で過ごすことになるだろう。普通、不治の病に侵され、40代の半ばから27年の長きに亘り、不自由な生活を余儀なくされたら、心が荒れないはずはない。 彼の素晴らしい最期は、本人の努力もさることながら、奥様を中心にした、愛情に満ちた家族の介護があったればこその結果だと思う。 天上界では彼は全く不自由のない生活を始めるはずだから、心配はいらない。」と。

 人は肉体の死と共に、肉体に重なり合っていた魂は抜け出て、あの世に還ることになる。 魂の抜けた肉体は、骸と呼ばれる物体に過ぎないが、本来の自分である魂と共に、この世で過ごしてきた大切な乗り物だ。 だから、生前の感謝を込めて丁重に弔い、土に返してあげなければならない。 Ka君の様な高貴な魂は肉体の死と同時に、天上界の定められた場所に直行となろう。 通常、悩める魂は最大21日間この世に留まり、生前の誤りを反省し、心を奇麗にしてから天上界に還ると言う。

 本来、魂の過ごす時間は、この世よりあの世での方が遥かに長い。 人がこの世に生を受けるのは、現世で魂の修行を行う為だと言われいている。 この世で修行を終えた魂は、生まれる前のあの世に戻る事になる。 現世での目的から踏み外した魂は、あの世の然るべき場所で、自身の誤りを心から悟るまで、苦しみながら何百年も修行するそうだ。 潜在意識が開かれたあの世では、盲目に近いこの世と異なり、悟りに時間を要するからの様だ。

 最近は、悪行や我欲が祟り、天上界に行くことが出来ない魂が多いようだ。 新聞、テレビを賑わしている角田某などは、死したら地獄界へまっしぐらだろう。彼女が未だ黙秘を貫いている事は、自身の犯した鬼畜の行為に対する反省心など、微塵も無い事を示している。イジメに加担して同級生を死に追いやった中学生達や、自己保存の故に為すべきことをしなかった教師達も、この世で生ある内に、心からの反省と死者に対する償いを行うことがなければ、現世での終焉時に天上界に戻ることは叶わないだろう。 これは、この世とあの世の間の摂理だから、何人たりとも逃れる事は出来ない。

 天上界に行くことが出来なかった魂は、あの世での苦しみから、この世に逃避すると言う。 永い間、暗く狭い、仲間も誰もいない穴倉の様な暮らしの中で、生前の反省を強いられる苦しさに耐え兼ね、唯一同通している自身の死んだ場所に現れると言う。これが、地縛霊と言われる悪霊だ。彼等、彼女等は地獄の苦しみから逃れるために、この世で同様な悩みや苦しみに囚われている人々の魂にしがみ付く。 世に、自殺の名所と言われる場所では、成仏できない悪霊が、同じ悩みを抱える人達の心に憑依し、自殺の連鎖が生じる。墓地や寺院にも成仏できぬ魂が多いと言う。死した肉体に執着するあまり、肉体が葬られた場所で徘徊するらしい。 自分の友人の女性は霊感が強く、お寺に行くと寒気がするという。悪霊の存在を感じるようだ。

 人には皆、守護霊と指導霊が存在するそうだ。 これ等の霊は、あの世でのソウルメイトが多く、生前あの世で「今度生まれたら、私の守護霊になってください」と約束する場合もあると言う。 霊感の全くない自分は、守護霊の存在は自覚できない。 現在、自分の守護霊には、亡き父が勤めていると知人の霊能者に教わった。守護霊の交代もあるようだ。父の前任者たる守護者が誰であるかは分からない。 いずれにしても、前世で縁があった人であることは間違いない。何れ、自分が此の世を去った時に分かる事だ。

 守護霊、指導霊は潜在意識に働きかける事はできても、直接の指導は行えない。人の生き方や生活態度が人の道に外れていない限り、意識外への働きは奏功する。しからざる場合には、ハラハラしながら手をこまねいているしかないそうだ。自分の過去の諸々の事を考えると、偶然と思われるような僥倖で、ピンチを救われた経験を思い出す。当時は分からなかったが、守護霊、指導霊の助けがあったと考えると納得がいく。仏壇や墓地で手を合わせる時は、「今の生活の基盤を残してくれたご先祖様と守護霊、指導霊」に対して、感謝の想いを心中で唱える事にしている。

 守護霊、指導霊に包まれているときは、身も心も暖かく感じると言う。逆に、地縛霊、地獄霊に憑依されると身震いをするような悪寒を感じる。 大分前の事だ。深夜、眠れぬままにアルコールを飲み過ぎ、不埒な思いに駆られた瞬間、全身に悪寒が走った。一瞬の事であったが、酔い故の歪んだ心に同調した悪霊が入り込んだのだと思う。我に返った瞬間、悪寒は消えたが、暫く小刻みな体の震えは残った。程なくして体調は戻った。守護霊が懸命に支えてくれたのだと思う。今の世の中、毎年3万人を超える自殺者が居り、不慮の死を遂げた人々や、死にたくない思いを顔に残し、この世から去ってゆく人の多さを想えば、悪霊の数は増えるばかりだ。

 以前、ある著名な霊能者が公開の場で、中年の女性に憑依した霊と対話をした事がある 。霊能者は女性の守護霊から事情を聴いた。 憑依していたのは、死んだ姑で、生前嫁たる女性を苛め抜いた。その報いで姑は地獄に落された。地獄の苦しさから逃れる為に、姑はかつて自分がいじめた女性に憑依した。 その後、女性は精密検査でも分からない原因不明の体調不良に悩まされ続けた。姑にいじめられた女性は、姑が死んだ後でも、姑に対する恨みにより歪んだ心を治せなかったからだ。此の歪んだ心に姑の霊の波長が同調し、女性は憑依された。

 霊能者は意識の失った女性の口を借り、憑依した姑と話し、姑の行いの誤りや、どうすれば誤りを正せるかを順々と諭した。納得した姑の霊は女性の体から離れた。その後、女性の体調は回復したが、暫くして再び憑依された。 その女性は過去の姑の行為を許すことが出来ず、心の歪みを修正できなかった。一方、霊能者の説得で一旦は納得して、悟ったかに思われた姑の霊も、自身の行いを反省により正すことが出来なかったからだ。過ちを犯した相手を許すことは、自らの心を救うことに繋がり、心から反省し悔い改める事で、過ちを犯した人が救われる。 これ等は、仏の慈悲と言われているのだが。

 生前のKa君を見舞い、彼の姿を見ていると、いつも自分の心が励まされた。末期ガンに全身を侵され、難病の為に身動き一つできない彼が、素直な心で見舞い客に接してくれるのが分かる。五体満足で日常を過ごせる我々健常者が、如何に恵まれているかを理屈抜きで感じることが出来るからだ。 見舞に行く度に、逆に勇気づけられた。

 お焼香に行くクラスの仲間は女の子を含め5,6人になるだろう。 その後は「久しぶりにお茶でも飲みながら----」と約束をしている。 これも、Ka君の人柄が、旧友たちを呼び寄せているのだろう。Ka君の魂への共鳴無くして、旧友と言えども集まるものではない。 この世では、人の魂は互いに色々な影響を与え続けている。 人は死しても尚、その魂は生者に働きかけているのだろう。

 「去る者、日々に疎し」と言われるように、近親者でない限り、あの世に旅立った者は、時の流れと共に、人々の意識から次第に遠ざかっていく。これは、厳しいこの世で、生きなければならない者にとっては、仕方がないことだ。般若心経に「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」とある様に、「色=この世、空=あの世」と考えれば、「この世はあの世と異ならない、あの世はこの世と異ならない、この世即ちあの世で、あの世即ちこの世だ」と解釈できる。人の人生は、この世のみならず、あの世と一体と成って存在していることを想えば、我々が意識していない、感じる事の出来ない事象で、死者が生者に関わりを持っていることを忘れてはいけないと思っている。
 

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